エルヴァラの陰
夕闇迫るなかで、村のひとたちが笑顔で焚き火に照らされている。
二十四人いるらしい住人のなかで、死者はゼロ。これだけでも水龍相手には僥倖に近いことだと言う。男衆に五、六人の負傷者がいるものの、打撲と打身と切り傷に擦り傷といった名誉の負傷。後遺症が残るほどではないと聞いてホッとした。
「こーんな傷、みずちの肉を食えば、みぃーんな治っちまうよ!」
「「うははははッ!」」
村のひとらは老若男女、みんな酔っ払ってんのかと思うほどのハイテンション。それもわかる。水龍の肉が焼け脂の焦げる芳しくも香ばしい匂いで、俺たちまで気持ちが高揚している。ヘイゼルに訊いてはみたものの、水龍肉に向精神性の作用はない。当たり前っちゃ当たり前だが。
「おう、肋肉が焼けたぞ!」
「子供は切ってやるから皿を持ってこーい」
「内臓の煮込みもいけそうだよ」
「「「わあああぁ……ッ♪」」」
幼い順、若い順から配られて、小さい子たちが満面の笑みで肉を頬張る。
「な、こぇ、おぃしッ⁉︎」
「ぅまあぁ……!」
そんなにか、と思うほどのリアクション。その後は無言で必死に食べ始めるところが食レポと違ってる。大変な目に遭ったんだろうが、いまは幸せそうで何よりだ。
「はいよ、これ干しとく分な。ちゃんと網掛けておけよ」
「そっち、もうちょい塩キツめにしとこうか」
「腸は洗ったよ。腸詰にはデカすぎるから、煮込みか串焼きかねえ」
腐敗進行の早い部位から調理しようと、大人たちは焼いたり煮たり干物や塩漬けにしたりと大忙しだ。水龍の巨体から取れる肉を処理するのに村の備蓄塩では足りなかったため、急遽ヘイゼルが調達してくれた。焼肉や煮込み用にゲミュートリッヒのエルフ特製スパイスもだ。おかげで肉の香りが爆上げして、空腹が二十%は加速してしまった。
酒は必要かと訊いてみたが、この村の住人たちは飲まないようだ。それも酒が好きとか嫌いとかではない。魔物や獣の棲息域に囲まれた小集落なので、注意力と対処能力が落ちるのは拙いとの判断。考え方はゲミュートリッヒ衛兵隊のティカ隊長と同じだ。
「建物の損害はひどいのか?」
「いや。もともと建てやすい作りにしてある。壊れやすいが、直すのも簡単だ」
「もう大体は元通りになったよ」
「燻し小屋も燻製の用意が済んでる」
ワイルドな環境で暮らしているひとたちは、緊急事態や非常事態への対処が的確で落ち着いている。
生活資源も住環境も、財産や備蓄物資も。すべて奪われにくく持ち出しやすいかたちで保管してあるそうな。簡単な説明を聞いて浮かんだのは、なんとなく軍隊の野営みたいなイメージだ。二十人強となれば、小部隊の行軍だな。
問題は巨大な地表崩落による陥没孔だが、一段落したらサーエルバンかマカへの移住を考えているらしい。今回の素材を売って、定着費用に当ててもらおう。
「ありがとな、みーちゃーさん」
「へいぜるさんも、本当に助かったよ」
「おかげで、みんな無事に生き延びられた」
大人たちから口々に礼を言われて、俺とヘイゼルはその気持ちを受け入れた。ここで謙遜や否定するのは、なにか違う気がしたから。無事に済んだのもアリエたち姉弟の頑張りあってのことだ、とは言い添えておいたが。
「なあ、ヘイゼル。ちょっと気になることがあるんだけどな」
「ええ、わたしもです」
俺の疑問に、ツインテメイドも小声で返してくる。水龍の引き上げを手伝いながら調べてみたところ、疑問が浮かんだのだ。アイルヘルン内を巡っているらしい地下水脈は、この村の辺りで地表から十数メートルのところまで上がっていた。地面が崩れた原因は水龍だとして、そんな災厄級の害獣が前から棲んでいたわけではなさそう。天候が急に荒れ出したというからな。
だとしたら、こんなところまで出張ってきた理由がわからない。
「水龍って、縄張りを持たないのか?」
「いいえ。むしろマルテ湖の水龍は、近付く者すべてに襲い掛かるようです」
「猛り狂ってた仕留めた水龍みたいに?」
ヘイゼルが頷く。これは、こんな内陸部まで移動してきた理由があったんじゃないのかな。考え込んでいると、村を囲む森の奥からザワザワした声が聞こえてきた。
「……なんか、騒がしくないか?」
「武装した集団が近付いてきていますね」
俺は無意識に、懐の軍用大型自動拳銃に触れる。
「数は二十二。こちらへの明確な敵意はありませんが、どうやら怒りを抱いているようです」
「ん? それは何に対して?」
ヘイゼルが答えるより早く、その武装集団とやらが森から出てこちらにやってきた。見たところ盗賊野盗の類ではない。揃いの服と武装を身に着けているから、どこかの私兵か衛兵だろう。
「貴様ら! 何てことをしてくれたんだ!」
「あ?」
集団の先頭にいた男が、俺たちと宴会の場を見渡すと偉そうに怒鳴りつけて来た。
さすがにムカッとしたが、素性も知らないまま殺すのもどうかと思ってヘイゼルと目を見合わせる。長物武器は必要かと目で訊いてきたので、首を振ってショルダーホルスターから拳銃を抜いた。
「それは我ら、うぉッ⁉︎」
男の足元を撃つと、轟音と跳ねた泥に驚いて飛び退る。
「何様だお前」
「なにッ⁉︎」
「勝手にひとん村に踏み込んどいて、住人を“貴様”呼ばわりって、そう言うお前は何様だって訊いてんだよ」
イキリ散らした感じで問い詰めながら、向かってこようとした護衛の足元にも銃弾を撃ち込む。跳ね上がった泥水の飛沫を見て、当たるとただでは済まないことは分かったのだろう。顔には怒りを浮かべながらも、近付いては来なくなった。
「……我らは、エルヴァラ衛兵隊だ!」
「だから何だ。ここはエルヴァラじゃねえだろ? それとも、この村はエルヴァラの紐付きか?」
村の大人たちは、揃って首を振る。念のためヘイゼルに目をやると、頷いて答えてくれた。
「アイルヘルンで明確な法整備はされていないのですが、中小村落の保護は最寄りの都市で行うのが通例ですね。この村は、サーエルバンの管理下になります」
「村の問題など知らん! 我々が言っているのは、その水龍だ!」
「「あ?」」
なに言ってんだこいつ。
「それなら、なおさらお前らには関係ねえだろ。村を襲った災厄級の魔物を、俺たちが協力して倒した。褒め称えられこそすれ、責められる謂れはねえよ。それとも何か? これはエルヴァラの持ち物だとでも抜かすつもりか?」
「その通りだ!」
呆れを通り越して面白くなってきた俺は、興奮状態の男から事情を引き出す。俺の社畜流暗黒話術は必要なかった。エルヴァラ衛兵隊の副長ミテルサと名乗った男は、ベラベラと俺たちに説教を始めたのだ。
馬鹿なのかな。馬鹿なんだろうな。それか、俺たちを馬鹿だと侮ってるのかな。ここで真意を話すのは得策じゃないってことくらい部外者の異世界人である俺でもわかるのに。
「……なるほど」
「ようやく理解したか! この責任は、誰がどう取るのだ! さあ!」
やっぱり馬鹿でした。俺たちが丸腰の民間人だと誤解してるのなら、上からゴリ押しもまだわかる。だが銃を見せられ威力も理解した上で居丈高にゴネ始めるとは。背後に控えた部下の衛兵たちが目を泳がせているのに気付きもしない。
「マルテ湖の縄張り争いで地下水脈に迷い出た水龍を、魔導師総出でエルヴァラまで誘導してたってことだろ?」
「そうだ!」
「それが地上に被害を与えた。責任を取るのはタリオだ」
「へ?」
間抜け面の衛兵隊副長を、俺は呆れて手で払う。
「ふ、ふざけるな! こちらではなく、お前らの責任を問うている! 水龍をここまで誘導するのに、どれだけのカネと時間と労力を要してきたか……」
「そんなもん、お前らの都合だろうが。なにが楽しくてそんなことやってんだか知らんけど、勝手にやって失敗しただけだろ。その巻き添えで他人ん村の庭先グチャグチャにしといて、詫びどころか怒鳴り込んでくるとか、アタマおかしいんじゃねえのか?」
「「「!」」」
イラッときた俺は、指を頭の上でクルクルと回しながら煽り立てる。ジェスチャーの意味は通じたらしく、衛兵隊の面々は揃って憤怒の表情に変わった。
優位な武器を持ってるからってイキり出すあたり、俺もこいつと同類だな。金に困ってる風でもない農の里の衛兵が、なんでそれほど水龍に拘ってんのやら……
「ああ、そうか。水龍がもたらす雨風が、農の里には天の恵みなわけだ」
「そうだ! 収穫祭に合わせて“天恵の神獣”を招くという壮大な計画が台無しだぞ!」
完全にどうかしてるな。どうやったのかは知らんが、そんなことのために延々何百キロも水龍を誘導してきたのか。農筋どもの水資源に掛ける執念なんだろうが、それにしてもやり方はあんだろうよ。
なにが収穫祭だボケが。奇人領主の奇行も無礼も、こちらに被害がなければスルーしてやるつもりでいたけどな。
「すべて自分たちの無能が原因だという自覚もないのか? お前らは周りも見えないガキか? この村の子供の方が、よほど理知的で視野が広いぞ?」
「なにッ⁉︎」
「エルヴァラ側から事前の共有と周知があれば、この村みたいな被害は出なかった。お前らが水龍を見失ったときの対処もできた。もし地上に出たとしても、殺さずに捕獲なり誘導するなりの協力も得られた」
「だったら!」
「でも、もう遅い。お前らの身勝手な行いのせいで被害は出た。水龍も死んだ。こちらは当然の対処をしたまでだ。責められる謂れはない。謝罪するのも責任を負うのも、そちらだ」
ぐぬぬ、という顔で身構えているが、手は剣や槍に掛かっている。こっちの世界の常識は知らんが、それ殺されても文句言えない態度なんじゃないのかな。
念のため、弾倉を交換する。十三発プラス薬室の一発。ヘイゼルの援護射撃もあるから、二十何人くらいはどうにかなるだろ。
「ここで俺が武装していなければ、数と武力で叩きのめしてたってとこか?」
「……」
「それがお前らのやり方かよ。そんじゃ、タリオに伝えろ。これ以上他所様に迷惑掛けるなら……」
男たちの目を見て、俺は告げる。
「エルヴァラも、滅ぼすぞ?」




