旗幟
翌朝、宿を出た俺たちはサーベイ商会を訪ねた。
ゲミュートリッヒに立つ前に、挨拶と忠告をしようと思ったのだ。しかし、サーベイさんは聖教会と領主の現状を、かなり正確に把握していた。
それはそうか。商売の基本は情報だろうからな。
「ご心配には及びませんヨ。モルゴーズが領主の座を降りても、対処できるだけの用意はありますからナ」
降りるのではなく失踪するのだけれども。サーベイさんは明言こそしなかったものの、どうやら領主を挿げ替える準備が進められていたような印象を受けた。
さらに衛兵隊長ケイルマンについては、まったく問題ないとのこと。人望もなく実務能力もなく、粗暴で汚職の塊だったケイルマンは対外的な抑止力としてのみ必要とされ、実務は俺たちの聴取に当たった副長コルマーが取り仕切ってきたのだとか。
腕力も眼力も衰えていた狂犬ケイルマンの更迭を止めていたのは、悪徳領主モルゴーズとの癒着だ。
「証拠は揃って準備も済んだいま、むしろ歓迎すべき状況ですナ」
笑顔で頷くサーベイさん。領主と衛兵隊長には手を出せなかったのではなく、排除する時期を待っていただけのようだ。
「ただ、ロワン司教については、いきなり消えると面倒なことになりますナ。ミーチャ殿に踏み留まっていただけたのは、ありがたいですヨ」
実際には、踏み留まったわけではない。ヘイゼルの超英国力を以てしても手を出し難かったので、先送りにしただけだ。
「では、お世話になりました」
「こちらこそ。今後とも、末長いお付き合いをお願いしますヨ」
装輪装甲車に乗り込む俺たちを、ホクホク顔で見送る小太り商人氏。
これからの展開次第ではサーエルバンとゲミュートリッヒの間は、しばらく行き来ができるか不安が残る。そのため昨夜のうちに、保存の心配がない物資を中心に大量の取引を済ませたのだ。
砂糖、塩、小麦粉、蒸留酒、ミネラルウォーター、タオル、毛布、皿や器、銀食器など。
こちらの世界で軍事転用しにくいものを、とも考えたがDSDの在庫は英軍酒保経由だ。狭義か広義かの差でしかないと思って止めた。
あれこれ選んでいるうちに量が膨れ上がり、気付けばエラいことになっていた。小さめの体育館ほどもあるサーベイ商会の倉庫が、四分の一ほど埋まる量だ。取引額は金貨にして約四千枚。現地の貨幣価値で概算八千万円、DSDのポンド換算では……
“二億二千四百万円ですね”
“によォッ⁉︎”
ヘイゼルからは、念話で教えてもらって正解だった。契約文書を交わしたサーベイさんの執務室で、俺は思わず奇声を発しかけた。
小銭を掻き集めて生きるか死ぬかの瀬戸際を乗り切ってきた日々も終わり。これで一気にカネの心配はなくなったのだが。
「不思議なことに、必要なものも思い付かなくなったな」
「そんなものです」
◇ ◇
「お世話になりましたニャー♪ また来ますニャー♪」
サラセンの前部銃座で立ち上がったまま、正門の衛兵たちに愛想を振るネコ耳娘。相手はいくぶん怯えた感じだけれども、ノリノリで手を振って気にする様子もない。
後部コンパートメントのベンチシートでは、見た目は同じ当のエルミがシブーい顔で首を振る。
「……なんか、ヘンな感じなのニャ。……それに、すごーく納得いかないのニャ!」
「気持ちの問題はともかく、ヘイゼルの提案が妥当だとは思うぞ? エルミが外で目立つのは、俺も反対だ」
「ヘイゼルちゃんだって、危ないのは同じなのニャ!」
「おなジわけ、ないダろ」
ベンチシートの向かいで、呆れ顔のマチルダがボソッと吐き捨てる。
「お前、魔導師ダろ。なんで、アんなのを前に、平然とシていラれる」
「あんなのって、どんなのニャ?」
「轟く瀑布のゴとき、膨大な魔力。魔王でサえ、あれホどではナい」
「……ニャ? ヘイゼルちゃん、魔力そんなに強くないのニャ」
無邪気なエルミのコメントを、マチルダは鼻で笑った。
「それがオかしいノだ。この馬鹿デカい箱車を、ソして昨夜の尋常デはない物資を、自在に出し入れスる魔力だけデも、ワタシやオマエ程度のハずがナい」
ヘイゼルの魔法行使を観察していると、周囲の“外在魔素”や“体内魔素”の動きがないのだそうな。それは魔力に頼っていないか、魔力でない何かで動いているかだという。
魔族だけあってマチルダは魔法に詳しいようだ。その結果として混乱を深めているらしい。残念ながら俺にはサッパリわからん話だが。
「ミーチャさん、速度そのまま」
屋根に立ったヘイゼルが、ネコ耳娘の姿で笑う。山道に入る手前、平地の奥に敵の待ち伏せを発見したようなのだけれども、俺の目では視認できない。
どんな敵なのかわからないので、どう対処すべきかも判断できない。減速しようとしたのは制止させられてしまった。
「ヘイゼル、危ないようなら車内に戻れよ?」
「大丈夫です、ニャ」
「ニャはもう良いから。敵を誘き寄せたのだけ確認できたら、ヴィッカースで……」
「来ます!」
百メートルほど先の茂みが、ブワッと一斉に膨れ上がった。わずかに揺れる葉陰で、それが草色の布で偽装した人影だとわかる。その数、十数体。低く伏せたまま凄まじい速度で、真っ直ぐこちらに突進してくる。
後ろに密生する潅木の陰からは、雨のように大量の矢が放たれた。どちらか一方に手を割いた時点で、もう片方を喰らうという二段構えか。いや……
「ヘイゼルちゃん、直上ニャ!」
上空から真っ直ぐに落ちてくる灼熱の光球を見上げて、ネコ耳娘のヘイゼルが笑った。
「素晴らしいです♪」
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