(閑話)光る空
エルミはマチルダに抱えられて、ぐんぐんと空を昇ってゆく。胸が小さくきゅんと鳴って、身体の芯が熱くなる感覚。何度も何度も体験しているのに、いまでも慣れない。慣れたくない。なにもかもを地上に残して、ふたりだけで高みへと昇り詰める感覚。甘く美しく胸躍る興奮でありながらも、どこか眠りや死にも似た喪失も感じるのが不思議だった。
嵐の前触れで吹き荒れていた風も、地上を真っ暗に覆っていた黒い低雲も、マチルダの翼があっという間に、眼下へと置き去りにしてしまった。
雲の上へと飛び出したエルミは、あまりに眩い陽光に思わず息を呑む。
「どうダ、エルミ」
耳元で聞こえる、マチルダの弾んだ声。柔らかなビブラートに合わせて、胸の奥が震える。ふたりの魔力が循環しているせいだろうと、エルミは素直に受け入れる。
潤沢ではあるが静謐なエルミの体内魔力は、鋭く鮮烈で強大なマチルダの体内魔力と混じり合うことでゆっくりと循環を始める。深淵の水が攪拌されて渦を巻き、下流へと溢れさせるように。
それはエルミにとって、初めての経験だった。見えていなかったものを知覚する感覚。淀んでいた気持ちが行く先を見つけたような。目指すべき道を見出したような。安堵とも恍惚ともつかない感覚。その思いはマチルダに伝わり、共有される。
「……とっても、キレイなのニャ」
魔力循環を行うふたりの間には、本人たちにしか見えないほど微かな魔力光の細片がキラキラと輝きながら舞い散っている。
マチルダに流れ込んだエルミの魔力はマチルダの魔力と混じり合い、魔族の強靭な魔力回路を通じて翼を形成、膨大な魔力消費と引き換えに高度な飛行魔法を展開する。ふたりの魔力は飛行を実行すると同時に再びエルミへと流れ込み、手を取り合うように飛行の制御を行う。
エルミはマチルダにとっての特別で、マチルダはエルミにとっての特別なんだという確信。
マチルダが新しく編み出した魔法で、薄い魔導防壁を展開しているために風も寒さも感じない。見渡す限り、目に入るのは空と雲と太陽だけ。聞こえるのはお互いの声と息遣い。防壁を抜ける、わずかな風の音だけ。
この世界で、ふたりきりになったみたいだ。
「ふたりナら、どこまデでも、行けル」
エルミは黙ったまま、自分を抱えるマチルダの手に触れた。気持ちは通じている。魔力と一緒に、心までつながっている感覚。
ずっと狭い世界で、息苦しい壁に阻まれて。どこにも行けなかった。行けるなんて思ったこともなかった。空はずっと、雨や風や夜の帳をもたらす苦難と制限の象徴でしかなかった。
「ウチは、知らなかったニャ」
空がこんなに広いんだってことも。雲や風が触れられるほどの輪郭を持っていることも。
世界がこんなに、美しいんだってことも。
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