魔窟
ハネルさん宅でお茶をいただいているうちに夜も更け、無能街と呼ばれる静かな通りも完全にひと気が絶えた。外に出ると、灯りも数えるほどしかない。そろそろ動き出すときだ。
「ではハネルさん、お世話になりました」
「いいや。今後は、用があればマカのハネル工房を訪ねてくれ」
魔導具師としてのハネル氏は、俺たちの話を聞いてタキステナに見切りをつけることにしたようだ。もともと拠点のあったマカに戻るつもりだという。
「ハネルも、いつかゲミュートリッヒに来てみると良い。世界が変わる。自我が根底から崩れる」
「それは……楽しみと言って良いのか反応に困るよ」
笑顔で手を振って別れ、俺たちは無能街の通りを北西方向に進む。道中でヘイゼルから俺は減音器仕様のステンMk2S短機関銃を、ナルエルは愛用の殴打用棍棒を受け取る。ヘイゼル本人は無手のままだが、問題なかろう。英国的悪夢は、恋と戦争で手段を選ばない。
いくつか抜け道を通り、物陰に隠れながら学術区画に入る。灯りはちらほらあるが路上にひと気はない。学徒が住む地区と言うから、部屋に籠もって研究やらなんやらをしているのか。
「こっち」
ナルエルの先導で細い路地や隙間を抜けて、内壁の前に出た。壁は警戒のためか見通すための小さな隙間が開けられたタイプで、上部は有刺鉄線に似たものでガードされている。静かに見ろというナルエルの身振りに従って奥を窺うと、警戒している黒いローブの歩哨がいた。
衛兵ではなく、武器も魔術短杖。“岩樫”だと、ナルエルが声を出さずに伝えてくる。短機関銃を持ち上げながら殺して良いかを確認すると、無言で頷きが返ってきた。相手は魔導技術院の魔導師。敵だとは理解したが、念のためだ。
バスバスッと発射音が鳴り、黒ローブの魔導師は倒れて動かなくなる。
「脅威排除」
俺たちは内壁を回り込んで、鉄扉を抉じ開ける。掛かっていた鍵は魔道具のようで、ナルエルが細い棒を差し込むと青白い光が瞬いてバラバラに砕けた。作業はピッキングに似ているが結果は少し違う。扉から入り込んで、建物の方を伺う。窓に灯りは見えるが、いまのところ発見されたような反応はない。
「この臭い、魔薬を精製するときの触媒反応のもの」
小さく鼻を鳴らしたナルエルが嫌そうな顔で囁く。いくつか変な臭いはするけど、魔薬を知らんので否定も肯定もできん。
それよりいま気にするべきなのは、目先の警備と警報装置だ。俺はナルエルに先を促す。
「侵入者を感知する罠がふたつ。建物の前庭と、表と裏の扉にひとつずつ」
「解除は可能か?」
「あの魔珠を破壊するだけ」
前庭に前衛的オブジェのような彫像があり、そのてっぺんで青黒い魔珠が薄く発光していた。
「壊したら察知されない?」
「される」
ダメじゃん、と思ったが反応が消えたところで歩哨が調べにくるだけのようだ。
「それで、施錠されていた入り口が開く」
一石二鳥という感じでナルエルが笑った。合理的というのか肝が座ってるというのか。どのみち攻め込むことは確定なのだ。ここで待っていても始まらん。俺はステンガンの簡素な照準器で魔珠を狙い、二発で魔珠を粉砕した。
「よし。ふたりは、ここにいて」
低い姿勢で駆けていったナルエルは、正面の扉が開いた瞬間に出てきた黒ローブの男を殴打用棍棒でカチ上げる。金属製の棍棒で薙ぎ払われた男は、音もなく横倒しに崩れ落ちた。ピクリとも動かない男を見向きもせず、薙ぎ払い娘は扉の上にあった魔珠を突き崩して俺たちに手招きする。
「内部にいるのは、上に二十人ほど、地下に十人前後。わたしは上層階を制圧する。ヘイゼルとミーチャは階下を」
ナルエルは、下から流れてくるわずかな風に鼻を鳴らした。
「きっと、そこが生産拠点。すぐに合流するから、先に始めていて」
「ナルエルちゃん、ひとりで大丈夫ですか?」
「問題ない。攻撃魔法を使えるのは、せいぜい半分」
待て待て。半分でも十五人はいるってことじゃん。どうすんだよ。って、どうにかするしかないか。
ヘイゼルはナルエルに何やら小さなバッグを手渡し、頑張れとばかりに背中を叩いた。
「行って」
駆け出すナルエルと分かれて、俺とヘイゼルは建物の奥へと向かう。上に向かう大きな階段はエントランスから見えているものの、下に向かう階段は見当たらない。突き当たりに鉄の扉が三つ並んでいるが、どれも鍵が掛かっていた。
「この扉のどれかですね」
「ひとつずつ破壊してくか?」
「それも悪くないですが、せっかくの隠密行動ですから」
ヘイゼルは壁際を探って、上下の階層を繋ぐ複数の配管を見付け出した。
「なにそれ、排気ダクト?」
「いいえ、おそらく伝声菅でしょう」
ええと……あれね。軍艦とかで、艦内の通話をするための装置。豪華な糸電話みたいなやつ。魔導通信器を使わない理由は不明だが、非常時の信頼性か魔力干渉を避けるためだろうというのがヘイゼルの推測だった。彼女は壁に掛かっていた装飾用の手斧を取ると伝声管の束を割り、そこからポイポイと手榴弾のようなものを投げ込んでゆく。
「なに」
「催涙ガスです」
転がり落ちた先での起爆を確認すると、ナルエルに渡したのと同じバッグを俺にも差し出してくる。
「ちょッ……これ、ガスマスクじゃん⁉︎ 俺、付けたことないんだけど!」
「大丈夫ですよ。ガスはフロア近くに滞留しますから、ここまで上がってくることはありません」
たしかにガスはそうかもしれんけど。目の前で鉄の扉が開いて、黒ローブの男たちが転がり出てきた。地下の催涙ガスから逃げてきたのだろう。扉の奥から咳き込み喚き散らしている声が漏れ聞こえてくる。
「なッ、なに……がッ!」
ヘイゼルの持つステンガンがバスバスッと鳴って、男たちは喘ぎ痙攣しながらながら絶命した。開いている扉の奥に、ヘイゼルが追加の催涙ガス弾を放り込む。
「突入するか?」
「もう少し待ちましょう」
その間に、俺のガスマスク装着を手伝ってくれた。素早く密閉と固定を確認すると、自分は数秒で装着を終える。
「ワクワクしてきますね♪」
いや、せんわ。この先待ってんのは敵とは言え生身の人間と向き合っての殺し合いだろうに。
とはいえ、社会を害する悪の巣を潰すと決め、いざ挑もうとするときにテンション下げんのも悪いなと思ってしまう日本人的小市民。無理やりに気持ちをアゲると、俺は笑顔でヘイゼルにサムズアップを返す。
「おうクソほどサイコーだぜ!」
「……そうですか」
いや、ヘイゼルさん⁉︎ そこでスカすのやめてくんないすかね⁉︎ 残念な子を見るような生温かい笑顔で見んなおい肩竦めんなお前ホント、シバくぞ⁉︎




