アグリ・ファート
「……チッ」
日が傾き始めているなか、エルヴァラ上空を飛行中の操縦席から舌打ちをする音が聞こえた。言うまでもなくヘイゼルのものだ。
副操縦席のナルエルが溜め息を吐く。
「どうかしたか」
「どうかしましたし、どうかしてる奴がお出ましです」
窓から前方を見ると、近づいてくる聖廟の小島に、いくつか人影らしきものがあった。俺には視認できないけれども、そのひとつが農害なんだろう。
「もう、“とー”を叩き込みたい」
「いいですね」
操縦席のふたりからは物騒な会話が聞こえてくる。
“光学追尾有線誘導 ”ミサイルなんて撃ち込んだら聖廟ごとバラバラになっちゃうから、やめようね。
ヘリが高度を下げると、右往左往する衛兵が五人と、仁王立ちしているタリオの姿が見えてきた。なにか怒鳴っているようだが、まったく聞こえんし聞く気もない。
だいたいあいつ、近づいたら回転翼で頭が吹っ飛ぶってことも知らんのだろうけど、大丈夫か?
「わしが行く。ミーチャは、魔珠を頼む」
着陸と同時に、マルテがドアを開けて外に出る。ローターの回転半径にいるうちは、危ないのでマルテの頭を押さえて姿勢を下げさせる。ふんぞり返ってるタリオはギリギリに立ってるけど、正直そのまま首を刎ね飛ばされた方が世のためという気もしてきた。
「お前たち! いったい、どういうつもりだ!」
“お前たち”のなかにマルテが入っているのかは知らん。サーエルバンでは“水龍殿”と敬意を持っていたようだが、その後の行動を考えれば掌返しで敵認定しかねない状況ではある。
「それはわしらの言うべきことだ、アホウが!」
マルテは服を剥ぎ取って水龍の姿に変わる。そのまま霊廟の上部構造物を鼻先でずらし、首を突っ込んで露出した魔珠を咥える。流入する在外魔力との連結が外れたせいか、噴き上げていた水の勢いは止まって水道くらいの勢いになっている。
「水龍殿、なにを!」
「やかましい!」
武器を持ったまま近づこうとした衛兵はマルテの尾で弾き飛ばされ、小島から湖水に叩き込まれる。かろうじて距離を取っていたタリオは無傷のままだが、許されたわけではない。
「ミーチャ」
「おう」
魔法陣を刻まれた魔珠を俺の前に置くと、俺の抱えていた新しい魔珠を咥えてまた聖廟に首を突っ込む。
魔力を感知できない俺にはなにが変わったのかわからないけど、マルテが満足げに肩の力を抜くのはわかった。それと同時に、タリオが身構えるのも。
「これでいいだろう」
マルテは水龍姿のまま、タリオに向き直る。
「……水龍殿。このような連中の甘言に乗って、なんということをしてくれたんですか!」
「貴様の愚行の尻拭いだ」
「この水源には、何千何万もの命が掛かっているのですぞ!」
「そのために何人殺した」
マルテが低い声で問うと、タリオは一瞬だけ息を呑んで固まる。
「ルーモは四十四人と言っていたが、そんな数で済むわけがない。あいつが出した数字は、療養所で死んだ者だけだろう」
巨大な水龍から怒りに満ちた視線を向けられながら、タリオは揺るがない。揺るぐわけがない。こいつだけは、こうなることを最初から知っていたのだから。その上で自分は正しい決断をしたと、確信を持っていたのだから。
「貴様の言う“何千何万の命”のために、どれだけの者が死んだ。百か、千か。もっとか」
「……」
「ここの水が原因なのであれば、魔力が低い者から力尽きる。老いた者ならば死んだところで目立たん。孕んだ子が流れたことも多かっただろうが、それも隠し通してきたか」
「水龍殿の、憶測に過ぎません」
「ほう。では、“えるばら”には、どれだけの童がいる? 最長老の者の齢はどれほどだ?」
タリオは無表情のまま、だんまりを決め込む。
「溢れるほどの恵みを生み出しながら、領地からは人が減り続けとるのではないか? それもわしの憶測か? では、貴様はなぜ死に物狂いで聖廟の魔珠の代わりを求めていたのだ?」
タリオからの返答はない。なにを言おうとまったく響かない相手に、マルテは対話をあきらめ始めているようだ。
「貴様らがどうなろうと、わしの知ったことではないがの。水神の祟りで滅びに向かうことは、貴様にとって利益と見合うものだったのか?」
「なんであれ大事の前には、目をつむるべき小事もあるのです」
水龍の顎からギリッ、と怒りに満ちた歯軋りが漏れる。
「弱者の犠牲を小事と抜かすか」
“魔法的農業適性”による農業を行う上で、魔力量は力そのものだ。当然こいつ自身は魔力が高いだろうし、エルヴァラの中枢を仕切っている連中も同様だろう。
だからこそ、理想の追求にとって足枷になるものを切り捨てることに躊躇がない。
「無駄ですよ、マルテさん。そいつは、ひとのようにしゃべるだけの禽獣です」
全員を降ろした後でヘリを仕舞ったヘイゼルが、冷え切った目でタリオを見据えている。腰に両手を当てているのは抗議の姿勢のようだが、いつでも回転式拳銃を抜けるような構えにも見える。
「……エルヴァラを祟っているのは、断じて水神などではない! 天からの恵みを穢し破壊する貴様らの傲岸さだ!」
これはもうダメかもしれんね。
ぶっ飛ばして良いかな、って顔で水龍マルテが俺たちを見る。もちろん構わんけど、その前にナルエルがズンズンと農害の前に歩み寄った。
「ん」
どこぞの土産物売りのように、ジャラジャラした安物ネックレスみたいなものをタリオの前に突き出す。いきなりの行動に、さしもの病的無神経も怯んだ顔で身構えた。
「……なんの真似だ」
「水龍の牙に、魔法陣を刻んである。これを首から下げれば、元の魔珠から水が出る」
ナルエルはそう言いながら、ひとつを自分の首に掛ける。俺の前に置かれていた魔珠が光を放ち……
「ぶふぉあッ⁉」
いきなり噴き上げた水が俺の顔面を直撃して、張り倒された俺はずぶ濡れで転がる。
「ほら」
「“ほら”じゃねえよ! そういうことするなら、先になんか言え!」
ナルエルは俺の訴えを無視して、タリオの胸元に首飾りの束を押し付ける。
「水が欲しければ、好きなだけ出せばいい。他人に押し付けずに、自分たちの力で」
「……」
「でも、覚えておくと良い。次に、お前たちが他人を傷つけようとしたら」
穏やかに話していたナルエルから、いきなり憤怒の感情が噴き上がる。タリオですらも、身を強張らせるほどの圧で。
「……今度は、警告なしで殺す」
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