ランナウェイ・サラセン
「ハネルさん、乗って」
「これは……」
家の前に現れた巨大な乗り物を見てハネルさんは息を呑む。たしかにまあ狭い路地裏、しかも暗闇のなかで見ると質量と迫力がハンパない。とはいえ固まっていられても危ないので、後部ハッチを開けて車内に入ってもらう。
「なんと素晴らしい。これが薙ぎ払いを魅了したゲミュートリッヒの超魔道具か」
「ほんの一部」
魔物で言うとオークくらいだとか言ってるけど、その喩えが俺にはわからん。サラセンの顔付きはオークっぽいけどな。後ろは彼らに任せて、俺はエンジン始動に専念する。エンジンが冷えた状態だと少しグズるのだ。
「ナルエル、ハッチを閉めたらヘイゼルと銃眼を頼む」
「任せて」
彼女はヘイゼルからステンガンと弾倉を受け取り、車体横の銃眼用小窓から周囲の警戒に入る。もう隠密行動は必要ないので、銃も弾薬も減音器仕様ではない通常版だ。
銃座に上がってもらうことも考えたが、入り組んだ都市部では銃火器も長所を生かせない。だったら不意打ちのリスクを減らした方がいい。せっかく装甲で守りを固めたんだから、安全第一だ。
装輪装甲車のエンジンは無事に掛かった。まだアイドリングは不安定だが、暖気もそこそこに発進させる。これだけの騒音が響けば、どんな敵だろうとこちらの逃走意図は筒抜けだ。
「ミーチャ、通りに出たら左へ」
「了解」
しばらくランドローバーばかり乗っていたせいで、車体が異常なほど巨大に感じる。実際巨大ではあるんだが、サイズも重量も前に運転した英国軍用トラックの方が大きい。サラセンの迫力は何より大質量の密度だ。それは運転してすぐに感じられる。敵から追われる身には頼もしいが、窓が小さく騒音が大きい。おまけにライトも弱いので、暗いなかでは外部情報が得られない。安全運転は非常に難しい。
「ハネルさん! ここらの住人を轢き殺したくないから、左側の確認を!」
「大丈夫だよ。明け方の学術都市で出歩く者は、訳ありか犯罪者くらい……」
「ぎゃあああぁッ!」
「……ぁ」
「ちょッ、ハネルさん⁉︎」
言ってるそばから、曲がり角で飛び出してきた誰かを巻き込んだっぽい。気にはなるが、いま止まるのは無理だ。一般市民だとしたら申し訳ない。
左後ろで青白い魔力光が瞬き、怒号と悲鳴が聞こえてきた。鏃か攻撃魔法か、硬質の物体がサラセンの車体に弾かれて甲高い音を立てる。
「ホラ、敵だったよミーチャさん」
ホラじゃねえっつうの。あっぶねえ……一般市民はもちろん敵であっても、人間を轢き殺す趣味はない。なに考えてんのか知らんが、走る車の前に飛び出すのは勘弁してほしい。
「ミーチャ、その先で右。無能街の裏門なら、夜は無人。衛兵と会わずに外壁を抜けられる。……たぶん」
「たぶんて」
ナルエルの指定した角を右に曲がり、少し広い通りを加速しながら走り抜ける。車体にはガンガンバチバチと攻撃が当たり、左右の銃眼からナルエルとヘイゼルが反撃する銃声が響いていた。
俺には敵の正体どころか所在もわからん。開閉式の正面ハッチを閉めたので、前以外はほぼ見えん。ライトが暗くて前もハッキリしないんだけど、いまのところ進む先には人影も明かりもない。
「ナルエル、扉が閉鎖されてるぞ!」
「当然。防衛用の外壁だし」
「そうじゃなくて、衛兵がいる!」
「だったら、当てが外れた。それだけ」
ナルエルたちは追撃者の相手で手が離せないようだ。焦る俺の声を聞いて、ハネルさんが運転席の横までやって来た。
「大丈夫、衛兵じゃない。あれは聖国の兵だね、ホラ」
青白い光が瞬いて、炎弾が装輪装甲車のボンネットに次々と叩き込まれる。
「あの連弾、“聖なる贄”という聖国魔導師団の基本攻撃だ。発動が早くて魔力消費が少ない」
「ハネルさん余裕ですね⁉︎」
車内や機関部まで浸透することはないと思うんだけれども、炎の壁で視界を完全に塞がれてる。魔法の炎なせいか、いつまでも消えない。
「ナルエル! ナビゲーション頼む!」
「そのまま真っすぐ」
「いや、だから! 真っすぐ走ってるかどうか、わかんないんだって!」
「問題ありませんよ、ミーチャさん。タキステナのお飾り外壁程度、サラセンならぶち破れます」
「え」
ヘイゼルの気休めコメントの直後、ドゴンと衝撃が走った。足回りに障害物を乗り越えたショックが伝わってくる。どうやら壁に真正面から突っ込むのは避けられたが、扉の半分と衛兵詰所を粉砕したようだ。踏み潰したのが瓦礫だけか魔導師も含まれていたのかは知らん。
「出たら右」
ナルエルは冷静に道を教えてくれるけれども。まだ燃え続ける炎で前が見えん。
「いや、どこが道かわかんないぞ⁉︎」
「大丈夫」
後部銃座に上がったナルエルがステンガンを連射する音が聞こえて、目の前の視界が回復した。
「術者が死ねば、火は消える」
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