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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
八章 踊る群れ星
50/54

50.

 眠りの感覚が短くなってきている。そう感じているのはアサコ本人だけではなかった。前よりも気温の低い地域に来ている為、普段よりも眠くなるのは仕方がないことだが、それでも彼女の睡眠時間は異常だった。

 目的地の城に着いた時には起きてはいたものの、部屋に着き目を離している隙に、靴も脱がずに寝台に上半身を乗せた状態で彼女が眠っていたことには、流石のサリュケも目を円くし、そのことを重く見てすぐに魔法使いに相談を持ちかけた。

 ディルディーエは手に持っていた大きな本を重厚な木の机の上に置くと、自身は座っていた椅子からぴょんと飛び降りた。成人男性が足を伸ばして座り丁度良いくらいの高さの椅子だったので、小さな子供の姿ではその様にするしかないのだろう。

 それにしても以前よりも小さくなったのではないだろうかとサリュケは眉を顰めた。魔法使いの姿は彼らの命の残量を示す。目の前の小さな魔法使いの命は、確実に磨り減っているようだ。

「アサコはじき人形に戻るだろう」

 いつもと変わらぬ淡々とした声で伝えられた事実は、サリュケが想像していたよりも重大だった。彼女は腹の前で組み合わせていた手を握り締めると、魔法使いに問いかけた。

「それは、貴方が魔法を断ち切るということですか」

 自然とその声に非難は混じる。それでも魔法使いはちらりと魔女である彼女の姿を一瞥しただけで、机の上に置いた本に手を伸ばした。幼い手が本の表紙を撫でるのをサリュケは目で追う。題名も何も表記されていない古びた黒い本だ。そこに微かな魔法の残滓を感じた。

「私の意思ではない。あの子の意思の問題だ。記憶が戻れば離れると、以前から言っていた」

「今のアサコ様は、貴方の魔法と、ラカ様の命と、本来のアサコ様の感情から成っている様ですね。けれど、あの方の感情を人形の体に定着させているのは、ラカ様の魔法……つまりは貴方の魔法の筈ですが」

「あれはそもそも長く持つものではなかった。魔法があるからこそアサコは人の体を保ててはいるが、今はそれだけでは足りない」

 サリュケは顔を顰めた。感情を持つ人間に掛けられる魔法は長く続けられる場合、条件も変化することがあるという。それでも強い魔法があれば、繋ぎとめることもできる。けれど現時点で彼にはそうするつもりがないのだろう。

「私の姿を見ても分かるだろう。あと数十年もしない内にラカの呪いは終わってしまう」

 そう言って小さな魔法使いは両腕を伸ばしてみせた。細やかな刺繍の施された貫頭衣の裾から出た、白い指先はとても幼い。

「……アサコ様はご存知なのですか」

「気付いているよ。あの子と私は繋がっているのだから」

 唇を噛み締めてサリュケはお辞儀をすると部屋を出た。

 アサコは魔法使いが自分のことをどう思っているのか、彼にとっての自身の存在の意味を知りたがっていた。

 彼らは間違いなく運命共同体だ。血よりも深い繋がりがあり、けれどそれはとても儚い。

 彼女の存在はどこまでも非力で頼りない。魔法使いは当たり前のことの様に、まるで何でもないことの様に、アサコは人形に戻ると言った。確かに元は人形と影から出来上がった存在なのかもしれない。けれど、今は違う。その違いを彼は解っているのだろうか。もしかすると、全てが終わってから気付くことなのかもしれない。それとも、やはり魔法使いと人とは相容れない存在なのだろうか。

 部屋の扉を開けると、そのすぐ近くで控えていたメリーネと目が合った。アサコが眠る寝台の脇に見知った姿があり、サリュケは立ち止まる。白い頬に指の背で触れ、笑みを浮かべたその人は、彼女の方を見ることもなく口を開いた。

「城の案内を兼ねて散歩に誘おうと思って来たんだけどね。よく眠っているから」

「……ここ最近はずっとそうなのです。目覚められている時間の方が短いほどですわ」

 珍しく感情を押し殺した様な声で言った侍女に、イーヴェはようやく目を向けると小首を傾げた。

「それで、魔法使いに相談にでも?」

「殿下……どこまでご存知なのですか。魔法使いの魔法があと少しで尽きることには気付かれているのでしょう。だからこそ、殿下はこの呪いが解けた時の準備をずっと続けて来られた」

 イーヴェは微笑みを浮かべたままで何も言わない。サリュケはこくりと喉を鳴らした。これから先は、いくら慣れ親しんだ間柄であったとしても、一応便宜上であるとはいえ侍女如きが王族に向けるべきでない言葉だ。一番上の王子は穏やかで理知的、王子達や臣下にも信頼が厚い。しかし同時に冷酷な面も併せ持つ。だからこそ、彼は人の上に立つことを求められる。

「けれど、アサコ様が現れたことによって、魔法が考えられていたよりも早く終わる可能性があると恐れられたのではないですか? 魔法使いの魔法がどう作用されているか分からないアサコ様を、最初の内は監視するおつもりだったのでは」

 ラカと契約を交わした魔法使いはディルディーエだという事実を今の王子達は知っている。今の魔法を解かせるには、魔法使いを殺すことが一番確実で手っ取り早い方法だ。それでも彼らがそうしないのは、今はまだ彼らがそれを望んでいないからだ。

 苦笑して肩を竦めてみせたイーヴェは、再びアサコを見るとその長い髪を梳いた。

「君の鋭さにはいつも肝が冷えるよ。彼女の存在理由によっては、殺すことも厭わないつもりだった」

 そこでサリュケに視線を向けたイーヴェは、腹の前で組まれた指が白くなるほどに握り締められているのを一瞥し、彼女の顔を見上げた。

「もし、今少しでもアサコ様に情がおありなら……どうか、その方をお助け下さい。それをお約束頂けるのであれば、私が知っている全てのことをお話します」

 本来、侍女であるサリュケは全てをイーヴェに話す義務がある。この様な駆け引きは許されないことだ。しかしイーヴェは暫く彼女を見つめたあと、苦笑した。

「サリュケ、君が夫の残り少ない余生を共に過ごそうとしているところを呼び寄せたのは俺だ。君には貸しがある」

 そもそも、サリュケは侍女としてこの城にやってきたのではなかった。魔女として呼び寄せられた彼女は、アサコの監視を任せられたのだ。しかし魔女ということを多くの人間に知られる訳にはいかない。侍女としてならば一番近くで彼女を見張ることができる。高位の貴族である彼女は、王子の花嫁という肩書きの少女に付くのに申し分なかった。

「それに彼女にも約束した。彼女に害が無い限り、守ろう。けれど」

 ふと衣擦れの音が静かな部屋に響き、彼らは寝台に目を向けた。布団に埋まったアサコが、目覚めが近いのか身じろいでいる。彼女は寝苦しそうに顔を顰めたあと、薄く目を開けて魔法使いの名前を呼んだ。恐らく寝ぼけているのだろう。

 イーヴェは微笑むと、顔に掛かった前髪を指先で避けその顔を覗き込んだ。

「魔法使いは今この部屋にいないよ。呼ぼうか?」

 アサコははっとした様に目を見開き、ばつが悪そうな表情をした。覗き込んでくる顔から逃れるように、枕の上で頭をずらし、小さく首を振る。

「……いいです」

「そう。サリュケ、何か飲み物を」

 サリュケは頷くと、近くで控えていたメリーネに命じた。そして浮かべた笑みをアサコに向ける。

「アサコ様、お食事はどうされますか? もしよろしければ部屋に運ばせますが」

 一瞬窓の外へ目を向けたアサコは、微かに眉を顰めた。日はまだ落ちてないが、サリュケの口ぶりから昼食会には欠席してしまったのだと気づいたのだろう。この城に着いた時よりも濃い灰色に染まった空は、白い雪をほろほろと溢し始めていた。

「わたし、どれくらい寝てたんですか?」

「一刻ほどですわ」

「すみません……なんだか身体がだるくて。お腹も空いてません」

 そう言いながらゆっくりと身体を起こすと、アサコは額に左手の甲を宛がった。まだ眠気が残っているのか、ぼんやりとした目で敷布を見つめている姿は、またすぐにでも寝台に倒れこみそうだ。

 間もなくしてメリーネが小さな配膳車を押して戻ってきた。カラカラという音にアサコは顔を上げると、寝台のすぐ近くに置かれた、小さな円卓の傍で配膳車を止めた侍女を不思議そうに見た。茶器の準備をしていた彼女は、アサコの視線に気付くと大きな黒目がちな目を細め、愛らしい笑みを浮かべた。

「アサコ様?」

「あの、その人……」

「メリーネのことでしょうか?」

「……ああ、そうでした。そうです、メリーネ」

 アサコは小さな声で呟くと、自分を納得させる様に小さく頷いた。サリュケが心配を滲ませた顔で何かを言う前に笑みを浮かべると「寝ぼけててすみません」と謝り寝台から降りた。

 お茶の途中にイーヴェに散歩に誘われたアサコは、二つ返事で答えた。その時にはすっかり眠気はとれていたのか、嬉しそうに頬を紅潮させ今すぐにでも行きたいとでもいう風なその姿に、サリュケは苦笑し同時に安堵した。

 皺になった服を着替え、再び鬘を付けられたアサコは少し窮屈そうにしていたが、それよりも早く行きたいのだろう。丁度良い頃合に迎えに来たイーヴェに飛びつかんばかりだった。しかしふと何かに気付いた様に笑みを消すと、不安そうに窓の外を見た。

「あの……前にあんなことがあったのに、外に出てもいいんでしょうか?」

「ああ、魔女のことかな? 今日はとりあえず街に出るのは控えておこう。けれどこの城からそう離れなければ大丈夫だよ、魔法使いもいるしね」

 長い廊下に出ると、扉の左右には二人の衛兵が人形の様に立っていたが、彼女たちの姿が見えると素早い動作で敬礼した。アサコはその様子を一瞥し、すぐに廊下を見渡した。左右左と見ると、最初に左を見た時にはいなかった筈の小さな少年の姿が目に入り、驚きで身体を震わせた。

 数刻前に馬車の中話した魔法使いの名前を呼びかけ、すぐに口を噤んだ彼女に何かを感じ取ったのか、イーヴェは彼の方を見ると苦笑した。

「弟子が弟子なら師も師だ。その現われ方はやめて下さい。アサコが驚いているでしょう」

 ディルディーエは首を傾げると、艶やかに濡れた大きな瞳でアサコを見て次いでイーヴェへ目を向けた。その姿だけ見れば何も知らない者は、愛らしいただの幼子だと勘違いすることだろう。しかしその顔にやはり何らかの感情も浮かぶことはない。彼の姿を黙って見ていたアサコはそっと目を逸らした。小さな靴に守られた幼い足が歩みよってくるのが目の端に映ったが、まるでそこに存在していないかの様に静かな動作だった。

「あの、ディルディーエも行くんですか……?」

 できる限り小さな声で、すぐ近くにいるイーヴェにだけ聞こえる様にアサコは言ったつもりだったのだろう。しかしそれに答えたのはよりにもよってディルディーエだった。

「そうだよ。弟子には別の仕事が任されている」

「仕事……」

「魔法使いに使うにしては無礼な言葉だけれど、彼は護衛だよ。魔女には彼の存在が一番効果的だからね」

 それならば、王子であるジュリアスに使うにしても随分無礼な言い方である。

 以前のアサコであれば嬉しかっただろうが、ディルディーエとは一緒にいたくないというのが今の彼女の正直な気持ちだった。勝手に慣れ親しんだ彼という存在は、人のように利己的で、しかしそれによって生じる利益が何なのかも、自分で何を欲していたのかも恐らく気付いていない。どこまでも純粋すぎた為に許されないことをしてしまった彼の罪は目の逸らしようもない。しかし彼の魔法によって繋ぎ止められた心は、彼を愛せと言う。

 ラカが忠告すべきは、彼の存在だったのだ。もし過去にあったことの罪をあえて誰かに擦り付けるのであれば、それはこの魔法使いにするべきだった。しかしラカにそれはできなかった。見抜くことができなかった。彼女もまた、彼の魔法を拠り所とした存在だったのだから。

 黙りこくった彼女の様子を勘違いしたのか、ディルディーエは再び首を傾げると言った。

「身体が動かし辛いのかい」

 アサコはイーヴェの後ろに隠れる様に後ずさると、目の前にあった外套の裾を掴んだ。今はともかく彼の姿を見るのも辛い。どうすればいいのか判らずに混乱してしまう。しかし今更やはり行きたくはないと言うのは如何なものか。

 するとディルディーエは感得した様で、すぐその姿を小さな小鳥へ変えると青い羽を羽ばたかせ、イーヴェの左肩にとまった。

 アサコはそのことに驚きながらも内面少し安堵していた。アサコのいるところからでは、その小さな姿は中々見えない。イーヴェは不思議そうな顔をしたが、アサコの左手を引くとゆっくりと歩き出した。









 






 

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