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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
五章 二人の少女
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 あれはいつの頃だっただろうか。

 母がいて、父がいた。兄弟達や飼い犬もいた。そこから、ぽんと弾き出されてしまった。

 少女はとある国の王様に見初められ、将来、その国の女王になることを約束された。けれど少女はそれを望みはしなかった。国王には王妃がいて、たくさんの子供達もいた。少女は会ったこともないその子供の一人と結婚することになったのだ。まだ自分が女だという自覚も殆どない頃のことだった。少女は嫌がったが、それは許されなかった。王様の国はとても強い国だった。それに対して少女の国は、広い森の中だけ。

「本当に辛くなった時は、城近くにある古城にお行きなさい。そしてそこに蔓をはり、閉じこもるのです」

 少女の母はそう言った。どうして、と少女が訊くと、母は寂しそうに笑った。

「地面深くに根を張った蔦が、此処まであなたのことを伝えてくれるでしょう。そうすれば、私があなたを迎えに行きます。けれど、あなたにとって私以上に大切な人ができた時、あなたを迎えに行く人はその人でなければなりません」

 少女はよく分からないままに小さく頷いた。

 どうせ迎えに来るのならば今行かせないで欲しいと強く願ったが、少し前に父の涙を見たばかりだった。両親も自分を行かせるのが辛いけれどそれを我慢しているのだと思うと、自分だけが我侭を言う訳にはいかなかった。

 けれど、どうしてもあの王様は恐くて仕方がないのだ。少女は湧き出てくるその感情が嫌悪感なのだともまだ知らずにいた。美しくて冷徹な面差しをした金髪の国王。その眼差しを向けられている時、少女は逃げ出したくなるばかりだった。あの王様を義父と呼び、同じ城で暮らさなければならないのかと思うとぞっとした。

 一つ下の弟が一緒に来てくれると知った時は、本当にほっとした。弟も父母と離れるのは辛い筈なのに、一人他国へ向かう少女を自分が守ると言った。その子は兄弟の中でも一番気が弱かったが、一番優しく、少女と仲の良い子だった。

 迎えの馬車がやってきた時、少女とその弟である少年は強く手を握りあった。迎えにやってきた人々は二人の幼い姉弟の姿を見て最初驚いた様だった。二人の真っ黒な髪は彼らの国では滅多に見ることもないものらしい。夜の様な漆黒は彼らの目には不気味に映った様だった。

「お一人だと聞いておりましたが、その子供は?」

 一人の男が少女に聞いた。言葉遣いは丁寧だが、そこによい感情は見当たらなかった。怪訝そうに顰められた眉に冷たい目。少女は男を睨み上げた。

 自分がこれから行かなければならない国は、この様な人物で溢れているに違いないと思うと、ますます行きたくないという気持ちが強くなる。

「従者です。姫様のお世話を命じられました」

 そう言ったのは、他でもない少女の弟本人だった。

 聞いたこともないはっきりとした口調に驚いて隣りにいる弟を見ると、弟は少女に目を向け一瞬だけ微笑んだ。

「これから彼女と共にいることをお許し下さい。僕が共にいることが条件で、姫様のお父様は彼女があなた方の国へ嫁がれることをお許しになったのです」

 それは少女にとって初めて聞くことだった。もしかすると、弟が今思いついたことなのかもしれない。だとすれば、気が弱いと思っていた弟のことを見直さなければならない。大の大人たちを相手に嘘を言うなど、とんだ度胸だ。

「まあいいでしょう。では、こちらへ。城はそれほど遠くはない。お昼寝をされている間に着きますよ」

 差し出された手を無視して、少女はひょいと馬車に跳び乗った。

 初めて見る王国の城は、少女が想像していたよりもずっと大きくて美しかった。規則的に積み上げられた石の壁に、華奢な透かし彫りの窓、城の周りを囲む美しい緑。とても恐ろしい人々が住んでいる場所には見えなかったが、少女は気を引き締めた。どんな目で見られようとも、負けるものかと心に誓い、それによって心細さを噛み下す。

 幼い彼女にとって家族と離れることは何よりも心細いことだった。そして、見ず知らずの人々に囲まれることは、森の中で暮らしてきた彼女にとって恐ろしいことだった。

 この国では弟だけが心の拠り所だ。母が言っていた様な、母以上の人など現れる筈がない。

 自分よりも小さな弟と強く手を握り合いながら、見知らぬ大人達に囲まれて回廊を進んで行く。木漏れ日が回廊に斑模様を作っていた。離れたところから鳥が長く鳴く声が響いてくる。

 ふと、目の前を歩く男が足を止めた。部屋に着いたのかと思い顔を上げたが、男の背中が邪魔をしてその先が見えない。少女が男の体を避けて前を見ようとした時、男は床に膝をついた。

「その子が?」

「はい。深緑の森の姫君でございます」

 男が膝をついたのは、目の前に立つ少年に対してだった。

 少女はじっとその少年の姿を眺めた。おそらく少女とはそう歳が変わらないだろう。深い青に銀糸の織り込まれた服を着た少年の髪は、木漏れ日を受けてちらちらと輝く柔らかな蜜色だった。

 目が合いふと微笑まれて、少女は少し後ずさった。

「緑の天蓋へようこそ。僕の花嫁」

 少女が何も答えずにいると、少年は小首を傾げた。

「彼女は口がきけなかったっけ?」

 その声には馬鹿にしたところはなく、ただ純真に疑問を口にした様だった。けれど数秒後、その言葉の意味に気づいた少女は頭に血が昇るのを止められなかった。繋いでいた弟の手を振り解き、前に跪く男を跳び越える。驚いた様に目を大きくしていた少年の襟を掴み、周囲の男達が止める間もなく跳びかかった。

 少女に跳び乗られて仰向けに倒れこんだ少年は、驚きで大きくした目で少女を見た。

 王子に跳びかかり罵倒の言葉を浴びせるなど、不敬罪になるだろう。それが分かっていても、全てが彼のせいの様な気がして少女は手を振り上げた。けれど一番高くまで振り上げ、口を開いたところで、その手は大きな手に掴まれた。

「どうされますか? あなたの姫君はとんだ暴れ馬の様ですよ」

「いいよ。その位の方がおもしろい。部屋に案内してあげて。丁重にね」

「はい」

 王子付きの従者に羽交い絞めにされて、少女は立ち上がらされた。

「では姫君、こちらへどうぞ」

 丁寧な言葉遣いに係わらず抗いようのない力強さで先へと促され、少女は歩くしかなかった。苛立つ感情をなんとか抑えようと必死になった。彼がいなければ、花嫁としてこの国に来なくてすんだのかもしれないと思うと、幸せそうな笑みを浮かべる少年が憎く思えた。

 案内された部屋は少女の家の部屋よりも広く、綺麗だった。少女の年を考慮して整えられた部屋に、少女は少なからず惹かれた。薄い天蓋のついた寝台に、革張りの長椅子、小さな暖炉に、石で飾られた照明器具。

 何かを望めば何でも与えられた。それでも少女はこの国を出たくて仕方が無かった。城中の誰もが少女を嫌った。少女に付いた召し使いでさえも少女に冷たく、蔑んだ目を向け、陰であざ笑う。この国では森の国の者は嘲笑の対象で、忌むべき存在だ。少女の味方は弟で、弟の味方は少女しかいなかった。

 国王とは思っていたよりも会う機会が少なく、会っても会話を交わすこともなかったのが唯一の救いだ。婚約相手である王子とは回廊で出会った後、その夜行われた晩餐会で挨拶をして以来顔を合わせていない。

 両親や兄弟、愛らしい小さな家族に青々とした森が恋しくて仕方が無かった。

「姫様、たまには外出なさらないと御体に毒ですよ」

 少女の寝間着を着替えさせていた召使いの娘が、感情の篭らない声で言った。滅多に外出しない姫君のことを気にかけて言った言葉ではない。その娘が陰口を叩いていることは少女自身が知っていた。

 外出したいとは思うが、たくさんの冷たい視線に晒されて平気でいられる程少女の心は強くはない。

 少女が言葉を返さずにいると、召使いの娘は一瞬顔を顰めた。少女はそれを見逃さなかったが、見なかったふりをした。この国では無関心でいることが一番いいと少女が知ったのは、この国に来てその日のうちにだった。

 この国の人間は嫌いだと言うと、弟も僕もだよ、と答えた。

 一月ほどが経った頃だった。淡々とした日々が過ぎていた時のこと。王子にお茶会へと誘われた。他の王子や王妃たちもいるのだという。少女はそれを断ろうとしたが、参加の有無を訊いているわけではないと召使いにそれを拒否された。

「お行儀良くなさって下さいね。まずは姫様からご挨拶なさって下さい。それ以降は、王妃様や王子様方から話しかけられるまでご発言はお控えなさる様に」

 つまらないお茶会になりそうだ。少女は密かにため息を漏らした。

 案内された温室にはすでに王妃や王子達がいて、静かな仕草で給仕する召使い達の姿もあった。案内されると同時に注目を浴びて、予想していたことだとはいえ少女は怯んだ。けれどそれを表に出さないようにと努力して前を見据える。温室まで案内してくれた男に紹介され、少女はドレスの裾を摘まみ形式ばった自己紹介をした。皆、晩餐会の時に一度顔を合わせた人々だったが言葉も交わさなかったから、目の前の人々がどの様な心の持ち主なのかも分からない。けれど、この国の王妃やその子供たちだ。きっと嫌な人々に違いないと少女は思った。

「よく来てくれたね。さあ、座って」

 王子はそう言って自分の隣りの椅子を引いた。少女は何も言わずにその椅子に座る。よく来てくれたねなどと、よくも言えたものだ。拒否権などなかったのだから、参加せざる得なかったのだ。

 他の王子達の視線が痛い。それが好奇の目なのか、蔑んだ目なのかその時の少女には判断もつけ難かった。何しろ召使いに目を合わすことは失礼にあたると言われてきたのだ。

「ねえ、あなた魔女の血筋って本当?」

 そう訊いたのは少女の斜め向かいに座っている姫君だった。確か、四番目の子供で次女だ。金色の長い髪は少女が首を傾げると同時に光りの粒子を溢している様だった。愛らしい顔に悪意はない。けれど、その言葉は蔑みの言葉だった。魔女は忌み嫌われている。森の国の血筋は魔女を交えてきたのだと噂されているのだ。それが事実かそうでないのかは少女には分からない。けれどここの人々は少女が魔女の血を引いていると信じているのだろう。

 少女は分からない、と答えた。ただ本当にそうだったのでそう答えただけなのに、不服そうな顔をされてしまった。

「なあに、それ。どうして分からないの? 私なんて遠い先祖のことまで知っているのに」

「知ってるって言ってもそれが真実かは知らないけどね」

 王子は苦笑してそう言った。

「あら、お母様達が嘘を仰ったとでも言うの?」

「違うよ。お母様達も過去を本当に見知っているわけではないんだから。伝えられた過去は伝える人によって形を変えていくことがあるんだよ。今となってはどれが真実かなんて知っている人は誰もいない」

 少女は少年王子の意外な言葉に、彼に目を向けた。それに気付いたのか王子は少女に微笑みを向ける。

「それに、彼女がもし魔女の子孫だったとしても関係はない。僕から見れば可愛い普通の女の子だよ」

「まあ、ちゃんと婚約者としての自覚があるのですね。それではたまには彼女に顔くらいお見せなさい。聞けば一ヶ月ぶりに会うと言うじゃないの。それでは顔も忘れられてしまいますよ」

 柔らかな口調でそう言ったのは、王妃だった。他の子供たちからくすくすと笑い声が漏れたがそれは嫌な感じのものではなく、寧ろ親しんだ間で交わされる笑いだった。

 少女は耳を塞ぎたくなった。彼らは少女が思っていたよりも普通で、予想外に善良なのかもしれない。

 けれど、まだ信じてはいけない。頑なな少女の心がそう囁く。信じても裏では彼らも何を言っているのか分からないのだ。最初は温かくはなくとも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる召使いのことも信じようとしたが、彼女が自分の陰口を他の召使い達と話しているのを目の当たりにしてしまった。そんなに簡単に信じない方がいい。

 お茶会は滞りなく進み、あっと言う間に時間が過ぎた。少女はその間殆ど口を利かなかった。ただ彼らを観察する様に静かに彼らの会話を聞いていた。他愛もない家族間での話し。それは温かな家族の風景だった。少女は別の意味で嫌な感情が湧き出てくるのを感じていた。自分から家族を奪った人々が、家族の団欒を楽しんでいる。温かな空気は少女を惨めな気分にさせた。

 部屋に戻る途中、少女の弟がそっと彼女の手を握った。

「この国には、偉大な魔法使いがいるんだって」

 唐突な弟の言葉に、長い廊下の床を眺めていた少女は顔を上げた。

「魔法使いは滅多に会うことができないけれど、会うことができれば願いを叶えてくれるらしいよ」

 だったら、その魔法使いに会いたいと少女は強く願った。 

 従者という形でこの国に一緒にやってきた弟は、きっと自分よりも辛い目にあっているだろう。彼を守りきりたいし、自分も温かな場所にいたい。けれどそれは難しい願いだった。それでも、魔法使いならば、そんな願いも叶えてくれるのではないだろうか。

 それは幼い子供が抱く強い願いだった。家に帰りたい、家族と暮らしたい。最初はそんな願い事だった。

 魔法使いに願いを叶えてもらおうと初めて思った、まだ何も知らない頃のことだった。









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