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Canopus  作者: 水野葵
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第2章 歌声と少女(2)

 フィリップはゆっくりと少女に近付いた。足音は届いているだろうに、少女は岩をにらんだまま、こちらを振り向こうとしなかった。何を夢中になっているのだろう、とフィリップは首をかしげた。よほどあの岩が珍しいのだろうか? フィリップは少女に話しかけようとしてはたと口をつぐんだ。少女の唇がぴくりとも動いていないことに気付いたのだ。あどけない声はしじまに歌い続けている。この歌をうたっているのはもしや ―――。

「岩……?」

 フィリップがそうつぶやくと同時に、少女が振り返った。鋭い視線がフィリップを射抜く。次の瞬間、青い炎が ――― いや、(りゅう)がぐるりと少女の体を取り巻いた。だが、フィリップがまばたきをするとそれは消えてしまった。

「君は……!」

 おもむろに少女が口を開く。その押し殺した低い声に、暗く冷たい瞳に、フィリップはしかと覚えがあった。ぼくはこの子を知っている? 会ったことがある? でも、いつどこで ―――?

 ざわり、とまた強く風が吹いた。じっとりと手に汗がにじむ。フィリップが少女の後方(うしろ)に目を向けると、遠くでゆらめく二つの火の玉が見えた。あの化け物だ! ――― と、思うや否やフィリップは駆け出した。少女の手をつかみ、もと来た道を全速力で走る。

「何を ―――?」

 驚く少女に「後ろ!」と応える。ようやっと化け物に気付いたのだろう、

「あれは ―――っ!?」

と、少女が怒鳴る。わからない、とフィリップも大声で返す。

「ぼくもさっき襲われたんだ!」

 少女は舌打ちするとランタンの火を消した。フィリップに

「持っていろ!」

と、押し付ける。フィリップがランタンを受け取ると、少女は外套(がいとう)の下からナイフを取り出し、化け物めがけて投げ付けた。ナイフは薄闇を切り裂きながら飛んでいく。そして、二人の後を追う化け物の片方に当たった ――― ように見えた。目玉に当たる寸前、化け物は長い腕をくねらせ、するりとナイフをかわしてしまった。

「駄目か……」

と、少女がうめく。パチンと細い指を鳴らすと、どうしたことだろう、たちまちあたり一面に霧が立ち込めた。ヤギの乳のようだ、とフィリップは思った。これだけ濃い霧だ、上手(うま)く紛れてやり過ごせるかもしれない。こっち、と少女の手を引くとフィリップは大きく右に曲がった。ちらと化け物に目をやる。けれど、二人の姿が見えているのだろう、らんらんと輝く目玉は迷うことなくついてきた。

「厄介な……!」

 少女がまた指を鳴らした。すうっと霧が薄れ、代わりにはぜるような水の音が響く。ごうごうと地面が揺れ、フィリップは思わず立ち止まった。振り向くと無数の(やり)が ――― 違う、雨だ。鋭い雨が化け物めがけて降り注いでいる。しかし、その雨も腕をすり抜けるばかりで、化け物を押しとどめることはできなかった。

 行こう、とフィリップは少女の手を強く引いた。だが、少女に動く気配はない。見ると、少女は地面に片膝をつき、ぜいぜいと荒く息をしていた。

「どうしたの?」

 驚くフィリップに「心配ない」と少女が答える。

「少し疲れただけだ。じきに治る」

と、手を払い、きっとフィリップを見上げる。

「私に構うな。先に行け」

「だけど ―――」

 フィリップは再び化け物に目を向けた。やつらの長い爪は二人の鼻先にまで迫っている。

「早く ―――!」

 どうしよう? この子を背負って逃げ切れるだろうか? フィリップが覚悟を決めた、そのときだった。

「仕方がないな……」

 不思議なことが起きた。フィリップの足がひとりでに動いたのだ。少女を守るように化け物の前へと進み出る。右手を宙に広げると、ぼうっと大きな音を立てて炎が躍った。

「言ったはずだ。まだ手を出すな、と」

 ささやくような声が響く。フィリップはその声を ――― あまりに落ち着いていたので、それが自分の声だとわかるまでにしばらくかかった ――― 遠くで近くで聞いた。

「約束を(たが)えるのなら容赦はしない」

と、誰かが ――― フィリップを通じて“誰か”が告げる。ひたひたとにじむ怒気にフィリップは息を()んだ。

「さあ、どうする? おとなしく引き下がるか、それとも ―――」

 ゆっくりと前に踏み出す。化け物は赤い目玉を震わせ、じりじりとたじろい気味に後ずさった。

「僕のこの炎で焼かれるか」

 一歩、さらに一歩と間合いを詰める。手のひらの炎がますます(あか)く燃え、化け物は一目散に森の奥へと逃げていった。

「闇をうごめくものたちは日の光や炎を嫌う」

 化け物の姿が見えなくなると、“誰か”は少女を振り返った。軽く手を振り、炎をかき消す。

「もうすぐ夜が明けるけど、念のため火を()いておくんだよ」

と、優しくほほ笑み、穏やかな声で呼びかける。

「大丈夫かい、アリア」

 少女は呆然(ぼうぜん)と“誰か”を見ていたが、やがて小さく「アル」とつぶやいた。

「君は本当に ―――?」

 ぐらり、と視界が揺れた。こめかみをしたたか打ち付ける。少女の言葉を聞き終える前に、フィリップはまた気を失った ―――――。

【用語解説】

 外套:フード付きの丈の長い外衣。マント。

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― 新着の感想 ―
はじめまして!Xから来ました!世界観、キャラなど作り込まれていて読みやすかったです!あと、魚の用語説明があって、魚好きからしたらちょっと読んでいて面白かったです!
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