サマーブリーズ
サーエルバンでの微妙な会談を終えた翌日。ゲミュートリッヒのある西部域では生暖かい風が吹き始めた。湿気を含んだものではなく、そう強い風でもなく。空に暗雲も出ていないので、雨が来る前触れではなさそう。
俺はこの辺りの季節感覚や気候感覚がないので、昼食に訪れたティカ隊長に訊いてみる。
「気にするな。夏の前には、毎度こうだ」
「なにか被害が出たりは?」
「大したことはないぞ。たまに強いのが吹くと古屋の屋根が吹っ飛ばされるくらいだ」
それは大したことなんだろうが、起きる前から対策できるもんでもないな。強い風が吹くのは夜半だけで、昼間は洗濯物が飛ぶ程度だ。だいたい、新しい建物などないゲミュートリッヒで古屋かどうかは程度の問題でしかない。
「お待たせニャー♪」
「おおー、いい匂いだな。ミーチャの店で出る飯は変わったものばかりだが、どれも美味い」
エルミが運んできた日替わり定食に早速かぶりついたティカ隊長が、そのまま固まる。なんだ、どうした。
「美ッ味ぁッ⁉︎ おいミーチャ、なんだこれは⁉︎」
「ああ、ビックリした。それな、大口鯰だよ。前にフィッシュ&チップスにしたら好評だったんで、精肉鮮魚店に頼んで仕入れてみた」
「ナマズ……こんなに美味いのか。でも“ふぃっしゃんちっぷす”というのは、あのカリカリしたやつだろう?」
隊長は皿を指して、これは違うよなと怪訝そうな顔をする。
「ああ。今日のメニューは、大口鯰の“カバヤキライス”だ」
「奇妙な名前だが、これは素晴らしく旨い。噛むと甘さと不思議な風味が……これは堪らんな!」
山盛りライスに乗せられた蒲焼きは、B5辞書を開いたくらいのサイズだ。切り分けの都合上、形も少し似てる。隊長は柔らかな身をスプーンで切り崩すと、たっぷりのライスとともに頬張った。もむもむと幸せそうに咀嚼すると、満面の笑みを浮かべて俺を見る。
「うん。身がふわっとして、とろける。こってりしているのに味は淡くて、じんわり沁みるような深みがあるな」
ここまで喜んでくれると、開発責任者の俺も嬉しい。
大口鯰は肉質と脂の乗りが鰻に近かったので、なんとか蒲焼きを再現しようと苦労したのだ。当然ながら醤油はなく、ライスもカレー用の長粒種しかなかったので、あれこれと試行錯誤が必要だった。
薬草のエキスパートであるエルフのアルケナ&イーヴァさん母娘と、肉屋の若女将&八百屋の若奥さんの協力を得て、なんとか形にした。苦心の末に、日本人以外なら受け入れられるであろう程度には“うなぎの蒲焼き”感を出すことに成功したのだ。
ちなみに最大の障害は隙を見てブツ切りのゼリー寄せにしようとする英国的悪夢だったのだが、そこでもなんとか勝利を勝ち取った。
この大口鯰。ナマズと呼ばれているが、見た目はアンコウ似。体長は一メートル以上、体重も三十キロほどあって、身もたっぷり取れる。まだ蒲焼というには味もサイズも食感も盛り付けも色々と程遠いけれども、こっちのひとは誰もオリジナルを知らないんだから気にしない。鰻重をゴールとするならば発展途上だが、味は間違いなく美味いのだ。
「なんだろう、この横にある酢漬けもいいぞ」
「ああ。葉野菜と根菜の浅漬けな。それ俺も好き」
「口のなかがサッパリして、ナマズの甘さが際立つ。素晴らしい組み合わせだ」
とかなんとか言いつつ、ティカ隊長は凄まじい勢いで山盛りのカバヤキライスを平らげてゆく。育ちが良いのか所作も姿勢も食べ方も綺麗なのに、スピードは早送りのようだ。
「この少し焦げたような芳ばしい香りも良いな」
綺麗な焼き目と芳ばしい風味は、鍛冶工房のパーミルさんとドワーフお爺ちゃんズに選んでもらった特製の炭によるものだな。身の切り方にも焼き加減にも試行錯誤は必要だったが、裂きはエルミが、焼きはマチルダが抜群のセンスを示したのだ。どういう適性なのかはわからん。
ヘイゼルは、うなぎと聞くだけでなぜか条件反射でぶつ切りにするようなので米炊きを任せた。ふだんの料理自体は丁寧で、かなり上手いのだが。イギリス人は、うなぎに恨みでもあるのか。
「美味かった……」
気付けばティカ隊長は、超大盛りのカバヤキライスをペロリと平らげていた。チャレンジメニューほどのボリュームだったはずなのだが、その小柄な身体のどこに収まったのやら。女性にしては筋肉質ではあるものの、けして太ってなどいない。ドワーフの不思議だ。
皿を下げにきたエルミから食後のお茶と茶菓子をもらって、ティカ隊長は穏やかな顔でくつろぐ。酒を飲まない彼女には、お茶と甘味が何よりの嗜好品なのだろう。
「そういえばミーチャ、最近あのヘイゼル池は見たか?」
「ヘイゼル池? ああ、あの……ヘイゼルが掘った溜め池のことか。そんな名前になってるとは知らなかったけどな」
外堀を整備したとき、町の西側二百メートルほどのところにある平地に大きな池を作ったのだ。直径百五十メートルほどの円形がふたつ繋がった瓢箪型のもので、町の防衛にも役立つだろうと湖からの水が入り込むようにしておいた。
元いた世界でなら瓢箪池とでも呼ぶのだろうが、こっちに瓢箪はないのかも。
「その池がどうかしたのか? まさか水龍でも棲みついた?」
「そんなもんは、ホイホイ現れたりせんぞ。たまたま通りがかりに遭遇するのはお前たちくらいのものだ」
「俺も望んだ結果じゃないよ。それで?」
「どんどん水量が増して、いまじゃほとんど湖だな。流れ込む魚が増えて、キルケがそっちでも漁をするようになったそうだ」
キルケというのは、漁師兼猟師の精肉鮮魚店、マッサエーナ肉店の長男だ。プロが仕事場にするほどなら、かなりの魚影があるのだろう。掘り起こした深さも十五メートルくらいはあったし、サイズも溜め池と言いつつ元からあった湖と大差はない。水量の調整はどうなってるのやら、と思ったら元の湖は山からの湧き水が流れ込んでいるらしい。
「へえ……」
「前にミーチャが言っていただろう、“つり”? とかいう……その遊びがしたいのなら、いつでもできるらしいぞ?」
「おお、それは良いな♪」
趣味と実益を兼ねた高齢ニートのサボり隠し、そしてスローライフの代名詞。日がな一日釣り糸を垂れて、食っちゃ寝してたまに釣果を持ち帰るという理想のカントリーライフ。
俺の優雅な釣り暮らしがいま、始まろうとしている!
【作者からのお願い】
「面白かった」「続きが読みたい」と思われた方は
下記にある広告下の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります。




