第2章 歌声と少女(3)
フィリップは夢を見た。黄金色に輝く髪をした少年の夢だ。
少年は青い瞳で静かにほほ笑んでいた。フィリップの頭を優しくなで、二言三言ささやく。ぽんぽんと軽く肩をたたくと、少年はフィリップに背を向けて歩き出した。待って、と何度も呼びかけたが、少年が振り返ることはとうとうなかった。細い背中はみるみる遠ざかっていく。フィリップは懸命に手を伸ばした。
「待って。行かないで。にい ―――!」
パチン、と夢がはぜた。目を覚ましたフィリップはまばたきをすると ――― もうずいぶんと日が高いのだろう、木漏れ日がまぶしかった ――― ゆっくりと体を起こした。そっと胸に手を置く。胸騒ぎはすっかりよくなっていた。フィリップはほっと息を吐くと夢を ――― 夢で会った少年を思い出そうとした。不思議な少年だった。あの子は誰だろう? ぼくに何と言ったのだろう? フィリップは頭をひねったが、思い出せることはほとんどなかった。ただ、ひどくなつかしかった。うれしそうに笑う少年の顔はフィリップにそっくりだった。
フィリップはあくびをすると周囲を見回した。消えかけたたき火と薄手の外套に身を包んだ少女の姿が目に入る。少女はカシギの幹に体を預けて眠っているようだった。きれいな子だな、とフィリップは思った。まるで人形みたいだ。こがれ色の髪は手入れが行き届いてつやつやしていたし、象牙色の頬は傷ひとつないほどすべらかだった。裕福な家の娘に見えるが、この子はいったい何者だろう?
「……起きたか」
不意に少女が目を開いた。じっとフィリップを見る。おはよう、とフィリップが声をかけると、少女は長いまつ毛を伏せて「ああ」と答えた。
「昨夜は助かった。礼を言う」
と、軽く頭を下げる。フィリップは少しどぎまぎしながら ――― なんてぶっきらぼうな話し方をする女の子だろう! ――― ぼくのほうこそ、と返した。
「助けてくれてありがとう。ぼくひとりじゃ逃げ切れなかった」
少女はかすかに眉根を寄せると「そうか」とつぶやいた。鋭い目でまたじいっとフィリップを見る。
「訊きたいことがある。いいか?」
なんだろう? フィリップが小首をかしげると、少女は
「君はこの土地の人間だろう? あの化け物に心当たりはないか?」
と、言った。フィリップは「さっぱり」と首を振った。
「あんな化け物、見たことも聞いたこともないよ」
「小妖精や小鬼では?」と、少女。「あれらのたちの悪い冗談ではないか?」
「それはないと思う」と、フィリップ。「この森に小妖精はいないんだ。小鬼はいるらしいけど、ぼくもロビンも ――― 山羊飼いの男の子も会ったことがないし、木こりのじっちゃんももう何十年も姿を見ていないって言ってたから」
「では、狐や狸はどうだ?」
「どっちもいないよ、このあたりには」
フィリップは左手で耳の後ろをぽりぽりかいた。イタチはいるけど、と続ける。
「でも、いたずらをしてもせいぜいぼやを起こすくらいだよ。キツネやタヌキみたいに姿を変えたりはできなかったと思う」
少女は「そうか」とうなずくと口を閉じた。眉間にしわを寄せ、なにやら熱心に考え込んでいる。フィリップはしげしげと少女の顔を見つめた。どうしたものか、フィリップも少女に訊きたいことがたくさんあったのだ。きみは誰? 何を調べているの? あの岩はいったい ―――?
【用語解説】
カシギ:ヤエヤマガシ。ブナ科の常緑広葉樹。
こがれ色:焼け焦げたような暗い茶色。焦色。
小妖精:小型の妖精類の総称。有翼で悪戯好き。
小鬼:小型の妖怪類の総称。ヒト型で悪戯好き。