フライ・バイ・クライア
「なんでこうなった」
飛行中の汎用ヘリ機内で、マルテは誰に言うでもなく言いながら首を傾げた。不満というほどでもなく、不思議そうな顔だ。まあ、俺も同感ではある。
操縦席にヘイゼル、副操縦席にはナルエル。後部座席には俺とマルテ、そしてお目付け役にして監視役のエインケル翁。農害タリオとの会談後、サーエルバンから飛び立とうとした俺たち――というかヘイゼル――に不穏なものを感じたらしく同行を乞うてきた。
「水神に祟られとるのは、“えるばら”の自業自得だろうが」
「ええ。あの気狂いどもだけの問題で済むならば、迷うことなく見捨てるのですが」
「アイルヘルンの、食糧生産に関わるからか? お前たちは、他者に優しいのか厳しいのかよくわからんな」
マルテとの付き合いでなんとなくわかってきたことだが、水龍である彼女にとって、世界の理解は目と手の届く範囲でしかない。そこから外のことは、自分とは関係ないと考えるのが自然なのだ。
それは水龍に限らず人間であっても、情報化社会になる以前だと当たり前の感覚なのだろうけどな。
「食料生産も、あるにはあります」
「ほかに、なにがある?」
「敬意を受けて当然の神的存在が、受益者によって穢され続けているありえないことです」
怒りがぶり返したのか、ヘイゼルの声は少しだけ低くなった。マルテは怪訝な顔で、しかし幾分は腑に落ちたように苦笑する。
「まったく、お前たちは面白いな。見も知らぬ聖廟の祀神を気に掛けるか。それこそ、お前たちには関わりのないことだろうに」
「わたしたちは、同じクズからの被害を受けた者同士。であれば、放ってはおけません」
わたしたち、とは言うけれども。俺が放っておけないのは水神の祟りを超えかねない英国的大災厄の方だ。
すでにエルヴァラの地理的情報を得ているせいか、ヘイゼルは迷うことなく機首を目的地に向け、真っ直ぐにリンクスを飛ばし続けてきた。いつもより静かなのが少し気になる。
「見えてきた。あれがエルヴァラ」
副操縦席のナルエルが、前方を指して言う。目を向けてはみるものの、俺の視力ではまだ地平線に広がるモヤッとした暗緑色の帯でしかない。
「エルヴァラって、起伏が少ないんだな」
「ええ。ここが“農の里”になったのは、気候と地質に加えて、地形も農業に向いていたからなのでしょう」
更にしばらく飛ぶと、眼下には緑あふれる“農の里”の光景が見え始めてきた。整然と揃った畝と畔、俺の目にも近代的に思える田園風景が延々と広がってゆく。縦横に走る水路が、タリオが考えたとかいう灌漑設備なんだろう。高度があるのでハッキリしないが、俺の目には旱魃や農業被害が出ているようには見えない。
ときおり農作業中のひとたちが、空を横切るヘリコプターの姿と轟音に驚いて右往左往する姿が見える。そらそうだろうな。彼らにはなんの罪も――ないことはないんだろうけど、少なくとも自覚は――ないだろうに、騒がせてすまん。
「ヘイゼル、古代神の聖廟っていうのは?」
「間もなく視界に入るはずです」
そのまま飛行することしばし。エルヴァラの中心近くまで来ると、水源になっているらしい大きな水面が目に入ってきた。広大なマルテ湖と比較したら大きめの池という感じだが、それでも直径が百メートルほどはありそうだ。
「そこの中心、小島のようになっとるところじゃ」
エインケル翁に言われて、俺とマルテも窓の外を見る。湖の真ん中あたりに小さな陸地があった。陸地の端にある構造物から噴き上げられた水が、湖面に降り注いでいる。
「あの噴水が、元は聖廟だったものですね」
いま湖を満たしているのが、すべて聖廟から噴き上げた水か。どれだけの放出量なのか知らんけど、それこそ東京ドーム何杯分とかいうレベルだ。
「エインケルさん、小島のように“なっとる”って、元々そうではなかったってことですか?」
「もとは小高い丘で、大きな森に囲まれた祠じゃ」
大きな森も、小高い丘も、連想されるような地形は何もない。どれだけ手を加えたんだか、湖面から周囲に広がっているのは見渡す限り真っ平らな農地だけだ。
「湖水の下に、丘を丸ごと沈めよったのか」
俺たちの気持ちを代弁するように、マルテが呆れた声を出す。
ヘイゼルは高度を下げ、小島のような聖廟跡に着陸する。リンクスのローターが起こす風で水飛沫が舞い上がり、周囲に細かな虹を描いた。
「いまさらだけど、マルテ。もしかして、これ俺たちにも祟りがあったりする?」
「さあな、わしにもわからん。神も色々だし、祟りも様々だ。災いを受けたくなければ関わり合いにならないことだが、それこそ、いまさらだろう」
まったくだ。俺は日本人として、これまで神や宗教とは可能な限り距離を取った人生を選んできたつもりなんだけどな。
ローターの停止を確認して小島に降り立ったヘイゼルは、俺たちを振り返って笑った。
「“神は田園をつくり、ひとは都市をつくった”」
「ん?」
豊かで美しい自然を賛美し、人工的で醜悪な文明を批判するイギリスの諺だそうな。18世紀の詩人がいった言葉らしいが、いまも残っているということは、それなりに英国的メンタリティに沿った考え方なのだろう。
「悪い冗談です。ひとのつくった田園が、神を穢すだなんて」
【作者からのお願い】
「面白かった」「続きが読みたい」と思われた方は
下記にある広告下の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります。




