第3章 北へ(1)
町へ戻る道すがら、フィリップはアリアからいろいろな話を聞いた。おとぎ話や龍のこと、飾り珠のこと、不思議な岩のこと、それから ―――。
「ええと、じゃあ、アリアは大剣を探してるんだね?」
こめかみを手で押さえながら ――― なんて突飛な話だろう、おとぎ話の大剣がこの世に存在するとは! ――― フィリップが言った。
「飾り珠を集めるために?」
アリアは「ああ」と大様にうなずいた。
「飾り珠は大剣に引き寄せられるそうだ。ならば、宝珠を探すよりも先に大剣を手に入れるべきだろう」
でも、とフィリップはアリアを見た。その横顔は至ってまじめで、フィリップはますます頭が痛くなった。
「集めてどうするの? この宝珠、持ち主と認めたひと以外に力を貸したりはしないんでしょう?」
アリアはまっすぐに前を見据えたまま
「この世から消す」
と、答えた。ひとつ残らずな、と続ける。フィリップはこめかみから手を離した。
「どうして ―――?」
「戦争の火種になるからだよ」
白いスミレの上を滑るように歩きながらアリアが言った。
「飾り珠には厄介な伝え話もあってな。宝珠を八つ、全て手にした者は世を統べる王になると云われているんだ」
「そんな言い伝えがあったの? ぼく、はじめて聞いた!」
「一部の王族や貴族の間にのみ伝わる話だ。市井の者は知らないだろう」
だが、とアリアはかすかに眉を寄せた。
「強い力を秘める宝珠だ。王侯貴族以外にも狙う奴輩は多い」
フィリップは「そうなんだ」とつぶやくとじっと足元を見た。そっと赤い宝珠に触れる。アリアの話を全て信じることはできなかった。けれど、この宝珠が ――― 本当の家族に通じる宝珠が、自分の手に余る物らしいということはよくわかった。
「これからどうするの?」
アリアに目を移しながらフィリップは言った。ぎゅうと赤い宝珠を握る。
「大剣がどこにあるか、わからないままなんでしょう?」
アリアはきっぱりとした口調で「北に戻る」と答えた。
「王都で文献を洗い直す。君も上着を取ってくるといい」
なんだって? フィリップが思わず聞き返すと、アリアは
「向こうはまだ浅春だ。ここよりもずっと寒い」と、言った。「シャツ一枚ではさすがに風邪を引くぞ」
そうじゃなくて、とフィリップは強く首を振った。
「ぼくも行くの? きみと一緒に?」
アリアはまばたきをすると「ああ」とうなずいた。
「君の意見も聞きたいしな」
フィリップはまじまじとアリアの横顔を見つめた。考えたこともなかったのだ。アケルナルの町を離れる? ぼくが? そんな ―――。
「……行けないよ」
と、フィリップはつぶやいた。ぽりぽりと耳の後ろをかく。
「王都に着くまでふた月はかかるんでしょう?」
行ってみたい気持ちはあった ――― この国一番の町とはどんなところだろう? 旅の商人が言うように、珍しい物や人であふれているのだろうか? ――― だが、あまりに遠い道のりだ。さすがのフィリップも気安く行くことはできなかった。
「養父さんも養母さんも心配するだろうし、町のみんなだって……」
アリアは「そうか」とうなずくとじっとフィリップを見た。低い声で
「君は大切な人々がどうなってもいいんだな」
と、ささやく。フィリップは目をしばたたいた。
「言っただろう? 戦争の火種になる、と」
声を押し殺したままアリアが続ける。
「飾り珠を手に入れる、それだけのために村を焼き、町を瓦礫に変えた王侯貴族は数知れない。大切な人々を戦火に巻き込みたくなければ、君はこの土地を離れるべきだよ」
「そんな……」
フィリップは呆然と立ち止まった。でも、とシャツの裾を強く握る。
「この宝珠、すごい力を秘めてるんでしょう? なら、その力を使って ―――」
「使えるのか?」
冷めた口調でアリアが言った。
「易い宝珠ではないぞ。君に使いこなせるのか?」
フィリップははっと左手を見た。アリアの言う通り、ぼくは赤い宝珠の使い方を知らない。けれど、昨夜は確かに、この手に炎が踊っていたのだ。あれはいったいどうやったのだろう? フィリップは記憶をたぐったが、こめかみがずきりと痛むばかりで、何も思い出すことはできなかった。
「……使い方を教えてくれる?」
フィリップはおずおずと顔を上げた。
「きみと一緒に行ったら?」
アリアは黒い瞳を細くすると「さあな」と答えた。
「飾り珠はむら気が強くてな。使い方を教えたところで、君の思うままにはならないだろう」
ただ、と視線をそらす。少しかすれた声でアリアはつぶやいた。
「守ってはやれる」
フィリップは開きかけた口を閉じて懸命に考えた。町の住人を危険にさらすことはできなかった。しかし、アリアの言葉を信じて町を離れることもためらわれた。ぼくはどうしたらいいのだろう? フィリップはぐっと奥歯をかみしめた。大切な人々の顔が次々に思い起こされる。船の親方、山羊飼いの少年、ペシュールおじさん ――― そして、町長夫妻。
どれほど悩んでいたのだろう。こめかみがずきずきと痛み始めたころ、フィリップはようやくうなずいた。
「わかった。きみと一緒に行くよ」
【用語解説】
王都:国王の住む都。首都。この国で最も栄えている。