ブラインド・アレイ
「おお、ミーチャ。こんなところでなにをしとる」
それはこっちのセリフだ! と思いつつマルテ湖に水龍娘が棲んでるのは、むしろ当然のことか。
ビックリした。俺が振り向いた瞬間に飛び出してくるタイミングとか、ヘイゼルの振り向き指示まで込みで、ベッタベタのホラー映画の間だったわ。
「俺たちは、ここのみんなに荷物を届けに来た。それで……これはなんだ?」
「知らん」
マルテがくわえてきたのは、古びた小さな樽だった。うちの店に据えてある百八十リットル入りウィスキー樽の五分の一……いや、日本酒の一斗樽くらいはあるから十八リットルってところか。
なんでこんなもん持ってきたんだか。
「おかしな連中が、わしを見てこれを投げつけてきた。怒ってやろうと思ったんだが、わしが姿を見せるとひれ伏して拝みだしよった。なんのことかわからんし話を聞こうともせんので、こいつらに訊きにきた」
こいつら、というのはクエイルと愉快な仲間たちだ。彼らが最初に到着したとき、マルテとは会ってちゃんと紹介を済ませている。その後もちょくちょく、魚と食料を交換したりの交流はあったらしい。
「おおかた嬢ちゃんへの貢物じゃろ」
目ざといマドフ爺ちゃんが転がっていた樽を起こすと、栓を抜いて匂いを嗅ぐ。
「こりゃ王国の葡萄酒じゃの。香りからして少しばかり渋そうじゃが、これはこれで悪くないぞ?」
マルテは面倒くさそうに首を振る。自分に向かって投げ込んできた理由はわかったが、酒は要らないとそのまま爺ちゃんたちに引き渡した。酒飲みたちは酒が増えたと大喜びだ。
「なあマルテ、そいつらはどうした?」
「おそらく、いまでも拝んどるぞ。なにがしたいのかサッパリわからん」
マルテは水龍姿のままウンザリ顔で俺を見る。そんな顔されても、そいつらがなにをしたいかなんて俺だってわからんわ。
「対岸、ということは王国民ですね。そのひとたちは兵士ですか?」
「わからん。着ているのはお前らのような服で、男がふたりに女が四人だ」
革鎧やら甲冑やらではなく一般人が着るような服ということか。おまけに半分以上が女性。そんな集団が、よくマルテ湖まで辿り着けたな。
「クエイル、どうした?」
クエイルが険しい顔でマルテを見ているのに気づいて尋ねる。話の流れからして、それはマルテに対しての感情ではなさそうだけれども。
「……“龍への誓盃”だ」
「そこの貢物のことか?」
「ああ。王国の一部に伝わる古い伝承だ。龍に酒と女を献じて、願いを叶えてもらう話なんだが」
「そんな話は知らん。わしは酒など飲まんし、もちろん女も要らんぞ」
マルテがムッとした顔で言う。ふつうの龍は水龍と嗜好が違うのか。それとも龍にもいろいろいるのか。昔の人間が適当な話をでっち上げただけか。なんにしても誤解のもとはわかった。
「なにを願う気か知らんが、えらく思いつめたツラで身なりも相当にくたびれとったからな。滅びかけの王国を救ってくれとかではないか?」
「……水龍殿には、願いを叶えてやる気はないか」
マルテを見るでもなく、平坦な声でクエイルが訊く。
「やるやらん以前に、王国を救う手立てなど知らん。そもそもの原因と関係ないわしに解決を願うのは筋違いではないか?」
たしかにそうだ。それを叶えられるとしたら王国の為政者だが、誰かのせいで、もういない。本来なら唯一の生き残りである王女クレイメア――の替え玉であるアーエル領主の孫娘ソファル――ということになるんだろうが、いまはまだその準備が整っていない。となると……
「……俺が行く」
「いや、なんでだよ」
対岸を見据えながら言い出したクエイルに、俺は思わずツッコんでしまう。お前自身が他人の支援で身を立て直してる真っ最中じゃねえか。仲間はともかく他人のことにまで構ってる余裕なんてないだろうが。
それをやんわりと、ペラッペラのオブラート越しに伝えると真なる王様は真顔でうなずく。
「わかっている。ミーチャ殿の言う通りだ。しかし、たとえ建前でも御輿の札でも、“正統な王位継承者”と名乗っているのなら、避けるわけにはいかんだろう」
真面目で人が良い人間は、やはり政治には向いてないな。
「水龍殿。対岸まで送ってはくれないだろうか」
「……お前は、あいつらを救うというのか? なぜ? どんな理由でだ」
「民の願いを聞くのに理由がいるのか」
「国を興し城を建て政治を整えた後ならともかく、お前は玉座どころか己の食い扶持さえもないではないか」
クエイルはマルテから、俺と同じようなツッコミを受ける。うなずきつつも、自称真王は揺るがない。それは強いからではなく、たぶん強くあろうなどとは思ってもいないからだ。
「あんまりなんでも抱え込もうとするなよ。“クエイル王朝”は登極よりも前に破綻することになるぞ?」
俺が釘を刺すものの、クエイルは真っ直ぐにこちらを見返すだけだ。
「かまわない。俺が途中で倒れようと、ソファルが玉座を引き継いでくれる。だが、ここで民を喪い続ければ、彼女の王朝を支える者がいなくなる」
こいつ、けっこうぶっ壊れてるな。
クエイルの性格を、ちょっと誤解していたかもしれない。人が良いなどという種類のものではなかった。目的のために手段を選ばないやつはいるが、こいつは目的すら選ばない。より多くの者を救える道が他にあるとわかれば、自分を捨てることにも迷いがない殉教者タイプじゃないか?
「ミーチャさん、行ってみましょうか」
「……だな。俺も少し興味が出てきた。クエイル、乗せて行ってやるよ」
マルテが顔を出している湖面の近く、石造りの埠頭にヘイゼルがストレージから船を出す。前にもこの湖で使った、ダーク級高速哨戒艇だ。船体は全長約二十二メートルで幅が約六メートル、十八気筒ディーゼルエンジンで最高速度は約七十四キロを誇る。……らしい。
この船、ディーゼルの煙と臭いがスゴいので、あまりエンジンをブン回したくはない。
「ちょっと出てくる。すぐ戻るので、その間の作業は頼めるか」
クエイルが建設チームのみんなに声を掛ける。誰もが快く引き受けてくれるあたり、人望はあるんだろう。
「仕方がないな。わしが途中まで案内してやろう」
「ああ、頼む」
すいーっと泳ぎ出した水龍のマルテを追って、俺たちは船を発進させる。相変わらず白煙と轟音を撒き散らしながら疾走する高速艇だが、水龍娘はさして急ぐでもなく悠々と先行してゆく。
クエイルがキョロキョロと対岸側を見渡しているのに気づいた。マルテが向かっていく方向とは違うので、なにを探しているのか訊くと地平線あたりに掛かる雲を指す。
「まだ遠いが、夜までには雨になる」
避難生活で生き延びるために、天候を読む知識は必須なのだという。雲の色と厚みと広がり方、空気の湿り気と風の具合。説明されたが俺には違いがわからない。
「もしかして、それで対岸の連中を救おうとしたとか?」
いや違うか。マルテから聞いたときには、空なんか気にしてなかったもんな。
「民は民で、雨は雨だ。晴れていようが救うべきものは救う。嵐であっても見捨てるべきものは見捨てる」
「なんだ、そういう選択もできるのか。王国の民なら誰でも救うつもりなのかと思ってた」
「それほど驕ってはいない。できることと、できないことはある。彼らを救えるかどうかもわからん」
急に弱気になったな。俺がそう言うとクエイルは強張った笑みを浮かべて、小さく息を吐く。
「……すまない、先ほどは少し嘘をついた」
「ウソ?」
「ああ。王国に伝わる“龍への誓盃”というのは、酒と女を献じて、願いを叶えてもらう話ではない」
クエイルは、船の進む先を見ながら俺にだけ聞こえる声で言った。
「四人の生娘を贄として捧げて、龍に仇討ちを願う話だ」
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