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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
二章 天蓋のなか
6/54

06

「いやです」

 そうはっきりと言えればいいのに、外に出てもディルディーエの助けがなければアサコは一人で町をあまり歩き回ることもできないだろう。たった今不穏なことを言われたばかりだし、言葉も通じないし、ここの通貨も持っていないし、不安なことばかりだ。それに外に出るまでにも、城の中で迷ってしまうかもしれない。外に出たいのならば、ディルディーエを説得するのが一番いい。

「帰る方法を知りたいんです」

 嘘ではないのに、違和感を感じながらアサコはそう言った。

 ディルディーエは表情こそないが、小首を傾げる。

「もしかしたら、どこかにあるかもしれない」

 言って、アサコは歪みの城と呼ばれる建物を思い出す。帰る方法があっても、あの暗闇の中にもう一度戻るのはいやだ。じわりと冷や汗が出てくる。明るい場所に出てくると、あの暗い場所がこわくなった。ちがう、きっとはじめからこわかった。

「なにも、永遠に閉じ篭れと言っているわけではない。顔色が悪いが、大丈夫か?」

「……だいじょうぶです」

 アサコは弱弱しく首を振った。言葉とは裏腹に、気分が悪くなってくる。

 また窓の縁に座り込んでしまったアサコの顔をディルディーエは覗き込んだ。

「湯に浸かって温まれば、落ち着くだろう」

「は?」

「今用意させている」

 ディルディーエが言い終わるとほぼ同時に、大勢の召使いたちが部屋に入ってきた。大きな布を床に敷いたかと思うと、その上にバスタブのようなものを置き、次にやって来た召使いたちが温かい湯をその中に注いでいく。あっという間に即席風呂ができあがるのをアサコは唖然として見守った。兎の従者とディルディーエは、その間にアサコが止める間もなく部屋を出て行く。扉を閉められると同時に、召使いたちに囲まれたアサコは、止める間もなく着ていた服を上からすっぽりと脱がされ、湯の中に入れられ、勝手に体を洗われては喚いた。


「こんな、恥ずかしい思いをしたのは多分始めてです……」

 濡れた髪を拭かれながら、アサコは泣きそうになって言った。

 消え入りそうになりながら言うアサコをディルディーエは面白そうに見る。

「大袈裟だな」

「体を知らない人に洗われるなんて、ありえないです!」

「本当にただの学生のようだな」

「……だから、そう言ったじゃないですか」

 召使いの女性に、腕に液体を塗られるのを嫌がる元気ももうなく、うな垂れて深くため息をついた。風呂に入れてくれた召使いの女性たちが何故か美人揃いだったから、余計に恥ずかしかったのだ。

 風呂から出たアサコが着せられた服は、黒いワンピースに蒼いタイツに、黒い靴だった。わりと普通だ。それに限っては、アサコはほっとしていた。イーヴェの格好を見ていると、自分も煌びやかなドレスを着させられると思っていたから。ドレスが嫌というわけではなけれど、多分似合わないだろう。

 前に置かれた小さなテーブルの上には、またおいしそうなお菓子とお茶が用意されている。向かいに座ったディルディーエは、やはりそれらに手をつけようとはしない。

「ディルディーエは、ちゃんと食べてるんですか」

「また、唐突だな」

 ディルディーエは呆れたように言う。

「気分が悪いのはもうなおったようだが、大丈夫か?」

 言われて、アサコはようやく先程の気持ち悪さがなくなっていることに気づいた。それよりも叫びすぎて疲れている。自分で洗うと、何度言っても言葉が通じないからか無視された。大きな声だったから、扉の前で待っていたというディルディーエにも聞こえていたはずなのに、どうして止めに入ってくれなかったのだろうか。

「おかげさまで」

 思わずむすっとした態度で返してしまったが、ディルディーエの表情はなにも変わらなかった。

 髪が乾くと、頭に顔の半分くらいもある大きな花を飾られた。わさわさとそれを頭に付けられた時、アサコは力を振り絞り抵抗したが「まるで猫の子だな」というディルディーエの一言に脱力し、結局それはアサコの左耳の上で甘い香りを放っている。蒼い花だ。タイツの色と少し似ていて、鏡を見た時それはアサコが思っていたよりも違和感がなく、似合っていた。

 そんなことで少し嬉しくなり、足取りも軽やかになったアサコは、ディルディーエに連れられて城の長い廊下を歩いていた。一度イーヴェにも案内してもらったが、夜と昼とでは雰囲気も違うし、人の気配がアサコの興味を誘った。夜の城はしんっとして、まるで廃墟のようにも感じられたから。それに、その冷たさは歪みの城にも似ていた。そしてなにより、広すぎて行けた場所はほんの少しだし、そのほんの少しでさえも覚え切れていない。

「ディルディーエ、あれは何をしてるんですか?」

 窓の外の大きな敷地の片隅で、剣の訓練のをしている若者たちを指差して聞いた。その様子を一人のおじさんが見守っている。

「ああ、あれは学院からやってきた騎士候補たちだな。それを見ている男は、騎士の一人だ。鍛錬と実力を見ることを兼ねてる。授業のようなものだ」

「あ、あれは?」

 今度は東屋を指差して言ったアサコに、ディルディーエはとうとうため息を漏らした。部屋を出てからのアサコの質問は、これでもう何度目か分からない。まるでなんでも不思議がる小さな子供のようだ。

「ごめんなさい……」

 ため息に気づいたのだろう、アサコは申し訳なさそうな、恥ずかしそうな顔をして自分よりも幼い外見をした少女に謝る。

「構わない。外はあとでゆっくり回ろう」

 小さな子に言うように柔らかく言われ、アサコはますます情けなくなった。

 二人が外見とは裏腹の会話を交わしている時、ぱたぱたと羊の召使いが走ってきた。アサコはその勢いと恐ろしさから窓に背が付くまで後ずさった。羊はそんなアサコに構うことなく、焦った様子でディルディーエに何かを言っている。

 アサコは冷や汗を掻きながらその様子を見守る。やはり兎よりも羊の方が恐ろしいかもしれない。何より瞳と少し突き出した歯が不気味なのだ。

 話しが終わったのかようやく羊が黙ると、短くディルディーエがまた何かを言い、アサコのことを思い出したように見た。

「すまない、急用ができた」

「え」

 なんて子供に似合わない言葉なんだと思いながら、アサコは間抜けな声を出す。ディルディーエと共に羊の召使いも見てきたから、いやな寒気がした。

「部屋に戻る道は覚えているか? 突き当たりを右に曲がってまっすぐ行けばすぐに着く」

 そう口早に言ったディルディーエは、アサコの返事を待つ間もなく羊の召使いを携えて行ってしまった。

 右に曲がってまっすぐ。

 言われた言葉を思い出しながらアサコは廊下を歩いた。けれど右を曲がったところで、立ち止まってしまう。左手は一面壁に連なる窓で、右手にはぽつぽつと大きな扉が並んでいる。そのどれもが、アサコには全く一緒に見えた。ディルディーエと一緒に部屋を出たから、こんな事態になるとも予測せず、自分のいた部屋が何番目の中だったのかなんて覚えていない。

 自分の馬鹿さにまた情けなくなりながら、アサコは並ぶ扉を見た。順に中を覗いていった方がいいのかもしれない。凄い数の部屋数だとディルディーエに訴えた時、そのどれもが殆ど使われていない部屋だと聞いたのだ。とくに、アサコのいた部屋の周囲は。

 一つ目と二つ目の扉ではないことはさすがに覚えていたアサコは、手前から三番目番目の扉に向かった。中は綺麗に整えられた部屋だったが、アサコがいた部屋ではないことが明らかだった。それにしてもこんなに部屋が余っているのなら、イーヴェとは別々の部屋にしてほしいとアサコは思う。抱きしめられて眠るのは、不快ではなかったけれど、あとで思い出すといやにげっそりとしてしまう。

「ここかな……」

 アサコは四番目の扉の前で立ち止まり一人呟いた。中からは人の気配がする。もしかすると、イーヴェが部屋にいるのかもしれない。ディルディーエがいない状態でイーヴェに会うのは少し気が引けたが、アサコはその扉を思いっきり押した。

「え」

 部屋の中の光景を見て、アサコの頭は真っ白になった。アサコが開けた扉は、別の部屋の扉だったらしい。また少し造りの違う部屋だった。けれど固まってしまったのは、そんなことが理由ではなかった。

 少し先にある寝台の上に、とろんとした目の愛らしい顔の召使いが、服を乱れさせ、仰向きで寝転んでいる。その娘の開かれた足の間にいた男の緑色の目と、アサコの目が合った。男は覆いかぶさるようにして、召使いの片足を持ち上げ、その向かいに膝をついている。召使いの胸は肌蹴け、足も殆ど丸出しの状態なのに男は綺麗に服を着たままで、アサコの乱入に最初は少し驚いた顔を見せたが、すぐに薄い唇で笑み、また動きだそうとした。それをいち早く感じ取ったアサコは、入った時と同じ勢いで扉を閉めた。

 そのまま扉の前でへたり込みそうになったが、中から聞こえてきた声に慌てて立ち上がると、元来た道を走り戻る。

 とんでもないものを目にしてしまった。あれは、どう見てもイーヴェで、イーヴェに抱かれていた愛らしい少女は、先日イーヴェの服を着替えさせていた召使いとはまた別の娘だった。

 浮気現場を見てしまった! しかもことの最中を!

 アサコは心の中でそう叫びながら、走り続ける。

 イーヴェは、部屋で口付けを見られた時と変わらず、うろたえる様子もなく少し困った顔で微笑んだだけだった。あまつ、アサコが見ているのにその続きをしようとしたのだ。本当に、犬に見られた程度にしか思われていないのだろう。

 とんでもない事だ。犬扱いされてもまだ心の端っこでいい人そうだなんて思っていた自分が馬鹿馬鹿しい。部屋を別にしてもらうよう、泣き付いてでも訴えなければいけない。

 ぐるぐると半ば混乱しながら走って、アサコは道に迷った。


「ディルディーエ!」

 仕事を終え、部屋にやってきたディルディーエに、アサコは跳びつきそうな勢いで駆け寄った。ディルディーエは、一瞬驚いたように目を大きくしたが、すぐにそれは呆れた眼差しに変わる。

「道に迷って、下働きの者に部屋まで連れ帰ってもらったと聞いた」

「似たような扉が並んでて、部屋がどれかわからなくって……。それよりもディルディーエ、今日は王子とは別の部屋にしてください」

「……なるほど。大方部屋を順番に開けて、そこでなにか見たね?」

「知ってるんですか?」

 そこで何を見たのかを知っているかのような口調に、アサコは目をまるくして言う。

 それにしても、冷静になって考えてみれば、本命は先程の娘だったのかもしれない。口付けをしていた娘の方は、一方的にイーヴェに心を寄せているようにも見えた。

 そんなことを思いながら先程見てしまった光景を思い出し、アサコは眉尻を下げた。ここへ来てから一週間もしないうちに、あんな光景を二回も見てしまうなんて。いくらなんでも間が悪すぎる。

 一方ディルディーエは、呆れた様子で肩を竦めてみせた。

「王子に近しい城の者なら、大体知っていることだ」

「ええ。だったら、どうしてわたしなんかを花嫁に仕立てあげようとするんですか」

「それは、私も悪かったと思っている。けれど、城の者たちもお前が花嫁になるのは歓迎している」

「イーヴェには好きな人がいるのに?」

 憤りを隠せずに言うアサコの言葉に、ようやく会話の食い違いを知ったディルディーエはため息を吐く。言おうか言うまいか。どちらにしても、ここにいればそのうち自分で気づくことだろうけれど、何かの間違いが起こる前に言っておいた方がいいだろう。

 落ち着いた素振りで椅子に座ったディルディーエに倣い、アサコも小さな円卓を挟んだ向かいの椅子に腰掛けた。

「お前が、どの娘のことを言っているのかは私には分からないけれど、王子が愛を注ぐ娘なんて少なくともこの城にはいないよ」

「え、だって」

 見たのに、とその瞳は言っている。

 アサコがどの場面を目にしてしまったのか、ディルディーエには分からないし、聞く気もないが、必死な様子からして相当際どいところを目にしてしまったのだろう、と予測する。

「王子は、無類の女好きだ」

 ぽん、と何でもないことのようにディルディーエが言うと、ディルディーエの予想通り、アサコは固まり、少しの時間をその状態で過ごした。








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