ダウンポアド・コンセクエンス
「……あなたが、水龍。おお、なんと人化の御業を持っておられるとは……ッ!」
タリオの顔は驚愕から、たちまち崇め奉るような表情に変わる。
うっとりと陶酔した中年男というのも、なかなかにグロテスクなものだが。それが農的異常者のものとなればなおさらだ。まして、いまこいつが媚びへつらいひれ伏そうとしているのは、ほんの数日前、自ら命じて強制的に捕まえ自領に連れ去ろうとした相手なのだから。
「疑わんのか」
「水龍殿が放つ香りは、我が領に伝わる水龍蒼鱗の黴香に似ておりますゆ、えヴッ⁉」
笑顔でマルテに近づいたタリオは、首が半回転するくらいのフルスイングでヘイゼルから張り飛ばされた。なんの話かはよくわからんかったけど、このうすらバカは英国的暴龍の逆鱗に触れたっぽい。
チラッとヘイゼルに目をやると、腐乱死体でも見るような目でタリオを見据えながら念話で俺に解説してくれた。
“マルテさんの体臭は、死蔵された龍の鱗のカビた匂いに似ていると”
……こいつ、完全にアタマおかしい。
「最低限の礼儀も守れないならば、今後はケダモノとして縊り殺しますよ」
タリオの発言が聞き取れたのか、それともヘイゼルに歯向かう愚を察したのか。領主を殴り飛ばされたエルヴァラの護衛を含め、誰もそれを咎めようとはしない。
とはいえ殴られた当の本人が問題を理解しているかは甚だ疑問だ。顔がひん曲がってるのを気にも留めず、タリオはマルテに詰め寄る。
「そういうわけで、貴殿が水龍であることに疑いなど抱いていない。いきなりの無礼は重々承知の上で……」
「断る」
そらそうだろよ。と、エルヴァラの人間以外が心のなかでツッコむ。もしかしたら、タリオを除くエルヴァラの者たちも思ったかもしれんが、そんなもん誰が自分を手に掛けようとした相手の願いを叶えてやらんといかんのだ。
俺もマルテとは短い付き合いだが、彼女は水龍の世間的イメージと違って、かなり穏和な性格なのを実感している。うちの英国的悪夢と比べるまでもなく、無暗に事を荒立てたりしない。他人の事情も斟酌するし、頼めば譲歩もしてくれるだろう。さっきの暴言も呆れただけで聞き流してくれてたしな。
「勘違いするな。わしが貴様の手下を殺したのは、手出しをされたからだ。死んだ連中に恨みはないし、貴様にも特に含むところはない」
「「え?」」
その場にいるみんなの声が重なる。ほとんどは驚きと困惑だったが、タリオだけなにかに期待したようなトーンなのにイラッとする。この期に及んで他人の気持ちを微塵も理解できてないあたりが、農害の農害たる所以だ。
「農業に窮して水龍を狩るか。愚かとは思うが、それを責める気はないわ」
「おいマルテ、なんぼなんでもそれは」
「そうですよ。自分を害そうとした相手に手を貸すつもりですか?」
「いや」
俺とヘイゼルが思わず止めにかかったが、マルテの返答は思っていたのとは違った。期待に満ちて幸せそうな笑みを浮かべかけた農の異常者は、芽生えた希望を否定されてそのまま固まる。
「わしがなにをしたところで、もう遅い。いつからだ?」
「……いつ、とは」
「長期旱魃の兆候が出始めたのは、いつからだと訊いとる。気づいとらんわけはなかろう?」
タリオを見据えるマルテの瞳が、うっすらと蒼く光る。魔物との掛け合わせで生まれたという王国馬が、魔力を込めたときみたいに。
「貴様……水神に祟られておる」
ざわっと、エルヴァラの衛兵たちが狼狽え動揺した。タリオは変わらず笑みを浮かべたまま、人間らしさだけが顔から削げ落ちる。
「まさか雨乞いのために、禁忌の邪法でも使うたか?」
「農の道は理の道。そのような理に合わない愚行など、行ってなんの意味があるというのです」
水龍娘は、大して興味もなさそうにタリオを見る。貴様の能書きなど知らん、と顔に書いてある。俺にはよくわからんけれども。祟りか呪いか、農害の背負っているなにかを読み取ろうとしているようだ。
「己の都合を通すために、なにか手を出すべきでないものに触れ、節理を枉げた。そして水神の怒りを買った」
「では、どうすれば」
「貴様がなにをしたかによるな。しかし、その根本的問題を正さんことには、災いは終わらんぞ」
話は終わり、とばかりにマルテはタリオに背を向ける。
「水龍にしたところで、できるのは幾度か雨を降らすことくらいだ。それも死ぬほどの目に遭わされて、ようやくな」
アイルヘルンの食物生産は、少なくとも穀物に関してはほぼエルヴァラが担っているらしいと聞いている。それが破綻して生き延びられるのは人口が少なく、ある程度の自給自足が可能なゲミュートリッヒくらいだろう。
後は、せいぜい貿易に長けたサーエルバンと、農業生産物の必要性が低い獣人自治領カーサエルデか。
「たしかに、このままでは話が進まんのう」
「まずは、話してみることですナ。旱魃の原因がなにか。それへの対処が可能か。他領の者が手を貸すかどうかは、その後ですヨ」
ウンザリした顔でタリオに告げるのは、立会人であるマカ領主エインケル翁とサーエルバン領主代行のサーベイ氏。
言外に、だけれども。彼らはエルヴァラが手を貸すに値するか、と言っている。
“なあ、ヘイゼル。ただの勘なんだけど、エインケル翁とサーベイさん、なんか知ってる?”
“ええ。もちろんタリオも、エルヴァラの連中もです。……そして、いまはわたしも”
もしかして、さっきのフルスイングビンタか。額に指を当てると相手の記憶や情報を読み取れるって聞いてたけど。あんなんでも可能なのか。
醒め切った視線を受けて隠しきれないと悟ったのか、タリオは盛大に目を泳がせる。
「わ、わたしには、どういうことか……」
「わからないのであれば、お好きなように」
勝手に干からびて死ねとばかりにヘイゼルが吐き捨て、立ち上がると俺やマルテに帰ろうと身振りで告げる。
お手数かけて申し訳ないとエインケル、サーベイ両氏に頭を下げて応接室を出る。
「ま、待ってくれ」
タリオが、俯いたまま俺たちを呼び止める。正確には、ヘイゼルとマルテを。
こちらは戸口に立って振り返ったが、タリオは口ごもったまま先を続けようとしない。小さく溜息を吐いて、エインケル翁が俺たちに語り掛ける。
「……三十年ほど前かの。タリオは“マナ灌漑理論”で、アイルヘルンの農業生産を飛躍的に向上させたんじゃ」
「ええ、それは以前サーベイさんからお聞きしました。水路と魔珠と魔法陣を組み合わせた、画期的な農業技術だと」
「それは間違っておらん。問題は、その理論と設備の根幹である“魔珠と魔法陣”を組み込んだ場所じゃな」
ひとの気持ちがわからない病的無神経のタリオだが、その彼が蒼褪め動揺する姿は、ひどく滑稽でありながらそれが人ならざる者の歪な演技のようで、なぜか背筋がゾッとするような感覚があった。
ああ、これが“不気味の谷”か。
「いくら調べても、どれだけ考えても。エルヴァラ全域に豊かな水を供給する水源は、そこをおいて他になかった。あるべき理想を、なすべき理を実現するために、避けては通れなかった! わたしは、間違っていない!」
「それは結構」
ヘイゼルが、驚くほど無感情な声で笑う。それはイギリス的な、笑顔で褒めるという罵倒だ。お前が間違ったのは生まれてきたことだとでもいうような。
先を続けようとしたタリオを指振りひとつで制し、英国的悪夢は笑う。
「全く以て驚きですよ。古代神の聖祠を、井戸の汲み上げポンプにするなんて」
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