くすぶるアイルヘルン
戦時か。想定する敵がどこかという問題はあるが、常に戦時な俺たちにはピンとこない。ただ、サーエルバンの住人が今後の状況を考え始めたというのは気になる話だ。
サーエルバンはアイルヘルンの商都、とはいえ立地としてはかなり西寄りにある。そこの住人が備えるとしたら、相手は首都が崩壊した王国か、あるいは揺動著しいアイルヘルン内部の他領地か。
家令メナフさんに案内されて商館を出ると、俺たちは小道を進んで敷地内の別館に入る。二階建ての広く贅沢な作りの建物は、レストランというより貴族の別邸だ。
「こちらです。皆さんは二階でお待ちしております」
別館の正面入り口からなかに入ると、間隔を広く取ったテーブルに客はまばらだった。二階は会談用の個室になっていて、いまはフロアごと貸切にされているそうだ。
二階で待っているというのはサーエルバン領主代行のサーベイ氏とマカ領主エインケル翁、そして警備担当の衛兵コルマーさん。ゲミュートリッヒの代表兼警備担当のティカ隊長もだ。大きなテーブルに地図を広げて、何やら話し合っている。
「ミーチャ殿、ヘイゼル殿。会合の予定を早めてしまい恐縮ですナ」
「いえいえ」
サーベイ氏が立ち上がって俺たちに頭を下げる。エインケル翁も鷹揚に手を振る。
「ミーチャたちとは、“クレイメア王女”の処遇と今後を話すつもりだったんじゃがの」
「彼女に何か?」
「いや、そちらは無事じゃ。これまでの疲れが出とるから、休んでもらっとるがの」
話し合いを前倒した理由がソファルじゃないと聞いてホッとする。サーエルバン側に任せて問題が出るとは思っていなかったが、それはそれとしてだ。
「そういえば、彼女は自分を“アーエル領主の孫娘”と自覚してましたね」
「おお、本人から聞いたわい。あの子は聞いていたより、ずっと政治向きじゃ。聡明で芯があって、覚悟も決めとる。おまけに清濁併せ呑む度量もある」
「予想外ではありましたが、朗報ですナ」
俺は頷いて、先を促す。呼ばれた理由が何か、と衛兵隊長ふたりが覗き込んでいた地図に目を向ける。それがアイルヘルンの全図なのを見て、半分がた理解した。
「最近アイルヘルンの流通路に、奇妙な妨害が入っているんですヨ」
「妨害? それは……野盗のような?」
「野盗にしては度を越えとるがのう」
街道をゆく荷馬車や隊商が襲われている。最初は野盗の仕業と考え、各領とも街道の警備を厳重にしたのだが、その網にそれらしい者たちは掛からず。その後も被害は続いていた。
「エルヴァラでは、衛兵を護衛に付けた領主の馬車まで襲われたそうじゃ」
領主本人が乗っているのではなく、公用郵便みたいな馬車らしい。幸い被害は最小限で撃退できたが、野盗ごときに襲われたとなれば領主の沽券に関わる。エルヴァラでは捕縛しようと躍起になっていたようだ。
「成果は出てないようですナ。というのも、相手の意図と首謀者が読めないんですヨ」
野盗だとしたら意図も何も、金銭目的以外にないのでは? とは思ったが、そんな話ならわざわざ呼ばれない。
おそらく、サーベイさんが“奇妙な妨害”と言ったのがそこだ。
「奪われた荷が、アイルヘルン内部で転売されていないんですヨ」
「え?」
強奪された物資は、どこかに消えているわけだ。転売しているけど巧妙に隠蔽しているとか。略奪行為が露呈しないように加工されているとか。どこかの領に協力者か首謀者がいるとか。
考えることは同じようで、一部の領主は疑心暗鬼になってきている。
国外に転売しているんならわかりやすいが……聖国も王国も破綻しかけて内乱状態だ。盗賊稼業を行うにしても、それがアイルヘルンとなれば手間暇も掛かるしリスクもある。そうまでしてアイルヘルンの物資を送るメリットがあるとは思えない。
聖国や王国の勢力がアイルヘルンに潜入して行っているとしたら。理屈は通るが、現実問題としてあの二国にそんな余力はない。いまは生き延びるので精いっぱいだろう。
「奪われた積荷に、特定の傾向はありますか?」
「報告を見る限り、手当たり次第に見えるがのう」
「塩、衣類や布、金鉱石、麦と種苗、あとは武器甲冑ですかナ」
見事にバラバラなのは、各領が満遍なく被害に遭ってるってことか。たしかにどれも有用ではある。が、傾きかけた国の者たちが、盗賊を擬装してまで求めるものじゃない気はする。
「判明している襲撃地点は、この木片が置かれた場所だ」
衛兵隊長ふたりから言われて、俺たちは机上の地図を見る。
「大きいのが大規模な隊商、小さいのが一輌のみの荷馬車だな」
「赤い木片が商業都市、白いのが工業都市、緑が農業都市だ」
被害を受けた場所は分散していて、関連性や因果関係は思い付かない。
わかっているのは、襲撃の規模や範囲を考えると、採算が取れていないということだけだ。
「学術都市と獣人自治領は?」
「あの二領に商人がいる話は聞かんのう。外部の商人が来るだけじゃ」
タキステナは生存に必須な塩を押さえているので、自分たちから動く必要はないということか。出入りの商人たちは偉そうなエルフの言い値で交渉させられてきたんだろうと勝手に想像してしまう。
カーサエルデに関しては知らん。情報もないし興味もあまりない。他領が“○○都市”なのに、ひとつだけ違うのがお察しだ。一見もふもふパラダイスみたいに聞こえるけど、絶対そんなんじゃないんだろうしさ。
「もしかしてカーサエルデは、外部との接触がなくても生きられる?」
「まあ、そうじゃの」
俺の疑問にはエインケル翁が答えてくれた。
「カーサエルデは大まかに言って、ただの荒野と、ただの群れじゃ」
アイルヘルンの北東部に広がる広大な平野を便宜上、“獣人自治領”と称しているだけ。外部との接触もなにも、そこに政治的・経済的実体はないに等しいのだとか。
あるのは軍事だけだが、群れの縄張り意識と闘争本能が軍事と呼べるのかも疑問だ。
「放っておけば勝手に生きて勝手に争い、勝手に殖えて勝手に死ぬ。誰彼構わず吠え掛かってくるのさえ聞き流せば実害はなかったんじゃがの」
そこまで言ってエインケル翁は、ふと考えるような仕草を見せる。そのままサーベイさんに目配せして、小太り商人氏は少しだけ首を傾げた。
その意味を考えつつ目を向けた俺に、ヘイゼルが念話で囁いてくる。
“わたしも、おふたりの意見に同意します”
俺もだ。カーサエルデが跳ねた。そう考えると、最もしっくりくる。
いままでは、実害がなかったから放置していた。でも他領がカーサエルデに対してそうだったように、カーサエルデ側からしても同じだったとしたら。いちいち突っ掛かってくるのをバカな権勢本能として聞き流してしまったのは、間違いだったかもしれない。
そして、このタイミングというのは偶然じゃない。
“情報が漏れていますね”
頭に響くヘイゼルの声に、俺は静かに頷いた。
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