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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
一章 王子と犬と魔法使い
3/54

03

 塩の風味のする焼き菓子の中には、甘いクリームが挟まれている。アサコはそれを齧りながら、目の前で優雅にお茶を飲む男をじろじろと見た。目が合うと、不躾な視線に気分を害した風でもなく、むしろ嬉しそうにイーヴェは微笑む。それで、むっとしたのはアサコの方だ。

 ディルディーエと名乗った少女はあのあとすぐに仕事が残っているからと、アサコの質問に答えることなく部屋を出て行ってしまった。入れ替わりに部屋にやってきた侍女らしき人間の女性が、お茶といくつかの可愛らしいお菓子を置いて部屋を出て行ったのがついさっきのことだった。

 アサコはディルディーエのような小さな子供が仕事を残しているから、と言って去っていたことにも驚いたが、一番に驚いたのが、その去り方だ。ディルディーエは、瞬く間に鳥に変わってしまい、そのまま開け放たれていた大きな窓から飛び立ってしまったのだ。目の当たりにしたそれを信じられなかったアサコは、呆然と鳥が飛び立った窓を見つめた。ぽんと肩を叩かれて振り向いてみれば、悪戯に成功したように微笑むイーヴェと目が合った。

 驚いて、まだなにも頭の中の整理はできていないけれど、アサコはディルディーエが言っていた言葉を思い出して思わずむっとした表情をあらわにした。犬なんて、あんまりだ。その表情さえも王子には犬のように愛らしく見えたらしく、機嫌をとるように頭を優しく撫でられて、アサコはその手を振り払った。

「犬じゃないのに……」

 悔しくてアサコはこの男もなにか動物に例えてやろうと思い、お菓子を頬張りながらその姿を眺めたが、改めてみるとイーヴェには非の打ち所がなかった。蜂蜜色の髪は綺麗だし、その目は茶色い目をしたアサコからしてみれば宝石のようにも見える。顔の造形も、少年のような甘さを残しながらも、美しい男の顔だ。ついでに言えば、アサコとこの男の身長差は結構大きい。横に並べんでも、多分アサコの頭のてっぺんはイーヴェの肩下だ。アサコはすっかりふてくされた気分になった。優雅にお茶を飲んで微笑んでいるこの男の顔に、クリームのたっぷりついたお菓子をぶつけてやりたくなる。

「ディルディーエが来たら、文句を言ってやる……」

 それから、どうやってあんな風に部屋を去ったのかも訊かないと気持ちが悪い。聞いてもとても理解できるとも思えなかったけれど、とにかく言葉の通じるディルディーエと話しがしたかった。

 今いる場所は、本当に御伽噺のようだ。外国のような古い町並みに、蜂蜜色の髪の王子様に、兎の従者に羊の召使い、鳥に姿を変えた少女。それが当然のようにいる。歪みの城とは、あの薄暗い石で出来た小さなお城だろうか。そもそも、アサコはどうしてあんな場所でいたのだろうと、必死で思い出そうとしたが、やはり靄のかかったように思い出せない。

 アサコは冷め始めていたお茶を一気に飲み干すと、空になったカップの中を凝視した。

「アサコ」

 名前を呼ばれて顔を上げると、イーヴェはいつの間にか身を乗り出してじっとアサコの様子を見つめていた。少し心配そうな顔で、頭を撫でられるとふてくされた気分も湧いてこない。悪い人ではないはずだ。その表情は柔らかく、温かい。なにか嫌なことをされた訳でも、言われた訳でもない。

 暫く難しい顔をしていたアサコの口に、イーヴェは心配そうな顔のまま小さな砂糖菓子を突っ込んだ。

「うっなにするんですか! ……ああ、もう! 犬じゃないんですよ、撫でないで下さい!」

 アサコが怒ると、イーヴェは楽しそうに笑った。




「なんだ、随分と疲れているようだね」

 去っていった時と同じ風に、鳥の姿でやってきた少女は、少女の姿になると同時にそう言った。お茶をしていた卓上に突っ伏したアサコは、その姿をじとりと見る。ディルディーエは、きちんと開いていたらとても大きいであろう目を気だるげに細めて、相変わらず変わらない表情のまま小首を傾げた。

「王子は仕事に戻ったようだな」

「兎の従者が呼びにきたみたいで、そのまま部屋を出てった。ディルディーエ、質問に答えてくれる?」

「ああ、約束だからな」

 そう言うとディルディーエは、足音も立てずに先程まで王子が腰掛けていた椅子に座った。すぐにまた侍女がやってきて、静かに卓上にお茶を用意していく様を眺めながら、アサコは口を開く。

「ここは、どこ?」

「ここは、緑の天蓋だ。お前が住んでいた場所とは違うのは、もうお前も分かっているだろうな」

「緑のてんがい?」

「国の名前だと思ってくれればいい。他には?」

「どうして、わたしここにいるの?」

「それは、私でも分からないな。もう少し探ってみないと」

 ディルディーエは、注がれたお茶をちらっと見ただけで手をつけようとはしない。小さな円卓の上にお茶とお菓子が綺麗に並べられると、片手を挙げて侍女を下がらせた。侍女は、自身よりも一回り以上の幼い少女にお辞儀をしてそのまま後ろへ下がり、器用に部屋を出ると扉を閉めた。

「ディルディーエって、偉い人なの?」

「こんな姿をしていても、一応昔は大人だった。それに、魔法使いは敬われる」

「大人だった?」

 鳥の姿に変化した少女を見たばかりのアサコは、魔法使いという言葉よりも、その言葉に反応して、聞きなおした。どう見ても、ディルディーエは立派な少女だ。確かに表情や喋り方は、子供らしくはないけれど、小さな愛らしい姿はとても大人には見えない。それに、大人だったなんて、過去形でいうなんておかしすぎる。

「信じられないのも無理はない。けれど、私はお前の倍は生きているだろうな」

「はあ……」

 もうできるだけ聞き流した方がいいのかもしれない。現実感はあるのに、夢見たいなことばかりで困る。その全部を受け止めて、理解しようとしたらアサコの頭は爆発してしまいそうだ。

「じゃあ、ディルディーエさんと呼びますね」

 アサコがやけくそ気味に言うと、ディルディーエは肩をすくめた。

「その必要はない。ディルディーエと呼びなさい。それよりも、アサコ。お前はまだ混乱しているらしい。順を追って私が説明していこうか」

 そう言って小卓の上に頬杖をついたディルディーエが指先でお茶の入ったカップを弾くと、お茶は一瞬のうちに消えてしまった。

 ディルディーエが静かに話すのをアサコは口を挟まずに聞いた。解らないことだらけだったが、疑問に思ったことをすべて質問していたら、何日もかかってしまいそうだったからだ。

 ディルディーエが言うには、アサコは歪みの城と呼ばれる、あの森に囲まれた小さな城で眠っていたらしい。その城には、昔からいわくがあって、昏々と眠り続ける姫がいると云われていたという。その姫は昔、敵国から嫁いできた花嫁だった。心優しい姫は必死でこの国を愛そうとし、旦那となるこの国の王子と嘘いつわりなく愛し合った。けれど、母国が違う国に攻め入られ、王が首を跳ねられたと知った姫は、魔法の力を借り、あの森の城に自ら閉じ篭ると、たくさんの蔦で誰も城には近づけなくしてしまった。

「干からびていたらしい」

「……へ。なにがですか」

 どこがというわけではないが、胡散臭い話しだな、と思いながら聞いていたアサコは、唐突なその言葉に首を傾げた。

「姫がだ。今の話しは何百年も前の話しだからね。普通の人間なら死んで当然だ。王子が歪みの城で見たのは、干からびて寝台に横たわる姫と、大きな台の上に沢山の紐で張り付けられて眠るお前だった」

 イーヴェの背中におぶさりながら見た大きな寝台を思い出したアサコは、ぞっとして肩を竦めた。自分が寝ていたと思っていたあの寝台には、姫の死体が眠っていたのだ。あの薄ぐらい部屋の中、人の死体の近くで眠っていたなんて、気分がいい話しではない。

「姫の話しは誰でも知っているが、お前の話しなんて誰も耳にしたことがない。みんな、お前が姫だと思っているよ」

 物語の結末で、姫が干からびていたなんて、確かに誰も考えないだろう。アサコの存在が誰にも知られていなかったのなら尚更だ。アサコはようやく、城下町に着いた時に浴びせられた花びらの意味を知った。

「……でも、イーヴェが間違いを正せばいいじゃないですか。私がそのお姫様なんかじゃないって」

「王子は、別に今の状況で構わないと思っている。いや、むしろ好都合と」

「え」

 アサコは思わず声を漏らして呆気にとられた。

「王子にとっては、身分の高い娘が嫁いでくることは都合の悪いことだ。だから、身分が低く、尚且つ父王が口を挟めない花嫁が、都合がいい」

 どういうことか聞こうと、アサコが口を開くと同時に、扉が勢いよく開かれた。イーヴェだ。随分と早く戻ってきたような気がして、アサコが窓の方に目をやると、もう日が暮れかかっていた。この部屋に連れてこられた時、日はまだ高くあったけれど、随分と時間が経っていたらしい。

 イーヴェは、椅子に座ったままのアサコを抱きしめると、帰ってきたよ、という風に頭を撫でる。

「ああ、また! ディルディーエ、わたしは犬じゃないって言ってください!」

「そんなことは、王子も分かっている」

「わたしも分かってます! あ、そうだ。ディルディーエは魔法使いなんでしょう? だったら、王子と私の言葉が通じるようにできるんじゃないですか?」

 アサコは呻きながら必死で言った。魔法使いということを信じきったわけではなく、まだ半信半疑だったけれど、鳥になったくらいなのだ。言葉を通じさせることくらいもしかしたら、簡単にしてしまうかもしれない。そんな期待を滲ませてディルディーエを見ると、ディルディーエは少しうんざりしたように首を振った。

「それはできるが、王子にやめてほしいと言われている」

「どうして!」

「あまり言葉が通じない方が、王子の目には動物らしく、愛らしく見えるらしい」

「……変態じゃないですか。ていうか、あんまりにも失礼すぎます」

「たしかに王子は軽度の変態だ。けれど、害があるほどではないから、気にすることはないだろう」

 泣きそうになって眉ねに皺を寄せたアサコを、イーヴェはディルディーエが止めてくれるまで撫で続けた。







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