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本を読むもの

作者: オウムアムア3世

私は今、椅子に座って本を読んでいる。これは252ページの小説だ。

私は物心ついた時にはもうこの場所で本を読んでいる。

ここがどこかは分からない。物心ついた時にはここにいた。でも、ここは地球という星であることは知っている。

私が何かというのはよく分からない。大概本の主人公というのは人間であり、主人公が人間という前提で話が進むことが殆どだ。本の中では、本を読むものは殆ど人間だ。だから、私は人間であるのかもしれない。

でも、私には人間の原動力である欲望が、たったの四つしか無いのだ。一つは、本を読みたいという欲望。二つは、眠くなると寝たいという欲望。三つは、飲み物を飲みたいという欲望。四つは、人と話したいという欲望だ。こんな私が、果たして人間なのか。それとも欲望が少ないだけの人間なのかもしれない。


本を読み終わった。やがて、喉が渇いてきた。飲み物を飲みたいという欲望が湧いてきた。そして、ここから七歩ほど歩けば着く、様々な飲み物が置いてあるところにいこうとする。しかし、私は毎回飲み物が置いてある場所に行くのを、いや、椅子から立ち上がるのを躊躇してしまう。どうしてかは分からない。何か、心のどこかで怖がっているのだ。私は、物心ついた時からずっと本を読んでいる。何年間この場所にいるの

かはわからない。だから私は、()()()()()()()()()()()()()()()のだ。本を読むことをやめてしまえば、私は別のなにかになってしまう。私は本を読みたいという欲望で、ここにいるのだ。座っている状態で、飲み物を飲みたいという欲望が湧いてくるのならばいいが、立ちあがった瞬間、私は私で無くなる。そして気づいた時には、私のそばに飲み物がある。

でも、いつも最終的には欲望が叶えられているし、結局恐怖心よりも欲望が勝ってしまうから、立ち上がるのだ。そうだな、今回は牛乳にしよう。甘くてコクがあるなんとも言えない飲み物の一つだ。さて、立ち上がるとしよう。


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不思議なことに、牛乳を飲んでいる時は私なのだ。立ち上がって歩くのは別のなにかがするのに、牛乳を飲むのは私だ。なんだか、申し訳ない気がする。

そんなことを思っていると、一人の青年がこちらを見ている。なんと珍しいことであろうか。私の方を見る人がいるなんて、実に4ヶ月ぶりだ。

青年はこちらに近づき、私の椅子の後ろにあるバックをとって、そのまま立ち去ってしまった。

ああ、あなたもやはりそうなのか。私はここにいる。

ここにいるよ。本を読んでいるかぎり、私はここにいるよ。それなのに、私は存在しないように扱われる。自分では本を読んでいるかぎり、私がここに存在していると実感しているが、ほかのものにとっては、どうやら私は存在していないようだ。飲み物を飲みたい欲望は叶うが、人と話したいという欲望は、叶えられないのかもしれない。


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最近、私は気づいたことがある。それは、私はこの先寿命がくることはないということだ。命あるものは必ず終わりがある。私もいつかは天に召されると思っていた。しかし、何万冊という本を読んでいるうちに、どこからか、私はこの先絶対寿命がこないという確信を得た。なぜ本を読んでいるうちにこのような確信を得られたのか理由は分からない。しかし、()()()寿()()()()()()()()()()()はある。…私はひょっとすると、生命体ですらないのかもしれない。では、なぜ私は本を読んでいるのか。欲望は、どこからきたのだろうか。私は、一体なんなんだろうか。怖くなってきた。私がなんなのか分からないことが、怖くなってきた。私がなんなのか分かる必要はないのに。私はなんなのか分からないことが、怖くなってきた。


いや、そんなことを気にする必要はないか。死なないとわかったならば、それに甘んじて永遠に本を読み続けるまでだ。


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いつものように本を読んでいると、少年がこちらに近づいてきた。そして、私をまじまじと見ている。こんなに見られたことはなかったので、すこし驚いた。やがて、私もこの少年をじっくりと見つめていた。しばらく見ているうち、この少年はかつて、私の父親だったことが分かった。なぜこの少年がそうであるのかは分からない。しかし、かつての血縁者なので、どこか繋がっているのだろうと考えた。それにしても世界はなんと狭いものなのか。地球から見れば、こんな洗濯機70個分の空間は、あまりに小さい。仮にここにひびが入ったしても、今以上に広がらないなかぎり、こんなところを見つけるのはよっぽど几帳面なものだ。そんなごく小さいひびのなか、ここで父と子供の運命の出会いが起こっている。

すると、突然相手が私の持っている本を取り上げてきた。私は、いろんな感情に一瞬のうちにつつまれた。私が認識されているという嬉しさと、本を取り上げられた怒りと、今のうちに目の前にいるものと喋っておきたい興奮…

いつの間にか、私は相手の腕を掴み、その本を私に返せといった。人に向かってものを喋るのは初めてのことだ。そういえば、私は人と喋るということを恐れていた。人と喋れば、私は別のなにかになってしまうかもしれないからだ。しかし、私は今、私を実感できている。人と喋るのはどうやら私ではないなにかではないようだ。

少年は、嫌だねといって逃げていった。なんということであろうか。すると、わたしは目の前にいるかつて父親だったものが許せなくなり、立ち上がった。立ち上がった瞬間、私が別のものになるということを思い出した。しかし私は私のままである。不思議なこともあるものだ。私が存在しているうちに、少年から本を取り返そうと思った。私は少年に向かって全速力で走っていく。そしてこの空間を初めて出る。空間を出た瞬間、私の寿命が短くなってゆくのが感じられた。

構わない。あいつから本を取り返す。


少年に追いついた。本をこちらに引き寄せて私のものにした。すると少年がいった。

「もうこれであなたは、人間になったね。いいことが悪いことか、分からないけど、おめでとうといっておくよ。」そういって少年は立ち去っていった。私は、意味がわからなかったが、かつての父親の教えだと思って聞き流していた。


あの空間に戻った。すると、何人もの人がこちらに目を向けた。私は、これで他の人からも存在が認識されるようになったのを確信した。なぜこの確信が生まれたのかは分からない。と同時に、もう本を読まなくても、私は存在できると確信した。なぜそう確信したのかは分からない。

私は、本を読み続けた。

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