ブレット&ネイルズ
「子爵、閣下」
ビクついたハイネル元男爵の申告に、カインツは早くも苛立ちを覚えていた。
おかしな音が聞こえたかと思えば、布陣している森の東端で立木が倒れたとかいう報告だった。ゲミュートリッヒに近い辺り。監視の兵を置いたところだ。
「何事も、ないとは、思うのですが」
「そんなわけねえだろうが。ないと思うならお前が確認に行け、ハイネル騎士爵」
「……しかし」
装甲馬車を貫く魔道具の報告は聞いている。それが打ち出されるときに落雷のような音を発することもだ。
護衛の傭兵団に守られたエーデルバーデンの領主も、魔物狩りで鍛えられていたはずの衛兵隊も、王国の精鋭追撃部隊も、サーエルバンに送った教会直属の魔導師や猟兵たちさえも殲滅した化け物。
そいつが、いまゲミュートリッヒにいる。少なくともアイルヘルンにいることは確実だ。
「最初の会戦では、半獣どもの武器は弓と投石と戦鎚だけでした」
「笑わすな。あれが会戦と呼べる代物かよ」
まるでガキと大人の喧嘩だ。水堀と溜め池で隔てられ、壁に守られた高所から、一方的な鏃の雨が降り注ぐのだ。四半哩近くは離れた兵士の頭を正確に射抜く腕前。エルフの弓使いだろうとは思うが、そんな戦力の報告はなかった。
武器を温存していたか、手を抜いても殲滅できると踏んだか。あるいは……
「町に戻ってきたっていう箱車。それに乗っていたのが魔道具使いなんだろうよ」
カインツたち攻め手側が追い込まれたことは明白だった。エーデルバーデンを足掛かりに伸し上がろうとしていたハイネルを転落させた“異物”。その討伐に自分が駆り出されることになるとは。
「夜明け前に出るぞ。俺たちは南側の門を破る。お前らは北側の門に取り付け」
「……ど、どうやって」
知るか。せいぜい派手に騒いで化け物どもを引き付けろ。
カインツは本音を押し殺して、汗だくの“生き餌”に優しげな笑みを向けた。
「投石砲を一門と魔導爆裂球を七発。門を破る魔導破城槌を一本くれてやる」
「そ、それでしたら……」
「お前らが先だ」
笑みを浮かべかけたハイネルの頬が、ビクッと大きく震えた。自分たちが囮役にされることがわかったのだろう。逃げ道を探すように目が泳いだ。
「心配すんな。俺んとこの兵を五人ばかり回してやるよ。……お前らの、後ろにな」
◇ ◇
「来ないですね」
「拍子抜けなのニャ」
夕闇が迫る外壁の上で、俺たちは敵の襲撃を待ち受けていた。
夕方に見張りを交代したとき、食事の支給も受けた。商店街から差し入れられたのは、まだ温かいフィッシュバーガーとフライドポテト。バーガーは新鮮な葉野菜が挟んであって、スパイシーなソースが実に美味い。
飲み物は素焼きの器に入った香草茶。薄くて大きなマグカップみたいな容器は、飲んだら割り捨てるものなのだそうな。土に帰る系のエコロか。
「先ほど監視を潰したから、こちらの動きがわかってない、とかでしょうか」
バーガーを齧りながら、ヘイゼルが西側を見る。
想定される敵の布陣はそちら側なのだけれども、攻撃の前兆どころか何ひとつ動きがない。昼間に殺した敵の死体を回収して埋める間に、なんらかの反応があると思っていたんだけどな。
「監視を置いてるってことは、隙を窺ってるってことだろ。ふつうは、殺されたらわかるようにするもんだ。あんなに大きな音が鳴って木が倒れたら、どんな阿呆でも攻撃を受けたとわかる」
もしゃもしゃとバーガーを頬張りながら、ティカ隊長が呆れ顔で首を振る。
「昼間にひと当たりしたときの動きと練度からして、最初の兵たちは様子見……というか、殺されるのが役目なのは明白だったんだがな。もしかして、あの監視もそうか?」
「殺されるのが役目って……」
「もちろん、こちらの反応と戦力を調べるためにだ。南西から来た王国軍部隊が、わざわざ溜め池と水路を大回りして北の裏門に戦力を集中させたんだ。奇襲のつもりかとしばらく観察していたが、言われたからやってるというだけの行動だ。それで死ぬなど、あまりにもお粗末すぎだ」
「……本隊のための捨て駒か」
「それ以外に考えられん」
ひょいと音もなく外壁に飛び上がってくる者があった。一瞬緊張したが、斥候に出ていたネコ獣人のスーリャだ。彼女が本気でスニークモードに入ると、俺には気配が全く感知できない。
「ティカ隊長、見てきたにゃ」
「どうだった」
「西に半哩くらいのところ、森のなかに天幕を張ってるにゃ。すごい量の魔物避けを撒いてるから、すぐわかったにゃ」
魔物避けっていうのは、ダンジョン攻略でティカ隊長にもらった忌避剤みたいなものか。あの導火線付きの木の筒、着火前から物凄い臭いがしてたからな。
「特に煙が見えなかったぞ?」
「王国軍の使う忌避剤は粉のだ。水に溶いて地面に撒く。獣や魔物は近付かなくなるが……兵の配置を隠す気はないようだな」
「荷馬車が七と、装甲馬車が四。投石砲が三。兵士は騎兵が四十八、歩兵が八十二、魔導師十六、猟兵十三だったにゃ」
「すごいな。そこまで調べてくれたのか」
驚いた俺が褒めると、スーリャは照れたように笑った。
ひとつ気になる兵科があったので、ヘイゼルに尋ねてみる。
「猟兵って、アイルヘルンで襲ってきた奴らだよな。あれ、何者?」
「国によって運用は異なるようですが、暗殺を行う斥候といったところでしょうか。ミーチャさんの知識で言うと、特殊部隊みたいなものです」
「ああ。特に草色の服を着た小柄な猟兵は、聖教会に飼われた暗殺者たちだな」
ティカ隊長がボソッと、追加情報をフォローしてくれた。やっぱり教会の関与は明らかなのねと納得しかけたところで、周囲のひとたちが俯いているのに気付く。
怪訝な顔で見る俺に、ティカ隊長が忌々しそうに吐き捨てた。
「そいつらは、“共食い部隊”と呼ばれてる。聖教会が、亜人を殺すために育てた、亜人だ」




