アフター・ザ・ストーム
夜明け前の暗がりのなか、俺たちはぬかるんだ道をノロノロと走り続けていた。
……というよりも、ノロノロとしか走れなかったのだ。嵐の後の道は水捌けなどまったく望めず、目の前には見渡す限りの水面が広がっている。
「右側は水深がありそうです。少し揺れますが、真っ直ぐ行きましょう」
視界も操作性も椅子も劣悪な装軌式装甲車の運転はさすがに疲れたので、嵐が去った後でランドローバーに乗り換えた。非武装のショートボディ型は車体が軽くて楽チンだ。屋根付きだから雨も泥水も入ってこないし、シュノーケル付きだから水たまりも安心。派手に揺れるけどな。
ときおり茂みで獣か魔物か、ヘッドライトの光に照らし出された生き物が目を光らせてこちらを窺っているのが見えた。もしかしたら人間かも知れないので、攻撃はせずに通過する。
「雨風も止んできたが、飛んで帰らんのか?」
後部座席の水龍娘が、不満というより不思議そうな顔で訊いてくる。前に汎用ヘリに乗っているので、わざわざ地べたを進む必要はないと考えたんだろう。まあ、それは正しい。
「あの乗り物な、暗いときは飛べない……というか、危ないから飛ばない方が良いんだってさ」
「落ちるのか」
「暗いからといって落ちはしないですが、ぶつかることはありますね。木とか、岩とか、山とかに」
それは、結果的に落ちるわけだな。ヘイゼルの説明で、マルテは納得したようだ。敵は一掃して、後は帰るだけだ。急いでいるわけでもないので、無駄なリスクを背負いたくはない。ここが荒廃しきった敵地じゃなかったら、どこぞで一泊して朝から移動でも良かったくらいだ。
「すぅ……すう……」
ザブザブと水を掻き分けて進むランドローバーの後部座席で、真王クエイルはぐっすり眠っている。疲れているのか肝が据わっているのか。こんな船のように揺れ続けるなかで寝られるなら寝てても全然構わないのだが、座ったまま直立姿勢を維持してるのが不思議な感じ。
「こいつは姿勢制御装置でも付いてるのか?」
「魔導師には、よくいますね」
「そうなの?」
「空間認識と座標把握が習い性になっているせいか、外的要因で振られると揺り戻すような動きをするんです」
水龍娘マルテはといえば、そんな話には興味がないようで、ヘイゼルからもらったマクビティかなんかを美味そうにボリボリと齧っていた。水龍は外在魔素だけで生命を維持できるから食事の必要はないと聞いたんだけど、楽しみとしての栄養摂取はする――というか、むしろ好んでいるようだ。往路の休憩でもサンドウィッチを頬張ってたもんな。
「ヘイゼル、いまどのへん?」
「だいたい、王国北部と王国東南とアイルヘルン中西部を結んだ中心のあたりですね」
となると、マルテ湖に戻るわけだから……直線で百キロやそこらか。道なりに行けば1.5倍くらい、迂回路しだいではそれ以上ありそう。
「まだ結構かかりそうだな。いっぺん休憩するか」
「そうですね。左側の道を進めば少し高台に出られそうです」
ヘイゼルに言われるまま進路を取ると、ゆるい傾斜の先に車を停められそうな場所が見えてきた。王国北部からアイルヘルンにかけての地形に高低差はあまりないから、高台といっても地面が露出している程度の丘だ。ここまでの道程はずっと360度がドロドロのビッチョビチョだったので、いま求めているのは休憩で足を降ろせる地面だ。
「そこで停めてください。あの倒木から先は、たぶん崩れます」
ここなら安全と言われた場所で停車して、車を降りる。ずっと運転し続けてきたので背筋も肩も凝っているし、エンジン音を聞き続けたせいで耳鳴りがしてる。船を降りたときみたいな、身体が揺れてるような感覚もある。
でもまあ、気持ちはリラックスしてる。なにかをやり遂げたような安堵感と、修羅場を越えたおかしな興奮の名残とで眠気はあまり感じない。
「ふわぁ…………あ?」
降りてきたマルテが伸びをした姿勢のまま、空を指さす。
「どした?」
水龍娘が指す方向に目をやると、明るくなり始めた暁の空を、不思議な鳥が飛んでいくのが見えた。大きな黒い翼を優雅に羽ばかせて。紫に染まった東雲を背景に、青白い魔力光を煌めかせて。抱えた仔猫をぷらーんとぶら下げて。
「なんでまたこんなときに、こんなところにいるのやら」
マチルダとエルミのふたりは幸せそうに寄り添いながら、ゆっくりと東へと向かっていた。
「呼んでみますか?」
念のため、という感じでヘイゼルが訊いてくる。
遠ざかってゆく彼らは、声を掛けるには少し遠い。魔導通信器はあるし、たぶん他の方法もある。でも、それはあまりに無粋な気がした。
「……いや、邪魔しないでおこう」
ヘイゼルも同意したように頷き、あっという間にテーブルとティーセットを用意してくれた。
「わたしたちだけでなく、あのふたりにも色々あったんでしょうね」
「そだな」
彼女たちになにがあったのかは知らんけど、仲睦まじく飛んでゆく後ろ姿からして、それは悪くない結末になったようだ。ゲミュートリッヒに帰った後、お互いに土産話をするのが楽しみだ。
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