雨中の堰
明け方近くから、雨が降り始めた。
水門を開けて水を引く計画も、たぶん延期だろう。別に今日どうしてもしなければいけないものでもない。
ゲミュートリッヒに限らず、こちらの世界で荒天時にわざわざ外に出るひとは少ないようだしな。止むを得ず移動しなければいけない商人や、作戦中の兵士くらいだ。俺たちは、そのどちらでもない。
「今日はゆっくりしようか。お客さんも来ないだろ」
「おう、ミーチャー」
言ってる端から来たよ。まだ昼にもなってないのに。
誰かと思えばエーデルバーデンから一緒に来たドワーフのコーエルさんだ。
「ティカ隊長が町のドワーフ連中と出てったけど、なんか聞いてるか?」
「聞いてないですね。出てったって、どこに?」
「裏門からだから、たぶん湖だ。水路に何かあったのかと思って」
そういやコーエルさん、外壁と外堀の工事のとき、最初は交代要員で参加してた記憶があるんだけど。打ち上げの飲み放題パーティのときはいなかったな。
「ああ、あれな。手を貸したのは初日だけだ」
俺の質問に、コーエルさんは苦笑して答える。
工事用重機にどハマりしていた古株ドワーフ組に遠慮して、エーデルバーデンから来た新規ドワーフ組は工事スタッフから外れたのだそうな。
「初めてモーリスとかブレンに触れたときは、俺たちも夢中になったからな。気持ちはわかる」
「いまは、みなさんどうしてるんですか?」
ヘイゼルの疑問は、俺も気になった。ゲミュートリッヒに着いて以来、あれこれバタバタしていたこともあって、エーデルバーデン組をあまり見かけてない。
「マドフ爺さんと俺は、鍛冶屋のドワーフを手伝ってる。若いのは、ドワーフに限らず孤児院で読み書きを教わってるぞ」
なるほど。彼らもこの町でそれぞれの再スタートを切っているわけだ。
「それは結構だけど、ティカ隊長たちが気になるな。ちょっと見に行ってみようか」
「ミーチャさん、モーリスを出しましょうか?」
ヘイゼルの提案を受け入れて、トラックで出ることにした。さすがに雨のなかを湖まで歩きたくはない。
荒事もないだろうと判断して、エルミとヘイゼルには店で留守番を頼んでおいた。念のためショルダーホルスターにブローニングHPだけは持つ。これで倒せない敵なら、一目散に逃げ帰るだけだ。
「気を付けてくださいね。何かあったら声を掛けてもらえれば聞こえるはずです」
コーエルさんと車に乗り込む俺に、小さな声でヘイゼルが言う。たぶん念話の到達距離のことだろう。緊急事態では頼むかもしれないとだけ伝えておく。
「ミーチャ、表門から出よう。向こうはまだ開いてるはずだ」
「了解」
衛兵詰所のある南側の門に向かう。雨は朝方より激しくなってきたようだ。通りは水溜りができていて、出歩くひともいない。
「西には水路がある。東から回り込んだ方がいいぞ」
「了解」
詰所前で衛兵に手を振って、正門を出る。外堀に掛かった石橋を渡った後、ぐるっと東に回り込んでから湖のある北へと向かう。前に湖まで行った町の西を回るルートは、いま外堀と溜め池をつなぐ水路で分断されている。木の橋は掛かっているが徒歩の人間用だ。モーリスの巨体では通過できない。
「改めて感じるけど、濡れずに動けるってのは楽なもんだな」
「まあ、幌付きの馬車でも濡れますからね」
フロントガラスでは、旧式のワイパーがのんびりした音で視界を作る。
晴れた日には灌木混じりの牧草地という感じだったのが、いま目の前に広がる光景は湿地帯のようだ。
水溜りは深さがわからないので可能な限り回避。土の上でもかなり泥濘んでいるが、全輪駆動のモーリスはスタックする様子もなくグイグイと前進する。スピードはさほどでもないが、悪路の走破性はなかなかのものだ。
「外堀にも水路にも水が入ってるな。雨水にしちゃ多い。もう水門を開いたのか?」
「何もこんな日にやらなくても良いと思いますがね」
しばらく走ると、煙る景色の奥にうっすらと湖面らしきものが見えてきた。コーエルさんから水門の位置を聞いて、そちらに向かう。どのみち水路は越えられないのでルートの選択肢はほとんどない。
「あれは、ティカ隊長ですかね」
「そうみたいだな。……あれ、なにしてんだ?」
ゲミュートリッヒの先住ドワーフ……というか獣人と人間も含む外壁&外堀作業チームか。打ち上げに参加して七人とティカ隊長が、水門の周りに集まって何やら作業をしてるようだ。
「ミーチャ!」
こちらに気付いたティカ隊長が手を振って何かをアピールしてくる。危機感はなさそうなので、そう大きな問題でもないだろう。車で近付くに連れて、彼らの対処している問題がわかってきた。
水門を開け閉めする可動部分に、巨大な魔物の死骸が突き刺さっていた。
【作者からのお願い】
雨とか雪とか荒天の日に運転するのわりと好きだったんですが、いっぺんエラいことになりかけたので最近は自重してます。
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