表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Canopus  作者: 水野葵
3/11

第1章 少年フィリップ(2)

 その日は朝から嫌な予感がしていた。

 目を覚ましたフィリップはざわざわする胸を押さえ、それまで見ていた夢を思い出そうとした。恐ろしい夢だった。しかし、それ以上はどうしても思い出せなかった。フィリップが思い出そうとすればするほど、夢は記憶の隙間からこぼれ落ちてしまうのだ。ただ、とても怖い夢であることだけははっきりと(おぼ)えていた。

 フィリップは諦めてベッドから立ち上がり、床に落ちていたタオルで ――― 少年(こども)の多くがそうであるように、フィリップもまた“片付け”という行為に必要性を感じていなかった ――― 顔を拭くと、パンとチーズだけの簡単な朝食を済ませた。それからいつものシャツとズボンに着替え、長い髪をひとつにまとめて赤い玉の髪飾りをつけた。すっかり身支度が整うと、フィリップは小屋を出て町に向かった。胸騒ぎの収まる様子は全くなかった。


「おう、坊主。今日もおつかいか?」

 フィリップが浜辺を歩いていると船の親方に呼び止められた。親方は若い船夫(せんぷ)と甲板の掃除をしていたようで、手には大きなバケツとブラシを持っていた。フィリップは二人に挨拶をしながら船に近付いた。

「親方、ペシュールおじさんを見なかった?」

「なんだ、あのじいさん、また弁当を忘れたのか?」

 親方はあきれたように笑い、ブラシの柄で海岸の西を指した。

「じいさんならあっちの岩陰で釣りをしてるぜ。なんでもタマンがいるんだとよ」

 フィリップがお礼を言うと、親方は「いいってことよ」とにっこりした。

「そんなことより、坊主、また漁の具合を見てくれよ」

 フィリップは「わかった」とうなずき、親方の乗っている船を ――― 町で最も大きな船を見た。いつも通り立派な船だ。二本の帆柱は高くそびえ、長い竜骨は堅く頑丈そうだった。

「どうだ? 明日は大漁か? ん?」

「いつもと同じ。悪い感じもしないよ、船からは」

 でも、とフィリップは続ける。

「明日は町にいたほうがいいと思う。ぼく、とても怖い夢を見たから」

「夢? そりゃまたどんな夢だ?」

「わからない。何も思い出せないんだ。けど、すごく嫌な感じがする」

 嫌な感じかぁ、と親方は頭の後ろをぼりぼりかいた。

「坊主の勘は当たるからなぁ……」

と、小さくうめく。三年前になるだろうか、フィリップが嵐の訪れを言い当てたことがあった。ひどい嵐だったが、季節外れなこともあり、町の住人は誰も予測することができなかった。ただ、フィリップだけがしきりに「嫌な感じがする」と言っていた。それからだ、親方はフィリップのいう“嫌な感じ”を信頼し、たびたび漁の具合を()くようになった。

「仕方がねぇ。明日の漁は諦めるか」

 親方はため息をつくと船夫を振り返った。

「おう、マラン。聞こえてただろ? 明日の漁はやめだ。お前、今日はもうあがって船の(やつ)らにそう伝えな」

 それまで適当に甲板を磨いていた船夫は「へい、親方!」と元気よくうなずき、いそいそと掃除道具を片付け始めた。親方は「現金な奴め」と苦笑いをした。

「ところで坊主、お前さん、晩飯の当てはあるのか?」

 船夫にバケツとブラシを手渡しながら親方が言った。

「うちに来るか? ちょうどいい腸詰めが手に入ったんだ」

「ありがとう。でも、養父(とう)さんたちのところに行くから……」

「なんだ、実家(いえ)に戻るのか?」

 親方は少し驚いた様子で振り向いた。違うよ、とフィリップは首を振る。

「ただの約束。九曜日の夜は養父さんたちとご飯を食べることになってるんだ」

 そうか、と親方は目を細めてまじまじとフィリップを見た。

可愛(かわい)がられてるんだなぁ、お前さん」

「まさか! お行儀が悪いとか、勉強しなさいとか、いつもお小言ばかりだよ」

 フィリップは思い切り顔をしかめた。うんざりした口調で続ける。

「ぼくが仕事を継げればそれでいいんだ、養父さんたちは」

「懲りねぇな、町長たちも」

 親方はまたあきれたように笑い、むくれているフィリップの頭をなでてぐしゃぐしゃにした。ポケットに片手を突っ込み、さびついた銅貨を五枚取り出すとフィリップに握らせる。

「ほらよ、坊主。引き止めて悪かったな。そいつで何か(うま)いもんでも食べな」

 フィリップは親方にお礼を言い、若い船夫に手を振ると、海岸の西に向かって歩き始めた。

【用語解説】

 タマン:ハマフエフキ。フエフキダイ科の海水魚。高級魚。

 九曜日:カレンダーで『9』のつく日。

    なお、この世界は週10日制である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] RTしたら小説を読みに行くというハッシュタグから失礼します! 目の前に情景が広がる文章、読みやすくて良かったです!
[良い点] フィリップの勘はよく当たるーーー。これから何が起こるのか、とても興味をそそられます。また、少しづつ読んでいきたいと思います。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ