クァグマイア
「装軌車輛で正解でしたね」
「まったくだ」
軍用の大型オフロードタイヤを履いた装甲車なら装輪車輛でもどうにかなるんじゃないか、なんて思わなかったわけではない。でも、アイルヘルンと王国の間にある緩衝地帯……というよりも無人地帯というべきか、両国ともに人が住まない土地は住まないだけの理由があったのだ。こんなところに、人が住めるわけがない。
山間の道に入ると、一面が泥の河になってゆく手を阻む。道の左右の森からはひっきりなしに濁流が流れ出し、土砂崩れで溢れた岩や樹木が道を塞ぐ。
雨のなかをうろつく動物や魔物が、近づく謎の乗り物を見て逃げ惑い、あるいは襲い掛かってくる。相手をしている暇はないので、無視して前に進むだけだ。
ストーマー装甲車の巨体は向かってきたオークやらゴブリンやらを呆気なく弾き飛ばし、押し倒して轢き潰す。その数は優に五十を超えた。魔物を倒してレベルアップするような世界だったら、俺はいまごろ勇者にでもなっていたに違いない。
「進路そのまま、右側の道は崩れ始めてますので、ストーマーの車重を支えきれません」
「了、解……ッ⁉」
ズルリと車体が横滑りしながらも、無限軌道が泥濘を噛んで喘ぐように前進を続ける。あのまま横滑りしていったら、崩れるという右の道まで押し出されて断崖絶壁から真っ逆さまだ。
心臓をバクバク言わせながら、俺は必死に運転を続けた。
「狭い山道はッ、心臓に悪いッ」
「あと数マイルで山間部は抜けますよ」
山間部は、っていうのが気になるものの、話している余裕はない。
後部コンパートメントでずっと静かに座っていた水龍娘が、ここにきて声を掛けてきた。
「ミーチャ、この先にある河は渡れんぞ」
「河? そんなものがあるのか」
小さな除き窓から見る外の景色はすべてが水面みたいになっていて、どれが河なのかもわからない。
地形をスキャンでもしていたのか、少し間を開けてヘイゼルが俺に言った。
「臨時の河、といったところですね。ふだんはただの谷間です」
滑りやすい坂道をしばらく下っていくと、目の前で轟々と音を立てて濁流が流れていた。対岸までは数百メートル。どこにも橋など掛かっていないし、あったところで装甲車が渡れたりはしないだろう。
「となると、ここで行き止まりか」
「なに、問題ない。ヘイゼル、この乗り物を仕舞えるか」
マルテは素早く服を脱ぎ捨て、外に出ると水龍の姿になった。自分の背中を指して、俺たちを手招きする。それ、もしかして……
「さあ、早く乗れ」
「だよねー」
わかる。それが最適解なんだろうとは思う。でも、大丈夫なのか? 水龍の背中って、柔らかそうな背びれ以外つかまるとこがあるわけじゃなし、肌は龍鱗とでもいうのかすべすべしてキレイだけどメチャクチャ滑りやすそうだ。
「心配するな。ちゃんと落ちんようにしてやる」
「ホントに?」
半信半疑で腰が引けている俺と違って、ヘイゼルとクエイルは覚悟を決めたようだ。水龍の背に乗ってギュッとホールドの構え。
「早くしろ、ミーチャ。おかしな気配がする。流れてくる水も減り始めている」
「それは、良いことなんじゃ……」
「雨は変わらず降り続けていて、流れが弱まるのはありえん」
マルテが言うには、上流で土砂か流木かによって水が堰き止められているからだという。押さえてきたものが限界を超えると、溜まっていた水ごと一気に下流に向かってくる。
「あちこちから揺れを感じる。このままでは山ごと崩れかねんぞ」
「ミーチャさん、乗ってください」
ヘイゼルにも言われて、俺もマルテの背に乗った。平和ボケ日本人である俺は、こういう危機管理装置のないチャレンジはマジで怖いんだが、背に腹は代えられん。
俺たちが乗ったのを確認すると、マルテはするすると濁流に入っていく。魔法の一種なのか水龍の特殊スキルなのか、渦巻く濁流を横切りながらもマルテは下流に押し流されることなく着実に対岸へと進んでいく。さすがに飛沫は被るものの、背中に乗った俺たちは水に浸かることはなく、振り落とされそうな感じもしない。
「……おい、なんだ、あいつらは?」
マルテの声で顔を上げ、横殴りの雨を透かして対岸を見る。岸に流れ着いた岩やら流木やらの陰に、こちらを窺っている人影があった。マルテもヘイゼルも身構えてはいないので、兵士や魔物ではないようだ。
「おそらく、王国の避難民ですね」
俺たちと逆のルートで、王国からアイルヘルンに抜けようとして足止めを喰らったのか。仮にここを越えられたとしても、魔物だらけの難所続きだ。生身で徒歩だと生きて人里までたどり着けないと思うが。
近づいてくる水龍を見て、彼らは逃げるでも隠れるでもなく膝をついて祈り始めた。水の際まで出てきた爺ちゃんが、周囲の人たちを振り返ってマルテを指さす。
「おお、見よ! やはり、言い伝えの通りじゃ!」」
「ん?」
「この嵐は、水龍様の怒りなんじゃああ……!」
「わしは、そんなもん知らんぞ⁉」
対岸に上がった俺たちは、必死で祈る彼らの横を抜けて再び装甲車に乗り換える。
まずは頑張ってくれたマルテに、後部コンパートメントで身体を拭いて乾いた服に着替えてもらおう。そちらはヘイゼルに任せて、俺とクエイルはその間に避難民たちのところに向かう。
見ればヨレヨレの爺ちゃんと、丸腰で子供連れの中年男女の集団だ。敵国とはいえ、一般人が不幸になるのを見過ごす気にはなれん。
「お前たち、どこまで行くつもりだ?」
「おお、水龍の御使いさま!」
「そんな大層な者じゃないぞ。水龍殿は近所に棲んでいる、ただの隣人だ」
「なんと! 水龍の棲み処におわす方々とは!」
「それは……まあ間違ってはいないんだが、なにか勘違いしてるのではないかな」
クエイルが声を掛けたが、どうにも会話が噛み合わない。こればっかりは、爺ちゃんらが悪いとも言えん。単なる事実を言っているだけなのに、横で聞いてても嘘臭いもんな。
「どうか! どうか水龍様のお怒りを、お鎮めください!」
「鎮めるもなにも、水龍殿は怒ってなどいない。これは、ただの嵐だ」
むしろ怒りを鎮めなければいけないとしたら水龍様の着替えを手伝っているメイドの方なんですが、ここで言ったところで始まらない。
いつまでも付き合ってはいられないので、急に増水する可能性があるので水辺から離れるように伝える。もし水が引いてもこの河を渡れたとしても、この先は危険なので絶対に生き延びられないと釘を刺しておく。
「水龍様のお怒りをお鎮めください……どうか、どうか……!」
どうにも聞いてくれないとわかって、クエイルは俺に目配せをしてきた。嘘も方便、とうなずいて俺は重々しい口調で告げる。
「それは聞けぬ」
「えっ⁉」
「水龍様は、王国に巣食う賊どもを誅伐するために参られたのだ。奴らを喰らい尽くすまで、その怒りは誰にも止められぬ!」
「「おおぉ」」
「明日には嵐は去り、賊どもも消え去る。そして空とともに、水龍様の怒りも晴れよう」
「「おおおおおぉ……!」」
「水龍様は、民が災いに巻き込まれることを望まん。嵐が過ぎたら、元来た道を戻るがいい。賊が討ち取られた国で、幸せに暮らすのだ!」
「「「おおおおおおおおおおぉ……‼」」」
なんかアドリブで論旨がグダグダになったけど、爺ちゃんと連れの人たちは疲れてるのか素直に受け入れてくれたみたいだ。やっぱ演出って、大事。
避難民と別れて装甲車に向かっていると、クエイルが感心した顔で俺を見た。
「ミーチャ殿には、政治の才があるようだな」
ないわ。自称とはいえ王様がそれを言うな。
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