クラン子爵 ①
貴族街の隅にあるクラン子爵家、別邸。別邸とは名ばかりの廃墟だ。蔦が壁を覆い、いくつかの窓を突き破っている。雨が降り込んだのであろう。そのせいか、カーテンは朽ち破れ、床板の腐食がみられた。家具には埃が溜まり、破れた窓から入り込んだであろう落ち葉が、部屋の隅に溜まっている。庭は荒れ果て、手入れのされていない木が生い茂り、枯れた背の高い草と蔦で覆われていた。
ここでどうやって生活しろていうのだ。
子爵は自分がラティーナにここに住めと言ったにも関わらず、余りの惨状に困り果てていた。幸い、幾つか使えそうな部屋を見つけ、胸を撫で下ろした。
ラティーナと侍女に乳母が寝起きしていた部屋か。
その部屋を自分達が使うのは、癪に触ったが背に腹は替えられない。
子爵が苛立ちを抑え、横を見れば愛娘であるエーチェも同じ気持ちらしく、愛らしい顔を歪め涙ぐんでいる。
エーチェは歌姫と名高い女性との間にできた娘で、名家の貴族独特の気位が高い取っ付きにくい、血の通わぬ作り物めいたラティーナとは違い、庶民特有の愛らしく愛嬌のある表情の娘だ。
子爵はエーチェに悟られぬよう、そっと溜息を吐いた。
「お父様、本当に、この屋敷で生活しなければなりませんの?ここより、庶民向けの宿の方が数段マシだわ。他にも別宅がありましたわよね?そこに滞在しましょう」
エーチェの言わんとしていることはよくわかったが、そうは問屋が降ろさない。
「ここに住まなければ、クラン家からの年金は一円も入らんのだよ。そして、ここを出て他に家を構えたら、我々は貴族では無くなるんだ」
「どうして、お姉様は冒険者をなさっていたじゃない!」
「冒険者をしていたラティーナはまだ、社交界デビューをしていない未成年だった。そして…。だが、我々はそうはいかない。ラティーナにここに住めと言った手前、ここが住める状態では無いとは言えない。他に邸宅を借りるわけにも行かない」
彼女は当主だとは言えなかった。
エーチェはわんわん声をたてて幼子の様に泣いた。屋敷から連れて来たメイド三名も、この屋敷の惨状に閉口している。調べてみると、使えそうな部屋は3部屋しかない為、慌て他の部屋を掃除している。エーチェはメイドより侍女を連れて来たがっていたが、メイドで正解だ。侍女に洗濯や掃除などさせられない。下男が食材の買い出しに行ったが、渡した金額の少なさに驚いていた。
ここでの生活費は、ラティーナに渡していた生活費同額の年金と私が城から貰う手当だ。ラティーナに渡していたお金は、月に金貨1枚。ここから、侍女の給金も支払うようにと言ってあった。城での仕事は、月に2回、ルーン文字をジョゼフ殿下に教えに行く。私に高度な知識がある訳ではない為、この手当は微々たるものだが、今となっては有り難かった。
「いつまでこんな所に居なきゃならないの!」
涙に濡れた瞳でエーチェは縋るように子爵を見上げる。
「分からん。本来なら、クリスマスが終われば領地へ帰るのが慣例だが…取り敢えず、ラティーナの祝いの夜会には本邸に帰れる」
ラティーナがこの屋敷にいる間、私は領地へ帰る為の馬車すら出してやらなかった。あの子が、私達の為に馬車を用意して、領地の屋敷に部屋を準備してくれるかはわからない。
「そうですわね。あっ、ドレスのデザイン画を見に行かなきゃ。デザイナーに頼んでいたんだったわ。明日、ロッセへ行ってきますわね、お父様」
気を取り直し、笑顔を見せるエーチェにホッとしつつも、馬車すらないことに気が付いた。
くそ、辻馬車に乗ら無ければならないのか!
比較的綺麗な部屋の一室の椅子に座り、これからどうしたら良いか考えあぐねっていると、メイドが困り顔で入って来た。よく話を聞くと、薪も炭も無いという。裏の井戸も長らく使用した形跡が無く、使うなら、上澄みを汲み出さなければ、掃除の水くらいにしか使えないと訴えてきた。
ラティーナはどうしていたのだ。ああ、彼奴は侯爵家の娘の子、魔力が多く魔法が得意だったな。薪を使わずとも火を燃やし続けることも、井戸を使わずとも、充分な量の水を出すことも可能だったか。クソ、私にそこまでの魔力は無し、エーチェの力など微々たるものだろう。魔法が使えるのかどうかも正直怪しい。
「わかった。下男が返って来たら、井戸さらいをさせる。至急、今日過ごせるようにだけ整えてくれ、火種もないだろから、火が必要な時は遠慮なく言ってくれ」
ある程度綺麗になったらクリーン魔法をかければ、井戸は使えるようになるだろう。
子爵は屋敷の損傷具合を確認する為、各部屋を回る。
ここで冬を越さねばならならないなら、至急、屋敷に手を入れる必要がある。王都の冬は厳しい。せめて、破れた窓や、隙間風の入る壁、雨漏りの跡のある天井の修理は急務だな。ラティーナはどうやってこの屋敷で冬を越したのだ?乳母は年老いている。それなりの準備が必要だ。
オルロフ伯爵さえ、しゃしゃり出てこなければこんなことにならなかったのだ!エーチェにラティーナの装飾品を使わせたのが失敗だった。あれだけは手を出さないように、きつく言い含めるべきだった。ラティーナ、オルロフ伯爵を味方につけたからといって、調子に乗りやがって!黒い噂のある人物だ、叩けば埃くらい出るだろ。クソ、見ていろ、このまますんなりいくとは思うなよ!
「お父様、良い事を思いつきましたわ!」
新たな自室で落ち込んでいるものだと思われたエーチェが、泣き腫らした目のまま笑顔を浮かべ、浮かれた足取りで部屋へ入って来た。
「どうしたんだい、騒々しい」
口では咎めるも、可愛い娘の笑顔に幾分心を慰められたクラン子爵は、エーチェの為に椅子を引いてやる。
「お姉様が亡くなればいいんですわよね?そうしたら、私達は今まで通り暮らせるのでしょう?」
「実は、そう簡単ではないんだ。ラティーナの後見人がオルロフ伯爵な以上、ラティーナが死ねば、ラティーナの資産は全てオルロフ伯爵が引き継ぐことになる。前に話した通り、クラン子爵の資産はラティーナの母親の名義だ。我々にその権利は無い」
クラン子爵は顔を歪め絞り出すようにそう言うと、卓を拳で力任せに叩いた。古くなり、手入れの行き届いていない卓はギシッと不穏な音をたてた。
「なら、私がお姉様の婚約者であるソコロフ卿に、好意を持って貰うしか方法はないのですね」
「そうだな。上手く立ち回り、同情を買い、今のこの惨状を伝えれば、温情でお前が良き嫁ぎ先が見つかるまでクラン子爵家で面倒を見て貰え、ここよりマシな別邸で暮らせるかもしれん」
ラティーナよりエーチェの方が魅力的だ。今迄の男達ように直ぐにエーチェに心惹かれるだろう。なあに、当初の予定と何ら変わらないじゃないか、ただ、男が見目の良い扱い易い男爵家の三男から、厳つい、いかにも武人といった侯爵家の次男になっただけだ。婿殿の扱いが難しくなったのが難点だが、エーチェが上手く舵取りを行うだろう。
「ソコロフ卿はどんな方ですの?お父様は会ったことがありますか?」
「ああ、少しだがな。いかにも、軍人という方だった。体格は良く背も高い。眼光が鋭く無口で武骨なイメージだが、気心の知れた仲間達とは気安い。私が知っていることはこれくらいだ。ああ、ギルド長になられる方だ」
ソコロフ家は代々第二騎士団を率い、冒険者ギルド纏めている。ゆくゆくは、長男が第二騎士団を率い、次男がギルドを取り纏める。
「ギルド長って、冒険者ギルドで一番偉い方ですよね?」
「ああそうだ」
「なら、あまり家にはお戻りにならないですよね?」
「ああ、そうだな」
「ソコロフ卿が夫になれば、肉屋の娘に見下されることもないわ。なんなら、彼女が冒険者達から見放されるように仕向けることも出来るじゃない」
小さくつぶやいたエーチェの声は、クラン子爵の耳に入らなかった。
「何が言ったか?」
「独り言ですわ。あまり帰っていらっしゃらないのであれば、好みの方でなくても上手くやれそうだなと思いまして」
なるほど、長期であれば好意を持っていないことがバレリスクも高いが、短い期間ならボロも出にくい。
クラン子爵とエーチェは、綿密にソコロフ卿を籠絡させる計画を練った。




