フェンス&ディフェンス
その日の夕方。俺たちはゲミュートリッヒの顧客リサーチを兼ねて、酒を試験的に購入してみることになった。
「では、最初は淡色麦芽エールとウィスキーでよろしいですか?」
「そうだな。エルミに聞いた限り、こっちのひとたちが飲んでるのもエールと果実酒と蒸留酒くらいらしいし」
「エーデルバーデンでは、そうだったのニャ」
ウィスキーは百八十リットルの木樽でひとつと、七百ミリリットルのボトル入りを四ケース九十六本。
エールは瓶で三十ケース七百二十本。冷暗所もない店舗では温度管理できないので、保管に気を遣う樽は避けた。蒸留酒はともかく、醸造酒は少しずつ仕入れての様子見だ。林檎酒ってのも興味はあるけど、さらに管理に気を遣いそうなので味見程度にひとケース二十四本だけ。
「潰れた醸造所ごと購入することも可能なのですが、こちらとは原材料とインフラが違うので、生産を軌道に乗せるのに最低でも一年くらいは掛かります」
「待て待て待て。そこまでは要らん。百人ちょいの町にある酒場だぞ?」
楽して暮らしたいがための店舗経営なのに、本格的に酒類製造を始めたら本末転倒だ。
「では、食器類と酒肴用保存食を含めて、初回購入は合計十一万円強になります」
「うん、頼む」
倉庫にしようと思っていた店舗脇の小部屋に、見るみる木箱と段ボール箱が積み重なってゆく。三十四ケースって、けっこうな量だな。
ウィスキーの大樽は注ぎ口を付け、ディスプレイ兼用のサーバーとして店のカウンター内に置いてもらう。
ついでなのでカウンター内の棚にグラスとボトルを並べてみた。
ウィスキーは二種類、イギリスで標準的エールらしいビターというのは四種類ある。並べると瓶やラベルがカラフルで、なかなか見栄えがする。ガラーンとしていた空き店舗が、いきなり酒場っぽくなった感じだ。
「ところでエルミ、酒は飲めるの?」
ネコ耳娘はぶんぶんと首を振る。
「ちょっと飲んだらニャーッてなって、すぐ寝ちゃうのニャ」
「俺も実は、ほとんど飲めん。ヘイゼルは?」
「わたしは、状態異常に掛かると拒絶されますので」
「ダメじゃん。誰も酒飲めない酒場の従業員……」
まあ、いっか。飲ませるのは仕事だけど、俺らが飲む必要はないしな。
入り口でカランコロンとカウベルが鳴って、店にティカ隊長が入ってきた。
「ミーチャ、ちょっといいか……って、なんだこの音」
「ああ、お客さんが来たのを知らせる鐘。面白いかなと思って付けてみた。うるさいようなら、外すよ」
「いや、あたしは嫌いじゃないぞ?」
すっかり酒場っぽくなった店内を見渡して、ティカ隊長は感心した声を出す。
仕事での訪問とはいえ、この店の最初のお客だ。届いたばかりの保存食セットのなかからチョコレートと全粒粉ビスケットを出し、お茶を煎れてもてなす。
自称ブリテンなメイド娘が煎れたイギリス製の紅茶だ。茶葉はPGティップスっていう庶民用のティーバッグだけどな。
「ほう、このお茶は美味いな」
「うん、ヘイゼルちゃん美味しいのニャ」
「光栄です」
本場英国の紅茶が好評で、ヘイゼルは満足げだ。俺も飲んでみたが、ティーバッグとは思えないほど美味い。日本で飲んだのより味わいが濃い感じ。淹れ方が良いのかな。
茶菓子も好評で、甘さと美味さでトローンとなったティカ隊長は来訪の用件を忘れそうになってた。
「あたしは酒より、こっちの方が幸せだ」
ちなみに、このマルチタスク美少女な衛兵隊長さんも、あんまり酒は好きじゃないのだそうな。
「ドワーフは酒好きっていうイメージあるけど、お爺ちゃんたちだけなのか?」
「知らん。味もそうだが、あの正気を失う感じがな。どうにも立場的に落ち着かん」
真面目か。
衛兵とか二十四時間営業みたいなもんだから、気を抜くのに抵抗があるのはわかる。たまには息抜きも必要だと思うんだけどな。
「それじゃ話を戻すぞ。ミーチャたちに頼みがあって来たんだ。町の外壁を補強するのに良い手はないかな?」
「いまの木柵じゃ防ぎ切れない敵が来るってことか?」
「それは、もう何度も来てる。魔物も兵士も野盗も大型の獣もな。いままでは住民が力を合わせて排除して来たが、外壁の痛みはそろそろ限界だ。どうせ改修するなら補強もしたい。アンタたち、あの……“さらせん”? あんなもんを手に入れられるなら、なにか上手い手段を知らないかと思ってな」
「ヘイゼル、英国式築城術みたいのないのか」
「当然ありますが、この町ほどの規模では何年も掛かります。それと、戦乱期の技術なので、かなり暮らしにくくなります」
なるほどね。俺の知ってるイギリスの城って、ほとんど地形依存の山城だったしな。
「現実的なところでは、外壁の強化と外堀の整備でしょう。セメントならトン単位で入手できますし、JCBのバックホーローダーも、いくつか在庫がありましたから」
ヘイゼルの言葉に、ティカ隊長は首を傾げる。
俺も後半は、いまひとつ単語を理解していない。エルミはそもそも会話を聞いてもいない。カリコリと幸せそうにビスケットを齧っている姿は可愛いが、それはともかく……
「JCBって?」
「……まさか、ミーチャさんともあろうお方が、ご存じないですか。JCバンフォード・エクスカベイターズ。イギリスが誇る建設機械メーカーですが」
「ああ……うん。ごめん、知らない。あと、なんだかローダーってのも、たぶん建設用重機なんだろうなというくらいしかわからん」
急にヘコんだヘイゼルから“たしかに世界シェア首位のキャタピラやコマツに比べればマイナーかも知れないですが……”などと嘆かれた。
すまん、日本で暮らす限り、その二社以外の重機を見かけることはないんだ。
資金は町の予算から提供されるようなので、金額交渉だけして取引の承諾をする。DSDの購入資格者は俺だけのため、ヘイゼルの独断では購入も換金もできないのだそうな。知らんかった。
どうやら外壁改修の予算内で、機材が調達できそうだ。作業自体は、町の住民で手分けして行うことになる。
「では、明日の朝一番に機材の引き渡しと簡単なレクチャーを行います。機材の操作担当と管理の責任者を決めておいていただけますか?」
「ああ、それなら決まってる。工事の責任者は、あたしだ」
「「……え」」
「たぶん操作担当もな」
「「えーッ⁉︎」」
……ティカ隊長、なんぼなんでも色々と引き受けすぎじゃないですかね?
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