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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
七章 クレマチスに透ける
47/54

47.

 翌朝早くに屋敷を経つことに変わりはないらしい。

 暫くは一人になることを禁止されたのは良い。アサコもあの応接室の中から見た魔女の姿に身の毛も弥立つ思いをしたのだ。魔女は屋敷の中まで付いて来ている。それを三人に告げると、イーヴェとサリュケは眉を顰め、ジュリアスは笑みを浮かべたままだった。彼は黒衣の魔女が屋敷内にいることに気付いていたのだろうか。

 何にしろ危険なことに違いはない。何かがあった後では遅いので、アサコの緩い危機感も強く刺激されたのは幸いだったのかもしれない。

 応接室を後にした三人は、今後のことについて話し合う為に一度アサコの部屋に向かった。部屋に着いた時、後ろを付いてきていると思っていたジュリアスの姿がなくなっていることにアサコは目を円くしたが、よくあることらしい。残りの二人はそのことには触れなかった。

「とりあえず予定通りには進むけれど、もし兄弟の誰かに仕えている者なら、魔女はこの先も付いて来るかもしれない」

「わたしが、歪みの城から連れ出された人間だと知ってるのは、ロヴィア王子とジュリアス王子だけだと思うんですけど……」

 言いながらアサコは眉を顰めた。疑っているのは前者だ。ジュリアスは掴みどころがなく、怪しくもあるが、少なくともアサコに殺意めいた感情を持ち合わせてはいないだろう。それに彼は意外と嫌悪などの感情をはっきりと表に出すことが、サリュケへの態度で分かった。

「俺たちがそう思っていたとしても、兄弟たちはもう勘付いているかもしれない。それでも彼らは俺が魔女に惑わされているものと考えている様だから、それを隠すだろうけどね」

「だったら本当のことを全部話してしまった方がましじゃないですか? わたしはラカじゃなくって、ラカの横で寝てた変わり身だって。まさかラカが本当に生きてるなんて考えているわけじゃないでしょう?」

 イーヴェとサリュケは意外そうな顔をして目を合わせた。

「アサコ様、魔女は少し特殊な存在です。魔法使いと契約を交わした瞬間から、人ではなくなる。特殊な例ではありますが、魔法使いと命を共にした魔女もいます……生きた屍の様なものなのですわ」

「……魔法使いが死ぬ時に、魔女も死ぬということですか?」

 押し殺した声で言うと、サリュケは僅かに驚いた様な表情をしたあとに頷いた。

 だとしたら、ラカが魔女になりながらも本物の屍になってしまった理由が分かる。彼女があの薄暗闇のなかで一人命を落としてしまったのは、あの様な場所で長い年月を過ごしたせいだと思い込んでしまっていた。思い返してみれば、理由は明確だったというのに、何故かそう思っていたのだ。

 ディルディーエの魔法を帯びた魔女の命をアサコに受け渡したのだ。石段の上、朦朧とする意識のなか、ラカが言った言葉を理解もできずにぼんやりと聞いていた。

 ――簡単な遊びよ

 あの色のない世界では目を惹く様々な色の紐を一本一本繊細な指で貼り付けた。彼女らしくない諦めの混ざった表情で。

「……わたし、何も分かってなかった」

 暖かな日の光を見ることはできたかと、彼女は目覚めたアサコに訊いた。代わりに泣いてと言われた。

 ラカはアサコに全てを託したのだ。今動けているのも、様々なものを見て感情が揺さぶられるのも、全てラカの命があってこそ。あの小さな暗闇の城で、彼女にとって王子への想いとアサコの存在だけが全てだった。不完全なアサコは、そんな彼女がただただ怖ろしい、狂気に溢れた存在にしか見えていなかった。

 それが決して望んでいなかったものだったとしても、こんな身体でもできる限り生きてみたいと思う今、彼女を恨むことはできない。

 彼女が望んでいるかもしれない復讐はしない。けれど彼女の為に、もう遅いかもしれないが何かできることもあるのではないだろうか。

 『ラカの為に』。そう、元々アサコは寂しがりな彼女の為に、つぎはぎで作られた存在だったのだから。

「ラカは、わたしに命を預けて死んでしまった」

 口に出すとそれははっきりとした実感としてアサコの心に落ちた。同時にぽつぽつと眠る前の記憶も戻ってくる。

 ――この紐を解く人が、新しい人生をくれるわ。けど、わたしとの約束は忘れないで

 白い花冠をアサコの頭に載せたラカは、希薄で、今になって思い出してみれば僅かに残された命に諦めと安堵を覚えたようだった。アサコが瞬きを二度繰り返す間にもその愛らしい姿は美しい少女のものへと変化していた。それでもまだ幼さを残す彼女は、けれど百年生きた老女の様に微笑んだ。

 それが最後の記憶だ。次にぼんやりと目覚めたのは、小さな王子が誰も訪れない筈の城へやってきた時のこと。その時死にゆく魔女は過去も現在も判らぬ状態で、現れた見知った姿に混乱している様だった。待ち続けた王子の姿に今にも泣き出しそうな顔をしていた。その時には長い年月が過ぎ、求めていた王子も亡き人となっていることにも気付かずに。

 目を閉ざしてしまったアサコにその後の記憶はない。何故イーヴェの弟である王子が死んでしまったのかも知らない。

「アサコ、それは一体どういう意味だい?」

 やんわりと腕を掴まれて、アサコは先に席に着いていたイーヴェを見下ろした。鋭い視線に怯み、思わず腕を引いたがそれほど力を篭められているわけでもないのに手は離れてくれない。

「……ラカは、もう本当にいないんです。ラカを殺すことなんてできない。もう死んだ人間を殺すことはできません」

「そうだろうね。けど、だったら今尚続くこの呪いはなんだ?」

 以前、サリュケは死んだ人間の想いを引き継ぐのは今生きている者だと言っていた。呪いを接続させているのは、ディルディーエだろう。けれど、それを言ってしまえばこの王子は彼をどうするのだろうか。魔法使いが人間の思い通りになるとは思えない。しかしディルディーエが呪いを解くことを拒んだ時、イーヴェは彼を殺してしまうのではないだろうか。そして、あの魔法使いはそれを拒まないのではないだろうか。そんな予感がした。

 搾り出す様な声で「わかりません」と言えば、イーヴェは眉を顰めた。腕を掴む力が強くなる。

「お二人とも、今はその話は一度置いておきませんか? それよりもとりあえず目先のことからお話しましょう」

 イーヴェの手を押さえながらサリュケが言うと、彼はため息を吐いて手を離した。

「君がまだ隠していることがたくさんあることは分かったよ。あの魔女に覚えはないのか?」

 アサコがぶんぶんと首を横に振ると、信じたのか信じていないのか、イーヴェは頷いた。

「魔女は何か言っていた?」

「……どうしても欲しいものがあると言っていました」

 それがラカの命なのだとは思えなかった。それよりもラカの命を得ることで、魔女はその欲しいものを手に入れることができるかの様な口ぶりだったのだ。

 欲しいもの、とイーヴェは呟くと小首を傾げた。

「魔女になることで手に入れられたわけではないのか。サリュケ、魔女になることで大体のものは手に入るのでは?」

「代償の大きさによります。魔女になることはあくまで代償には含まれません。魔法に深く触れることで人は魔女になるのですから。命の代償になりえるのは、命でしかありませんわ」

「だったら、魔女は誰かの命を欲しがっているということか」

「若しくは、人の一生を」

 その為に他人の命を奪ってまで望むという感情がアサコには理解できない。それともあの黒衣の魔女はアサコが人形と知っているから人と同列には考えていないというのだろうか。どちらにしてもまともな思考ではない。

「とにかく、今は情報が少な過ぎる。調査はさせるが、今の段階では何かが分かるとは限らない。予定通り旅は続けるけど、アサコが狙われている以上は魔法使いを呼ぶのが一番安全そうだね」

「魔法使いを呼ぶのは私も賛成です。魔女は魔法使いには手出しできませんもの」

 本人を目の前に勝手に決まっていきそうな事柄にアサコは目を白黒させた。

 ディルディーエを呼ぶ。今なら嘘に惑わされずに、彼の言葉から真実を見出すことができるかもしれない。そして、問いただせば今なら本当のことを話してくれるのではないだろうか。何故かそんな気がした。

 ぽんぽんと会話を交わす二人の様子をようやく長椅子に腰掛けたアサコはぼんやりと眺めた。

 ふと窓の外を見ると大きな鳥が木に止まりじっと此方を見ていることに気付いた。魔法使いの鳥だ。その姿はアサコを見守っているようにも、見張っている様にも見えた。

 ラカは、どうしてわたしに命をくれたの。

 そう心の中で問いかけても、鳥は答えはしない。ディルディーエはその答えを知っているのだろうか。ラカは全てをアサコに託した。けれどその理由は分からない。

 与えられた命を失うわけにはいかない。自分勝手にその命を終えることはできないのだ。アサコは今では強くそう思っていた。魔女に命を獲られるわけにはいかない。

 結局ディルディーエを呼ぶかどうかはこの街を離れて様子を見てからのこととなった。以前サリュケはアサコが呼べば来てくれると言っていたが、それでもそうしないのはあの近辺から離れられない理由があるのかもしれない。その疑問を口にするとサリュケから答えが返ってきた。どうやら魔法使いにも縄張りの様なものがあるらしい。難しい話はアサコには分からなかったが、要約すると物事を大きく動かす力を持った存在が一箇所に集まることは許されないことなのだという。誰が決めたか、それとも彼らの本能がそうさせるのか魔法使いはお互いの存在を感知し、影響のあるほどには決して近づかない。

 今後の予定や段取りも組みあがっていくのを聞いていると、いつの間にか時間は過ぎていった。アサコはあくまで二人の会話を聞いていただけなので、またしても暇を持て余していたのだが、その間にも考えることはたくさんあった。今後のこと、自分自身のことに、ラカのこと、魔法使いのこと。

 イーヴェに青い空を見せたいと思った。その為には長くこの国に掛けられた呪いを解かなければならない。そして、その鍵はディルディーエが握っている。

 もはや物事は複雑そうでありながら、一部の事柄を残してとても単純に繋がった。アサコがすればいいことも自然と決まってくる。

 その日は早々に夕食を済ませ、入浴を終えた後イーヴェの部屋に放り込まれた。扉一枚隔てた侍女の控えの間にサリュケと部屋の前にはジュリアスが控えているという徹底ぶりだ。そこまでするのであれば、個別の部屋でもいいのではとアサコは主張したが、念には念をということらしい。

 扉の前で固まるアサコを見たイーヴェは片眉を上げた。

「何を今更そんなに慌てるんだい? 今までさんざん一緒に寝た仲じゃないか」

「……その言い方やめてくれませんか」

 扉に手を当ててアサコが恨めしそうに振り向くと、彼は満面の笑みを浮かべて寝台の上で手招いた。

 犬じゃないんですよ、と口に出しかけてぐっと飲み込む。この状況でその言葉を口に出してしまえば、自体が悪化するのは目に見えている。

 彼が言う通り今更なのだ。今更恥ずかしがっては意識していると言っている様なものだ。

 渋々アサコは手招きされるままに近寄ると、高い寝台の上によじ登った。イーヴェの笑みが深くなるのをちらりと見、できるだけ彼から体を離して背を向け勢いよく寝転ぶ。ぎゅっと目を瞑った途端、後ろからくすくすと笑う声が聞こえて眉を顰めた。

 疑っておきながらこの無防備さはなんだろうと思う。彼がアサコを魔女として疑っているのなら、もっと警戒すべきだ。そうは思うも同時に胸の中を走るくすぐったさを感じてその身を丸めた。

「――不思議だな」

 静かな声が静寂に落とされた。アサコは微かに閉じていた目を開くと、振り向きそうになるのを踏みとどまり、顔の前に置かれた自身の右手を眺めた。

「君を信じたいと思い始めているんだ」

 それは、裏を返せばまだ全然信じていないということだ。けれどアサコはその言葉にすっと身体の力が抜けるのを感じた。

「……わたし、雲に覆われた空も好きだけど、青い空を見たいです。星空も見たい」

 イーヴェに青い空を見せたいと思った。けれどそれをアサコは彼の前で口にすることはない。口にした途端にそれは彼の疑心の元となってしまうだろうから。

 信じてもらえないのであれば、今はそれでいい。疑いばかりではなく、見極めようとしてくれているのだから。ならばアサコは素直な気持ちを出していくのみだ。

「呪いを解けるなら、解いて、違う空を見てみたいです」

 落ち着いた気持ちで言ったあと、暫くしても相槌さえも返ってこないことが気になりアサコはゆっくりと振り向いた。もしかすると眠ってしまったかと思っていたが、そうではなかったらしい。振り向いた途端にしっかりと目が合ってしまった。

 いつも浮かべられている笑みもそこにはなく、これといった感情を掴むこともできないような表情でイーヴェはアサコを見ていた。

「満天の星空は、見たことがある」

 夢の中で、とイーヴェは呟く。

「小さな頃に見た夢だけど、よく覚えてる。世界にはこんなにも、怖ろしいほど美しいものがあるのかと思ったんだ。それを背景にして、彼女が微笑んでた」

 それは以前彼が言っていた王子たちが見続けたというラカの夢だ。言葉を聞いただけだというのに、アサコの中にもその記憶があったかの様にその様子をはっきりと思い描くことができた。それとも、人形の目に焼き付けられた本物の記憶なのかもしれない。彼女は美しい世界の中で、物語の主人公の様に無邪気に微笑んでいたのだろう。

 目を閉じれば、ますますそれはアサコのなかで鮮明なものとなった。

「ラカが憎いですか」

 目を閉じたまま口にしたのは今更な質問だった。彼は間違いなくラカを憎んでいるというのに、何故か今、確かめたくなったのだ。

「幼い頃から見せられ続けた夢は洗脳だよ。強い憎しみを感じたというのに、夢を思い出してみればその憎しみも遠のいてしまう」

 伸ばされた手がアサコの頬にかかった髪を掬う。その艶やかさを確かめるようにイーヴェは手の上に乗せた黒髪を親指で撫でた。薄く開けた目で他人事の様にその様子を眺めていたアサコは、遠い昔の王子と重なるその姿に軽い眩暈を覚えた。

 今彼が触れている髪も、暗闇の中で浮かび上がる白い身体も、アサコ自身のものではなくラカのものだ。

 今イーヴェが触れているのは、ラカの髪なんですよ。

 そんな風に思ったが、アサコがそれを口に出すことはなかった。何故か息苦しくなって枕を握り締め、再び強く目を閉じる。

 何故信じてもらいたいと思うのか。晴れ渡る空を見せたいと思うのか。それぞれに理由はあるが、そこに繋がる感情は一つだ。それを押し殺す術を知らない。ラカの忠告が何度も頭を過ぎる。彼女は最初からこうなることを予測していたのだろうか。

 今、自分の為に生きたらきっと窒息してしまう。なら、別の何かの為に盲目に生きればいい。臆病者でも良いだろう。

 ――ああ、時間がないわ

 ラカの声が頭の中で響く。そんなことはアサコにも分かっていた。













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