第5話「堕ち人」
体調が良くなり、ベッドから出られるようになった。
以前にも増して私の手を握るようになった旦那様(仮)に連れられて、私は魔王城へと赴いた。
旦那様(仮)曰く、ご挨拶らしい。
「魔王様、妻です」
「ふむ」
とても豪華な玉座に、魔王様が座っている。
立派な一角を額に持つその御方は、旦那様(仮)とはまた違う、綺麗で真っ赤な目をしていた。
「人間嫌いのお前が、まさか人間を妻にするとはな」
「こいつは別にいいんです」
なんというか、目上のひと相手なのに気安い。
そもそも親に対しても口が悪かったから、誰に対しても旦那様(仮)はこうなんだろう。
またもや他人事のように突っ立っていれば、魔王様の傍らに誰かが立っているのに気が付いた。
────え、人間?
私と同い歳くらいの女の子。身体のあちこちに包帯が巻かれている。
『自傷行為によるものよ』
お医者様の言葉を思い出す。
そうか、この人が堕ち人なんだ。
「それが例の堕ち人ですか?」
遠慮を知らない旦那様(仮)が堕ち人さんを指で差した。
「そうだ。名前をレスと言う。レス」
魔王様に促され、レスさんがぺこりとお辞儀をした。
「異界より堕ちた死者だ。不良品で、この通りよく怪我をする」
死者。この人は、死んでいるのか。
信じられない気持ちでもう一度レスさんを見て、そこでようやく気が付く。
────目が、死んでいる。
どう見ても生きている人間なのに、その目は既に死んでいた。
ゾッとして、思わず身震いしてしまう。
手を通して伝わった震えをどう捉えたのか。旦那様(仮)は私をチラリと見て、そして魔王様に問う。
「不良品なら、捨てれば良いんじゃないですか」
何故、手元に置いているんですか。
旦那様(仮)のその問いかけに、お前が言うなと言いたくなる。
────旦那様(仮)だって、いつまで私を妻のままにしておくの?
何の取り柄もない無力な人間の私なんて、ただの代替品なのに。いつか捨てられる消耗品なのに。
要らぬ期待をしてしまうのは、旦那様(仮)のせいだ。
「陛下」
魔王様の答えよりも先に、予想もつかない人物から声が上がった。
「お許しを頂けますか」
「……どうした、レス」
レスさんが、死んだ目で真っ直ぐに私を見ていた。
「そこの奥方様と、お話がしとうございます」
小さいけれど、綺麗なお部屋。
可愛らしいティーセットが並ぶテーブルを挟んで、レスさんと私は向かい合って座っていた。
「初めまして、私はレスと申します」
「は、はじめっ、まして」
盛大に噛みつつ、何とか自己紹介をする。
レスさんはやんわりと笑って、お茶とお菓子を勧めてくれた。
「陛下は砂糖菓子がお好きでよく分けてくださるのですが、私はどうにも甘いのが苦手で、たくさん余らせてしまうのです。良ければお土産に持って帰ってくださいな」
「あり、ありがと、ございます」
「奥方様は、甘いのがお好きですか?」
「は、はい、好きです」
「それは良かった」
死んだ目をしているけれど、話してみると普通の人だと思った。
「奥方様は、この世界で生まれた人間なんですよね」
「はい、ずっと南にある島国で暮らしていました」
「南というと、暑いのですか?」
「とっても暑いです。たくさんお花が咲いてます」
「花ですか。陛下が好きそうなところですね」
「魔王様はお花が好きなんですか?」
「ええ。よく花を贈られます」
「贈られ……?」
レスさんの言葉に違和感を感じる。
「魔王様がレスさんにお花を贈るんですか?」
「ええ。私はあまり好きではないのですが、懲りずによくお渡しになるのです。無類の花好きで、私とも共有したいようで」
それは言外に、好きでもない花を押し付けられて迷惑だと言っていた。
よく周りを見渡してみれば、部屋の中にかなりの数の花があることに気が付いた。
「この部屋のお花がそうなんですか?」
「はい。全て置いておくと足の踏み場が無くなるので、貰ったものの日付を記録して、古いものから順番に処分しています」
事務的な言葉に、この人は魔王様のことを何とも思っていないんだなと、はっきり言われずとも分かってしまった。
「……大変じゃないです?」
「ええ、大変です」
神妙な顔つきで頷かれてしまう。
「えと、あの……」
だいぶ迷って、それでも何とか尋ねてみる。
「……お土産として、お花も持って帰った方がいいですか?」
すると、レスさんは目以外で笑顔を作って、淡々と返した。
「殺されるから、やめておきなさい」
「えっ」
「陛下の意図にはさすがに気が付いています。それに反してあなたに花を贈ってしまえば、きっとあなたは罰せられて、最悪殺されてしまう」
死ぬのは私だけで大丈夫です。
レスさんはそう言って私の頭を撫でた。
その手は温かくて、何故だか泣きたくなるほどに悲しくなった。
「ありがとうございます、優しい御方。あなたと今日お話ができて良かった」
────生きていたら、またお茶会をしましょうね。
まるで今生の別れのような言葉に、我慢できなかった涙が一雫落ちていった。
読者の皆様へ
レスについて感想でご指摘を頂きましたので、こちらでもご説明させていただきます。
レスは現在執筆中の小説の主人公で、次回作に繋がるよう動いてもらう予定で登場させたのですが、今作中ではその存在を上手く活用できず、最終的に疑問の残る人物になってしまいました。
次回作ではそれぞれのキャラクターの役割をきちんと整理し、物語を作れるよう頑張ります。
六十月菖菊