第2章 歌声と少女(4)
しばらくすると、少女は外套の下から古びた小箱を取り出した。細工のすり減ったふたを開ける。ポンッと軽い音が鳴ったかと思うと、少女の手には真鍮製の水筒が握られていた。魔法だ、とフィリップは目を輝かせた。はじめて見た!
「きみは魔法使いなの?」
わくわくしながらフィリップが尋ねると、少女は「いいや」と首を振った。水筒を開け、ひと口飲むと膝に置いた小箱に視線を落とす。
「これは魔道具だ」
魔道具? フィリップがまばたきを返すと、少女は
「魔法の道具だ。魔法使いでなくとも魔法の力を扱える」
と言い、さらにひと口水を飲んだ。そして、ふと思い付いたように「飲むか?」と水筒を差し出した。フィリップはまたひとつまばたきをした。
「じゃあ、昨日の霧や雨は?」
水筒を受け取りながらフィリップは再び尋ねた。
「あれも魔道具を使ったの?」
と、小箱に目を向ける。なんて便利な道具だろう、天気を操ることもできるとは! だが、少女はまたしても首を横に振った。
「あれらは魔法の類いによるものではない」
と、外套をめくり、首元のブローチを指さす。
「雨を降らせたのはこの宝珠だよ」
そこには青い玉が ――― フィリップの持つ赤い玉によく似た宝珠があった。
「それは……?」
「龍の首の宝珠だ」と、少女。「我々は“飾り珠”と呼んでいる」
飾り珠、とフィリップがくり返すと、少女は
「伝え話があるだろう?」
と、言った。フィリップは宿屋の老婆の語る古いおとぎ話を思い出した。
「欲深な人間と争う話のこと? けど、それが ―――」
どうかしたの、と訊きかけてフィリップは口を閉じた。はっと少女の顔を見る。
「まさか本当に……?」
少女は落ち着き払った表情で「ああ」と答えた。
「これはその龍の首の宝珠のひとつだよ」
君の赤い玉もな、と続ける。フィリップはびっくりして
「あれは作り話でしょう?」と、言った。「だって、この世界に龍はいない……」
少女は「そうだな」とつぶやくと外套を元に戻した。ちらりと空を見上げ、
「詳しい話は歩きながらにしよう」
と、立ち上がる。フィリップは慌てて水を飲むと ――― バラの花水だろうか、ほんのりと甘い香りがした ――― 少女に水筒を返した。
「ありがとう。おいしかった」
少女は目を伏せると「そうか」とうなずいた。ぞんざいに小箱を開ける。するすると水筒が吸い込まれると、少女は小箱を上着のポケットにしまった。それからはたと思い出したように
「まだ君の名前を聞いていなかったな」
と、フィリップを振り返った。おきを転がしていたフィリップは顔を上げると
「ぼくはフィリップ。アケルナルのフィリップ」と、言った。「きみは?」
少女はすうっと目を細めると「やはりな」とつぶやいた。
「憶えていないか? 君は昨夜、私の名前を呼んだぞ?」
そうだっけ? フィリップが首をひねると、少女は「アリアだ」と短く答えた。
「アリアと呼べ、フィリップ」
葉洩れ日に照らされた少女の顔は、なんだか少し寂しそうに見えた。
【用語解説】
魔法:ヒトの扱う不思議な術。魔術。まじない。
花水:花や果実で香り付けされた水。
アケルナル:フィリップの育った田舎町。小さな漁師町。
氏姓を持たない平民は出身や職業を名乗る。