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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
四章 魔女の領分
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 貯蔵庫を出る頃には、アサコは意識を失っていた。

 ぐったりとした体を抱きかかえてジュリアスが出てくると、外で待っていたティンデルモンバは耳をぴんっと立てた。その様子を見て、ジュリアスは苦笑して肩を竦める。

「なにもしていないですよ」

 兎の従者が疑っていると感じたジュリアスは、自身の潔白を口にする。

 ティンデルモンバは何も言わずに首を振った。赤く円い目に少女の姿を映す。魔女の呪いを受けた者なら分かる、彼女の気配を感じる。それがどういう訳か、いつも髪色は同じでも姿の違うこの娘からなのだ。

「姫君は現れましたか?」

 今度はジュリアスが首を振る番だった。

 アサコには以前一度だけ会ったことがあるのだが、彼女の正体が判らなかったのだ。兄は、彼女が本物の魔女であると言う。確かに、その娘からラカの気配はしたのだけれど、どう見ても魔女には見えなかった。だから、確かめたかったのだ。彼女が何者なのかを。それはきっと、ラカの手がかりにもなるとジュリアスは考えていた。無関係である娘を兄は古く言い伝えられてきた姫君として迎え入れる筈がない。

 けれど、正体を確かめたいと思おうとも彼自らアサコに会いに行くことはできなかった。イーヴェの花嫁として迎え入れられた彼女は、それでも婚前の娘で、曰く付きの姫君だ。他の王子達が彼女に会うことは基本禁じられている。それが許されれば、忽ち彼女は命の危険に晒されてしまうのだ。今でも安全とは言えないが、イーヴェの行いは得策と言えただろう。自らの手で魔女の命の糸を断ち切らなければ、呪いは解けない。毒を盛られたり暗殺を企てられたりする恐れは少ないのだ。偶然、彼女と他の王子が出会わなければ。

 ティンデルモンバは、ジュリアス王子が魔女の命を狙ってはいないことを知っていたからこそ、アサコをジュリアスと会わせた。人気のないところで若い娘と王子とを出会わせることに少しの気後れは感じたものの、ティンデルモンバはそれが必要なことなのだと判断した。遠い日の少年王子に似た二人が、それぞれアサコと接触することでラカがどのような反応を示すかを知りたかったのだ。

「一つだけ、分かったことがあります」

 ジュリアスが、横抱きにしたアサコを見ながら呟いた。その顔に涙の跡を見つけて微笑む。

「彼女は、ラカの記憶の一部を持っている。呪いは、僕たちの代で断ち切れることでしょう」

 核心の篭った声に、ティンデルモンバは微かに首を傾げた。もう何十年、何百年も前からその姿でいる彼にはその言葉は到底信じられなかった。けれど、ラカの気配をこれほどまで近くに感じたのも初めてのことなのだ。古城を囲むま蔓がそのまがまがしい姿を引いたのも、だ。それはなにかの予兆であることは、誰の目にも明らかだった。

 可愛らしい物語りを信じている国の民たちは、長く閉ざされていた姫君の心が遂に解かれたのだと信じている。呪いを知る人々は、魔女が再び驚異をふるうのか、呪いが解ける前触れなのかとその動きを待っている。どちらにしろ、それは強い意味を持つ。彼女の存在はよくも悪くも強い影響力を持つのだ。

「ディルディーエ様は、なんと仰られているのですか?」

「それは、あなたの方がよくご存知なのでは? 何と言ってもあなたは我が師匠と百年以上も前からの付き合いがあるのだから。ああ、そうだ。これはあなたも、兄もご存知ないかもしれない。彼は、ラカがこの娘に命を与えたのではないかと考えています」

「命、ですか?」

 ティンデルモンバの問いにジュリアスは答えずただ静かに微笑んだ。

アサコが貯蔵庫に入る前にはちょうど天っぺん辺りにあった太陽が、もうすぐ夕日になろうとしているのが薄く張った雲を通して分かった。風が吹いて、長い黒髪と髪飾りの大輪の青い花が揺れる。

 腕の中にいる少女をジュリアスは愛おしそうに眺めた。

 悪夢の名残か、静かな寝息を立てるアサコの寝顔は少し苦しげだ。そこにラカの面影など見当たらない。類似点は、黒い髪だけ。

 魔女の影響力はとてつもなく大きい。歪められた真実を正す必要はない。本当のことは、いつもとても醜いものなのだから。だからこそ、過去の人々はその醜い真実を隠す為に美しい物語りを創りあげ、上塗りした。かつての王が犯した罪は、一部の者しか知らないはずだったけれどそんな秘密などどこかから漏れてしまうものだ。それに関しての様々な憶測が飛び交い、結果、非難されたのはまだ少女であった王子の花嫁だった。もともと歓迎のされない花嫁だった為に、全ての罪が彼女に擦り付けられた。小国の姫君だったラカは、いつからか娼婦と呼ばれるようになっていたのだ。王子に嫁いできたにも関わらず、王に体を売った娘。

 彼女が魔法使いと契約したと人々に知られた時には、ますますその評判は悪いものとなった。もともと、魔女とは表立って出てくることはない影の存在なのだ。蔑まれるというほどではなかったが、そんな人物が王家の花嫁であるなど当時の人々には考えられないことだった。

 魔法使いと契約するには、それなりの対価が必要だ。その魔法が大きければ大きいほど、その対価もそれ相応のものでなければならない。かつて魔女と呼ばれた娘達の多くが支払ったものは、処女や腹子や、体の一部だったのだ。魔法使いたちに個々の感情は薄く、それによって行動を左右されることはないと言われている。対価の前にどこまでも忠実で、その前で成された約束は決して破らない。

 ラカが支払ったものがなんだったのかは、本人と魔法使いしか知らないことだ。

「ティンデルモンバ、この子はとんでもない巻き込まれ方をしましたね。今のところ無事のようですが、いつ殺されてもおかしくない。よっぽど平和なところで育ったのでしょう。警戒心が薄すぎる。あの中で出会ったのが、僕以外の兄弟であったなら今頃どうなっていたことか」

「ロヴィア様は、彼女を殺すおつもりです」

「……そんなこと、僕にばらしても大丈夫ですか? 彼がまた癇癪を起こしますよ」

 そんなジュリアスの言葉や態度こそ、ロヴィア王子の癇癪を引き起こす原因になることをティンデルモンバは知っていたが、それにはあえて何も言うことはなかった。

「彼女が殺されることをイーヴェ様は望まれていないのです。まだ、今は」

「兄に、意味がないと思われれば彼女は簡単に切り捨てられるわけですね。そういう意味では、運がいい。意味があるのだから……ああ、先ほど僕が言ったことは、イーヴェには言わないで下さい。それを知れば、彼はこの子を殺してしまうかもしれない」

「魔女が、命を与えた、ということをですか?」

 ティンデルモンバは鼻をひくつかせ、髭を揺らした。赤い目は相変わらずどこか無機質でその感情を映し出しはしない。ジュリアスは、まだ物心がつく前から傍にいたからその姿に恐れを抱くこともない。当たり前の存在としてきたが、表情のないその顔に時折、彼は一体何を考えているのだろうかと首を傾げたくなる。子供の頃はそんな時だけ、その姿にほんの少しの恐れを抱いたものだった。

「ええ。兄弟のなかで最も魔女を憎んでいるのは、彼なのですから」

 ざわざわと木々を揺らす風が吹き、ジュリアスは微かに眉を顰めた。風音に紛れて、微かに少女の声が聞こえた気がしたけれど、それはほんの一瞬のことだった。

 ジュリアスは伸ばされた白い手袋の手にアサコの体を預けると、目を細めた。

「永遠なんてものはないのですよ、決して。過ぎてしまえば、全てが刹那的なものです」

「……それは、ディルディーエ様のお言葉ですか?」

「ええ。けれど、誰もが感じたことのあるものでしょう。さあ、城に戻りましょう。一雨きそうだ」

 ジュリアスは、ティンデルモンバの腕で眠るアサコの頬を指の背で撫でるとそう言った。


 アサコが目を覚ますと、曇り空はいつもより分厚く、景色は薄暗かった。寝台の中からその様子を眺めたアサコは、自分が寝台で寝ている理由を考えるよりも早く、雨が降りそう、と思った。そのせいか、体は酷く重くだるい。瞼も腫れているようで、目を開けるのも億劫だった。

「目が覚めたか」

 凛とした声がして、アサコは目線を上げた。枕元の椅子に座っていたディルディーエが、持っていた分厚い本をぱたんっと閉じるのを無感動に眺めたあと、アサコは体を横たえたまま口を開いた。

「わたし、たしか……ティンデルモンバと貯蔵庫に?」

 ディルディーエは小さく頷く。

「ジュリアス王子と会ったんだね。なにか、変わったことがあったかい?」

「影が……」

 アサコは、言って両手で目を塞いだ。思い出すと体が震える。今はもう、近くに影がいないことが分かっていたが体に残る冷たい感触は忘れられない。

「わたし、お城で、いつもラカの遊びに巻き込まれていました。ラカが作った鬼に捕まったら、こわいものを見せられるんです」

 思い出して、最後の方は声が震えた。城の中での鬼ごっこの鬼は、大きな兎や人のかたちをした白い靄のようなものだったりした。今の鬼は、城の中を思い出させるような人のかたちをした暗い闇だ。あの小さな城から溢れ出した、憎悪のかたまり。

「あの人と会ったときに、捕まってしまいました……」

「……恐ろしいものを見せられたのか?」

 目を塞いだままのアサコが小さく頷くと、ディルディーエは小さな手で彼女の頭を撫でた。それでも、アサコの手がどけられることはない。

「あの子にあった出来事を、わたしは受け止めきれない」

「それは、彼女自身がそうだった。だからこそ、壊れてしまったんだ。魔法使いと契約して許されないことをしてしまった。お前が受け止める必要はないんだよ」

 アサコは手のひらの下で目を見開いて、ゆっくりとその手を離した。静かな雨の降り出す音が聞こえてくる。時折吹く風で、硝子戸が揺れた。

 彼は、いつもラカのことを知っているかのようだ口ぶりだ。時折彼女のことを魔女とは呼ぶが、そこにイーヴェの時のような憎悪や嫌悪感は混じっていないように感じられた。それは、彼が呪いを受けていないものだからだろうか。それとも、感情の薄い魔法使いだからだろうか。

「もしかして……ディルディーエが、ラカと契約した魔法使いなんですか?」

 少女の様な姿をした魔法使いは、ふと笑った。けれど、それに答えは返されなかった。扉を叩く音がして、若い娘の召使いの声が聞こえた。間もなくして開かれた扉からなんの挨拶もなくイーヴェが部屋に入った。そのままツカツカとアサコのいる寝台の横まで来ると、じっとその姿を見下げる。

 そこにいつもの甘ったるい笑顔や馬鹿にしたような表情はない。冷たいその目に、アサコは背筋を冷やした。ディルディーエの小さな手に縋りたくなったが、動くことさえ許されないような気がしてじっとイーヴェの言動を待つ。

 すると、イーヴェはふとアサコから視線をはずし、その傍らに座っていたディルディーエに目を向けた。

「ジュリアス本人から、彼女と会ったと聞きました」

「それがなにか?」

「勝手な行動は控えて頂きたい」

 ディルディーエはそれには何も返さず、小さく肩を竦めてみせただけだった。

 アサコは寝台の中で身を小さくして二人の様子を見守った。相手がふざけている時にはいつも多少の厳しい言葉を投げかけたりもできるけれど、ふざけていない時のイーヴェには言葉をかけることさえ躊躇われる。花嫁とは言っても、友人ですらない他人なのだ。それに、影に捕まった時に見た絶望的な記憶が、アサコを臆病にさせていた。イーヴェからの冷たい視線を受けてしまえば、全身から血の気が引く。やはり彼は、少年王子によく似ている。少年王子がラカに向けた視線はもっと憎悪や侮蔑を含んだものだったけれど、よく似たその顔から優しさの欠片も見当たらなくなれば、ラカの見た少年王子の表情を思い出す。

「では、私はそろそろ退散しよう」

 相変わらず表情のない顔でそう言うと、ディルディーエは立ち上がった。ちらりとアサコを見たものの、言葉の通り部屋を出て行ってしまった。アサコはその様子をぼんやりと眺めていたけれど、部屋の扉が閉まると同時に顔を顰めた。普段もそうだが、機嫌の悪そうなイーヴェと二人っきりにされてしまったら、かなり気まずい。

 イーヴェは、先ほどまでディルディーエが座っていた椅子に腰を下ろした。先ほどと変わらない表情で硝子戸の外を見たあと、アサコの方を見て唐突に噴き出した。それを隠すように口元を手で覆ったが、もう遅い。アサコは奇妙なものを見る目で、笑いを堪えるイーヴェを見つめた。馬鹿にされているわけではないのはわかるが、失礼な態度をとられていることだけは分かって眉を顰める。

「いや、すまない。あまりにも情けない顔をしてたものだから」

 その言葉に、アサコはぽかんとイーヴェを見つめた。どうせそんなことだろうとは思ったが、面と向かって言われると、どんな反応を示せばいいのか分からなくなる。

「別に、怒ってないよ」

「はあ……」

「怒られる直前の、子供みたいな顔してた」

「はあ、すみません」

 なぜかそう謝ると、アサコは頷くように頭を下げた。頭上でまた笑う気配がしたが、もう気にしないことにする。そこに怒りがなかったことにほっとしたのもあって、体の力が抜けた。だからか、下げた頭の上に手を置かれてもそれを拒もうとは思いもしなかった。大きな手の平に撫でられ、状況も相手も忘れて無意識にうっとりと目を閉じる。

 雨足が強くなっていくのが、外から響いてくる雨音で分かった。

 ふと、懐かしい想いに胸が絞めつけられる。頭を撫でられる感触に、涙が溢れそうになった。影に捕まってしまったせいで、気が弱っているのだろう。瞼の裏で一瞬浮かんだ記憶に、はっと目を開け、頭の上に乗せられた手を押し返す。その一瞬、イーヴェと目が合ったアサコは目を逸らした。

「……ジュリアスに会ったのなら聞いたかもしれないけれど、この血筋の王子達には特徴があるんだ。みんな、物心つく前から彼女の夢を見て、彼女に対する感情を植えつけられる。人によって見る夢は様々みたいだけど……まあ、これも一種の呪いだね」

 しんっと静まり返った部屋のなか、イーヴェは呟く様に言った。それは、アサコにとっては初耳だった。彼らは、遠い昔の姫君を呪いをかけた人物としてだけ認識し、恨んでいると思っていたのだ。けれどイーヴェも、他の王子達もアサコと同じ様にラカの記憶を見たのだろうか。彼らが夢のなかで見たラカの姿とは、一体どんなものだったのだろう。アサコは、ラカのほんの一部分しか思い出せていないし、もともとあまり知らないのかもしれない。もしかすると、彼らの方がラカのことを知っているのかもしれないのだ。

「それは……どんな夢だったんですか?」

 アサコは戸惑いながらも訊いた。なぜか立ち入ってはいけないような気がしたが、訊かずにはいられなかった。アサコの質問に、イーヴェはすぐには答えなかった。強くなりだした雨音に、窓の外へとまた視線を向ける。風が吹いて硝子戸に雨が叩きつけられる音がした。

「彼女が、まだ普通の少女だった頃のことを何度も夢見てきた。まるでその記憶があればすべて許されるみたいにね」

 目を少し大きくしながらも、アサコは黙ってその言葉を呑み込んだ。それは、ラカの仕業なのだろうか。彼らが幼い頃から夢見てきたのは、まだ幸せだった頃のラカだ。

 驚いて目を大きくし、じっと黙り込んでしまったアサコの頬をイーヴェは両手で包みこんだ。アサコが見上げると、暗い笑みを浮かべる。

「ここは、ラカの檻の中だよ。俺は魔女が現れるのをずっと待っていたんだ」

 その様子にぞっとしながらも、アサコはイーヴェから目を離せずにいた。緑の瞳が暗く濁って見える。

「ラカは死んでいたって、ディルディーエが……」

 口にするのも嫌な言葉に、アサコは痛みを堪えるように僅かに顔を歪めた。

「ラカはまだいるよ。君にも分かるだろう?」

 アサコは髪が乱れるのにも構わずに、必死で首を横に振った。座り込んだ寝台の上に、目覚めれば長くなっていた黒髪が散らばっている。その毛先をぎゅっと握る。

 長い髪は、切りたいと言ってもなぜか許されなかった。どうしてこんなにも彼らの言葉に従順に従っているのだろうか。城を勝手に出なかったのは、言葉が通じないし、命の危険があると聞いたからだ。髪を切らないのは、駄目だと言われたから。花飾りを毎日つけられるのを拒まないのも、とってはいけないと言われたから。ぼんやりとしたままだった思考が少しずつはっきりとしていく度に、強い疑問が噴き出してくる。

 もともと、いつこの場所にやってきたのだろうか。

 制服を着ていたということは、学校に行っていた時かもしれないし、 下校か登校途中だったのかもしれない。そもそもこの場所はなんなのだろうか。何度も考えはしたことだったが、緩い頭の中ではそんな疑問もいつも長持ちはしなかった。他のことでもそうだ。たまに何かを知ったり思い出したりしては、忘れてしまっているような気がする。けれど、この時ばかりは違った。浮かんできた疑問に血の気が引く。

 ラカは、どうしてアサコを城に閉じ込めていたのか。ちがう、閉じ込めてなどいなかった。アサコ自身が、そこから出ようとはしなかったのだ。ラカが創りだした緩やかな檻から。

「……だったら、ラカはどこにいるんですか?」

 ようやくアサコが声を絞り出すと、イーヴェは今度は甘さを混ぜた表情で微笑んだ。まるでその質問がくるのを待ち侘びていたかのように、淀みない動きで指を指す。

 とんっと胸元を突かれて、アサコは目を円くしてイーヴェを見上げた。

「……わたしは、ラカじゃないですよ」

「ああ。知っているよ」

 目を白黒させるアサコを放って、イーヴェは立ち上がった。呆然とアサコはその動作を見守る。

 イーヴェが静かな動作で硝子戸を開けると、雨音が一気に強くなり、湿気た空気が流れ込んできた。カラカラと、天井近くに吊られた風車が微かな音を立てながら回る。蝋燭の灯が、風で頼りなく揺れた。ほの暗い景色のなか、一面に広がる灰色の空が薄っすらと明かりを放っている。

 一体彼は、何を思ってアサコを指差したのだろうか。それが冗談なのかも判別をつけられずに、アサコは服の胸元を掴んだ。

「君はラカの代役だ」

 ――あなたは、わたしのかわりに

 そうだ。ラカの代役だ。ラカの代わりに、しなければいけないことがある。それが分かるのに、何をしたらいいのか思い出せない。ラカの代わりに、ラカを苦しめた人々に仕返しを。けれど、今はもうその人たちはいないのだ。いるのは、おそらく遠い昔ラカの魔法使いだったディルディーエと、兎に姿を変えられてしまったティンデルモンバだけ。

「代役……」

 言葉の意味を探すように呟くと、イーヴェは意外そうに目を大きくした。

「否定しないんだ。珍しいね」

「……」

 言ってしまってもいいのだろうか。彼もほんの一部なのかもしれないが、今まで言わなかったことを言ってくれたのだ。洗いざらいとはいわなくとも、今分かっていることだけでも言っておいたほうが楽になれるかもしれない。

 けれど、時々現れるラカのことを言ってしまうと、彼には完璧に敵視されてしまう恐れがある。それとも、彼はそんなことはとうに気付いているのだろうか。

「ラカの従者にも、同じことを言われた気がするんです。わたしは、ラカの代わりになるって。意味はよく解らないんですけど」

「へえ……歪みの城の花嫁としてなら、言葉通りなんだけどね」

 その言葉に含まれる意味を読み取って、アサコは頷いた。きっと、少年従者が言った言葉は別の意味を含む。ラカの代わりに復讐をと言うのに、その復讐のためには何をすればいいのかを彼らは言わない。随分昔に誰かに言われたような気もするが、それも思い出せない。

「なにかをしなければいけないって、前に誰かに言われた気がするんです」

 頭の中で言葉を選びながら話す。

 アサコが珍しく話そうとしていることに気付いたイーヴェは、茶化すことなく神妙に頷いた。それにアサコは少しほっとした。話してもいいのだという気分になる。ほんの一部を隠したまま、話してしまえばいい。

 イーヴェはラカを殺すことを望んでいる。そして、だからなのか、ラカのことを知りたがっている。ラカの記憶を繋ぎ合わせれば、何かが分かるのだろうか。

「交換、してください」

「なにを?」

「ラカの記憶と他に隠していることをです。そうすれば、その分のことをわたしも話します」

 そう言うと、イーヴェは意外そうな顔でアサコを見つめた。

「君は、魔法使いみたいなことを言うんだね……いいよ。何から言えばいい?」

 きっと彼も一番肝心なところは隠すのだろう。そうは思いながらも、アサコは口を開いた。










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