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Canopus  作者: 水野葵
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第3章 北へ(2)

 それから二人は黙々と歩いた。足早に森を抜け、タンポポの茂った畑道を東へと急ぐ。途中、フィリップの寝起きしていた小屋に立ち寄り、町の住人に宛てて書き置きを残すと ―――「本当は会ってお別れを言いたいけど」と、フィリップ。「でも、いいんだ。みんなの顔を見たらせっかくの決心が鈍るから」――― さらに東へ向かった。狭い裏路地には誰も ――― ユシギの根元にうずくまる黒猫以外は何もいなかった。


 町を東に抜けるとエリダヌス川のほとりに出る。ほとりには朽ちた桟橋があり、老いた柳が長い影を落としている。その陰に隠れるように、ひとりの青年が立っていた。青年は左腕にマントを引っかけ、ぼんやりと川の向こうを眺めていた。リオン、とアリアが呼びかけると、青年は振り向いて「お帰りなさいませ」と頭を下げた。お屋敷の従僕だろうか、ひどくかっちりとしたお辞儀だった。

「西の森はいかがでした?」

 青年は丸い顔を上げるとちらとフィリップを見た。アリアに

石碑(いしぶみ)はございましたか?」

と、尋ねる。アリアは鈍い声で「ああ」と答えた。何の話だろう、とフィリップは耳をかしげた。不思議な岩の話だろうか?

「タリタで見た物と同じだった」

 わずかに眉を寄せてアリアが言った。

「悪いな、無駄足に付き合わせて」

「お気になさらず」と、青年。「しかし弱りましたね。これからどうなさいます? いっそコライユまでいらっしゃいますか?」

「いや、クルサに戻ってくれ。スハイルの手記を調べ返したい」

「かしこまりました」

 青年はうなずくとまたもちらりとフィリップを見た。くたびれたマントを羽織り、銀細工の古いピンで留める。お待たせしました、と青年が顔を上げると、アリアはふと思い付いたように

「そちらはどうだった?」と、言った。「手掛かりになりそうなものは?」

 青年は(あお)()を伏せて「申し訳ありません」と首を振った。

「周辺のものにも尋ねてみたのですが……」

 アリアは「そうか」とつぶやくと口を閉じた。かすかに眉を下げて対岸を見る。青年は優しくほほ笑むと

「七年も前のことですから」と、言った。「どうかお気になさらず」

 そして、ぱっとフィリップを振り返った。二人の話に耳を傾けていたフィリップはぱちぱちとまばたきをした。

「こちらの方は?」と、青年。「ご紹介いただけませんか?」

 アリアはぶっきらぼうに「フィリップだ」と答えた。

「森で会ってな。行動を共にすることとなった」

「左様でしたか」

 青年はにっこりすると右手を ――― 入れ墨だろうか、手の甲にはいくつもの星が描かれていた ――― フィリップに差し出した。ご挨拶が、と言いかけてあっと息を()む。

「そちらの赤い玉はもしや ―――?」

 うわずった声で青年がつぶやくと、アリアが

「その“もしや”だよ」と、うなずいた。「ラハブの飾り(だま)だ」

「これはこれは……」

 青年はうれしそうに赤い宝珠(たま)を見た。それからフィリップに向き直り、

「ご挨拶が遅くなりましたね。レグルスと申します」

と、再び右手を差し出した。フィリップは青年を見上げると ――― なんて背が高いのだろう、おとぎ話の魔法使いのようだ! ――― よろしく、と手を握り返そうとした。だが、うっかり左手を伸ばしてしまった。フィリップがおたおたしていると、青年は優しくほほ笑み、左手で握手を返してくれた。

「ありがとう ―――」

 ぞわり、と全身の毛が逆立つ。フィリップははっと口をつぐんだ。

「……どうかなさいました?」

 心配のにじむ声で青年が言った。フィリップは周囲に目を走らせると「なんでもない」と首を振った。気のせいだろうか、あたりには化け物はおろか、カワセミの一羽も見当たらなかった。

「では、そろそろ……」

 青年は ――― もとい、レグルスはフィリップの左手を握ったままアリアを振り返った。参りましょう、と軽く頭を下げる。アリアがフィリップの右手を取ると、レグルスは少し低い声で

「決して手を離さないでくださいね」

と、フィリップに言った。そして、胸元の古いピンをカチカチカチと回した。ぐにゃりと視界が揺れる。フィリップは目をしばたたいた。

「ここは……!」

 視界が戻ると、そこは隣村の寂れた船着き場だった。何が起きたのだろう? 魔法だろうか? フィリップがきょろきょろしていると、レグルスは青鈍(あおにび)の瞳を細くして

「もうしばらく手を握っていてくださいね」

と、ほほ笑んだ。再び古いピンを回す。目の前がぐにゃりと揺れ、あたりの景色が入れ替わる。フィリップはわあっとため息をついた。

「ねえ、そのピンってもしかして ―――」

 魔道具なの、と()きかけてフィリップは口を閉じた。アリアに「黙れ」と小突かれたのだ。フィリップがむっとしていると、レグルスが太い眉の端を下げて

「集中しなければなりませんから」

と、言った。三度(みたび)古いピンを回す。カチカチカチ。ぐにゃり ―――――。

【用語解説】

 ユシギ:イスノキ。マンサク科の常緑広葉樹。

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