カースド・サースト
「……そんな、はずは」
「ないと思うか? 本当に?」
マルテに問われて、衛兵は視線を逸らす。逸らした先にあるのは、膨大な水を生み出し続ける噴水と、豊かに水をたたえる湖面。
それがなにでできているかを知らないわけがない。
かつて古代神の聖廟があった丘は灌漑用水の水源湖に沈められ、聖廟そのものは農業用噴水に、聖廟の供物であった巨大魔珠は農業用給水装置に作り替えられた。
「古代神は大自然が生み出す外在魔素の流れを変換し、この地に豊穣の恩恵を与えていた。タリオは、それを私欲で枉げた」
「ちがう! 断じて、私欲などでは!」
「おまえらとしては、そうかもしれん。わしらも含めてみても、あるいはな」
マルテは、ふたつの同心円を描く。その同心円の外から見れば、農の里としての。あるいはアイルヘルンとしての、私欲でしかない。
「案内しろ」
「……どこに、ですか」
「祟りを受けた者が、運ばれる場所だ。おそらく、重篤な者がいるのだろう?」
衛兵は領主の許可が必要だと言いかけたが、その権限は水神の眷属たる水龍よりも優先するのかと問われて黙り込んだ。衛兵の反応を見る限り、祟りの影響は放置できないところまで来ているのだろう。
「ついてきてください。ここから三・二キロほどです」
水龍マルテに乗せてもらい湖水を渡った俺たちは、トラックに乗り換えて衛兵の馬と並走しながらエルヴァラを南に向かう。
途中で通り過ぎる農地に目を向けると、立ち枯れている樹木がいくつかあるのがわかった。農作業を行う領民たちのなかにも、体調が悪いのかうずくまっている者がいた。
「上空からは見えていなかったな」
「作物自体は、実っていましたからね」
麦や野菜、果樹など作物そのものは育っているが、なかに枯れる木がある。それがどういうことなのか農業に疎い俺には問題の本質が見えない。
ヘイゼルにそう言うと、彼女は少し考えて答えた。
「土壌の肥沃さが、喪われているのではないでしょうか」
「そこはタリオも対策をしておるようじゃ」
エインケル翁は言うが、声のトーンからして良い状況ではない、あるいは場当たり的な対応でしかないのだろう。
もちろん詳しくはないが、元いた世界でも似たような話は聞いたことがある。農薬と化学肥料を大量使用することで環境や農産物に悪影響が出て、さらに大量の農薬と化学肥料が必要になる悪循環。魔法がある異世界で、そんな話を聞くとは思ってなかった。
十五分ほど走った先で、小さな林に囲まれた二階建ての建物が見えてきた。大きさは、地方の公民館くらい。素っ気ない白壁に、緑の水滴に似たマークがある。
「あれ、なんの印?」
「エルヴァラでは、あれが療養所を示しているようです。赤十字みたいなものでしょう」
建物の前で、衛兵が馬を止める。
俺たちが車から降りると、少し待ってくれと言って建物に入っていった。
「療養が必要なほどなのか」
「祟りは病ではないからな」
俺の疑問に、マルテが平坦な声で言う。だから大丈夫、という話ではない。治療法がないので、療養に大した意味はないと言いたいようだ。被害や影響を抑えるために隔離しているだけ、といったところか。
そう聞いたせいか、建物の雰囲気はどこか結核患者の長期療養施設に似ていた。
「水龍様。施設の管理者に話を通しました。詳しい話は、その者にお聞きください」
「ああ。もう行っていいぞ」
マルテは衛兵に言うと、迷わず建物に入ってゆく。衛兵は俺たちに頭を下げると、馬に乗って立ち去った。
「わたしたちも、行きましょうか」
ヘイゼルに促されて、俺もマルテに続く。マルテやヘイゼルはもちろん、ナルエルとエインケル翁も怯んだ様子はない。俺なんかは祟りがどんなものかも、どう対処したらいいのかもわからんので、どうにも落ち着かないんだが。
「邪魔するぞ」
入ってすぐ正面に、二階への階段。両脇に等間隔で扉が並んでいた。外観だけではなく、内装も素っ気ない。並んだドアの数からして十数室といったところか。
扉は開け放たれていて、奥にはベッドが並んでいるのが見えた。患者の世話をしていたらしい初老の女性がやってくる。
「お前が、ここの管理者か」
「はい、水龍様。わたくし、ルーモと申します」
白衣のような僧衣のような白い服に白髪。医師と薬師と魔女と看護婦と修道女を足して割ったような印象だが、おそらく役割もそんなもんだろう。
「いま、ここには何人くらいいるんだ?」
「七人です、水龍様」
思ったよりも少ない。部屋数を考えると、被害規模が小さいというわけではないな。考えることは同じだったようで、エインケル翁がルーモ女史に尋ねる。
「いままで、何人死んだんじゃ」
「“エルヴァラ病”に斃れた者は、四十四人になります」
マルテが、小さく唸り声を上げた。
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