嵐の到来
“隷従の首飾り”を嵌められた死兵集団は、王都から二十五キロほど離れたラングナス公爵の別邸を根城にしているらしい。俺たちが前に、クレイメア王女を救出した屋敷だ。反王家派閥のボスである公爵は、王城とともに砕け散った。ルコアたちはその空き家を占拠したようだが、歩兵を含む軍集団が王都への襲撃を行うには微妙に遠い。前に襲ってきてから九日が経っているので、そろそろ次の襲撃があると住人たちは恐慌状態になっているという。
生贄志願の女性陣と付き添いの男性たちには、王都に戻るよう伝えた。可能な限り通達を出し、嵐が行き過ぎるまで建物のなかで息を殺しておくようにと。
避難できる先があるのならばともかく、一万人近いという王都の住人を収容できるような後背地はない。であれば、邪魔にならず被害を受けないように祈りながら隠れているしかないのだ。
西の空では、黒い雲が重く立ち込め広がり始めていた。建設中の新王都に戻るパトロールボートのデッキで、操舵室のヘイゼルが振り返って笑う。
「……荒れそうですね」
「そうだな」
「ああ、被害が少なければ良いが」
他人事にしか聞こえないヘイゼルの二重の意味表現に、平坦な声で返す俺とクエイル。水龍娘のマルテはといえば、チベットスナギツネみたいな顔で度し難いとばかりに首を振る。
どこで嵐をやり過ごすべきか迷っているようだが……天候的な意味で言えば、なにも問題はない。水龍である彼女は、水中に戻ればいいだけだ。問題は物理的な嵐の方だが、こちらもマルテには被害も出ないし関わる義理もない。
とはいえ根が優しいマルテは、ここまできて知らぬ存ぜぬと放り出すのも忍びないと考えているらしい。
「東岸に敵が来ることはなさそうなのか?」
「ないな。王国側からあそこまで陸路で来るのは、とてつもなく面倒臭い。来たところで得るものはないし、こちらとしても百や二百の敵なら問題ない」
爺ちゃんたちはリー・エンフィールド小銃を三挺とブレン軽機関銃を一挺、持ち込んでいる。さらには街の周囲にある石造りの遺跡跡を、非常時の銃座になるよう改装が加えてあった。
「どうかしとる」
そうね。俺も同感だ。でもマルテと同じように……いやそれ以上に、もう身を引くにはあまりにも関わりすぎてしまった。暴風雨を逃れるには台風の目に入るしかない、なんて考えているわけではない。そして、被害を逃れられるなんて信じてもいない。
始めたことは終わらせなきゃいけない。たとえそれが、被害者としてであっても、だ。
「ただいま」
対岸のアクアーニア跡に戻ったときには、早くも雨粒が落ち始めていた。新王都建設チームのみんなも作業を中断して、嵐に備えて建物の補強を確認している。
「おお、嬢ちゃん。貢物の願いごとはなんじゃった?」
パトロールボートを降りて収納すると、マドフ爺ちゃんが声を掛けてきた。少女姿のマルテが、ウンザリ顔で溜め息を吐く。
「王国を荒らす賊の討伐だ。わしへの人身御供を願い出よったんで、怒鳴りつけて家に帰らしてやったがな」
「それはそれは、大変じゃの。嬢ちゃんの怒りが嵐を呼んだんじゃなかろうな」
「そんなもんは知らん。わしが怒る前からグズついとったわ」
雨粒は大きくなり、生温かい風も吹きつけてきている。もう汎用ヘリは使わない方がいいだろう。ヘイゼルも同じことを考えていたようで、なにやら悩んでいる。
車はほとんど置いてきたので、移動手段は二台のランドローバーくらい。ショートボディのは快適だけど武装がなく、ロングボディのは重武装だけど屋根もドアもない。
「ミーチャさん。おそらく嵐のなかで戦うことになりますから、車輛を購入させてもらえませんか」
「かまわないよ。どんなものでも好きに買えばいい」
実際、金銭的には青天井だ。前に聞いたときでも二億円以上。そこからどのくらい増えているのか確認してもいないが、酒場稼業も順調すぎるほどに順調だし、予算に困ることはないだろう。
「個人的な興味だけで訊くけど、なにを買うんだ?」
「荒れ狂う者を」
なんて? いや、それはあなたでしょうよ。一瞬なんの話をされているのかわからなかったけど、イギリス軍用車輛の名前なんだと思い直す。ストーマーっていうのは……正直わからん。
「アルヴィス社製の、装軌式装甲車です。そのなかでもストーマー30という、30ミリ機関砲塔を装備した偵察戦闘車型が入荷されていて」
なるほど、たぶんアメリカ軍のM2ブラッドレー歩兵戦闘車とか、自衛隊の89式装甲戦闘車みたいなやつだな。機関砲塔がついて、ちょっと戦車に似たシルエットになってる装甲車。砲も装甲も主力戦車とは比べ物にならないほど弱いが、用途が違うので当たり前だ。その分だけ軽くて、速くて、機敏で、安い。
実際、戦車が存在しないこの世界じゃ敵なしだろう。
「では、購入しますね」
「「おぉ……!」」
目の前に現れたものを見て、クエイルは驚き、マルテは呆れ、マドフ爺ちゃんは目を輝かせる。俺はといえばリアクションに困っていた。
なんかバランスおかしくないか、この車輛。車高が高い上に機関砲塔があるから妙に縦長な感じ。全長が短いことで、さらにその印象を強くしている。
「ヘイゼル、こいつの最高速度はどのくらい?」
「時速80キロ、実用上は70キロ弱でしょう」
これから使う用途としては十分だ。クエイルとマルテは車体後部のハッチから兵員用コンパートメントに乗り込み、ヘイゼルは上部ハッチから機関砲塔に。そして俺は車体左前の上部ハッチから操縦席に収まった。
履帯装備の車輌を運転するのは初めてなので興味津々、そして少し緊張もしている。たしかに嵐のなかなら装輪車輌より頼りになりそうなんだけれども。
「おおぅ……」
さすが装軌車輌、ハンドル代わりのレバーが二本。これを前後に動かすことでその場で回転とかできるんだろうな。
「よし、いったん落ち着こう。……ん?」
内部を見渡して違和感があった。なんだか、意外にキレイだ。いや、意外にではないな。不可解なほどにキレイだ。
「なあ、ヘイゼル。なんでこの車輛、こんなに未使用っぽいんだ? 元いた世界で喪われた車輛なんだよな?」
「機関砲塔型のストーマー30は、試作だけで実戦配備されませんでした。……公式には」
「うおぉーい!」
だからヘイゼルさん、ちょいちょい含みのあるコメントすんのやめてもらえないですかね? 実戦配備されてない試作品なら、なんで喪失したのさ。あの不思議仕様の汎用ヘリみたいに致命的欠陥があるんじゃないかって不安になるんだよ。
「では、雨風も強くなってきましたし、そろそろ参りましょうか」
「スルーしやがった」
ヘイゼルの指示に従ってエンジンを始動。前進後退のギアチェンジと、レバー操作による旋回を覚える。頭ではわかったものの、身体で覚えるまでには時間がかかる。操作に慣れるために、ゆっくり走らせてみることになった。
「焦ることはありません。道に沿って走る必要などないのですから」
せっかく装軌車輛なのだから、立ち塞がるもの全てを踏みつぶし薙ぎ倒して真っ直ぐに進めと。ならず者みたいなこと言い出した。
「このあたりの灌木程度なら、問題なく排除できます。湖に落ちる以外は、なにをしてもけっこうですよ」
「落ちたら乗り物ごと、わしが拾ってやるわ」
呆れながらも笑顔でマルテが言うけれども。沈むときにはお前も車内にいるわけなんだが。車輛ごと拾ってくれる前に、無事に外へと出られるかが生き延びるカギだ。
「そんじゃ、ちょっと出かけてくる」
見送りに来たマドフ爺ちゃんと新王都建設チームのみんなに手を振って、俺たちはストーマー装甲車を北に向ける。雷鳴が響き渡り、凄まじい勢いの豪雨が地面を叩き始めた。
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