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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
一章 王子と犬と魔法使い
2/54

02

 カツカツと廊下に響く音を聞いて、アサコはじっと耳を澄ました。 足音はアサコのいる部屋の前で立ち止まる。大きな寝台の上で、毛布にぐるぐる巻きになった状態で、ゆっくりと扉の方を見ると、たった今扉を開けた青年がほっとした様に微笑んだ。


 青年の名前は、イーヴェというらしい。言葉は通じなくとも、この場所へやってくる途中の馬の上で、お互いの名前を知ることくらいはなんとかできた。それ以外は、なにもわからないままだ。けれど、王子様っぽいこの青年が本当に王子様であるのかもしれないことは、この場所にやってきてなんとなく分かった。

 草原を囲んでいた大きな森を抜けてやってきた所は、お伽の国のような古びた町だった。まずそこで、町の住人らしい人たちに、なぜか大量の花びらを浴びせられた。町の人たちはお伽の国に相応しい顔立ちと服装をしていた。イーヴェとアサコを乗せた馬が向かったのは、その町の向こう側にあった、大きな城だ。城の前には大きな門と、当たり前の様に門番がいて、門番は馬に気づくと恭しく敬礼をして、そのまま動かなくなった。

 門の内側は、大きな庭になっていてそこから城に辿り着くまでがまた長かった。遠目で見ても分かったのは、城の前にずらりと並んだ女の人たちや、男の人たち。その誰もが召使いのような衣装を着こんでいた。そこまでなら、まだよかった。その人たちに混じって、見たこともない程大きな兎や羊がいたことが、彼女にとって衝撃だった。その兎や羊は、なんと他の人たちと同じように上品に服を着込み、お辞儀をして待ち構えていたのだ。最初は着ぐるみかと思っていたアサコも、近くで見てそれらが着ぐるみなんかではないことを予感した。全く当然の様に彼らは召使いたちの間に溶け込んでいて、ふざけてやっている様にも見えない。

 執事のような姿をした兎は、馬がその列の前までやってくると滑らかな動きでイーヴェに何かを言った。そしてイーヴェが言葉を返すと、兎はアサコに視線を向けて瞬きをした。こればかりはいくら兎といえども不気味で仕方なく、ぞっとしたアサコは、身震いをして固まった。兎が苦手なわけではなく、むしろ好きなほうだったけれど、信じられないほど巨大化して服を着込んだ兎は本当に怖かったのだ。そのままかぷりと食べられてしまう妄想さえしてしまった。そして、もっと怖かったのは羊の方だ。羊は、他の召使いと同じ黒い衣装を着て、その上から白い前掛けを付けていた。長い睫の下から覗く瞳は虚ろで、顔は笑っているように見えるのに、その差が余計に怖かった。

 アサコは、無意識にイーヴェにしがみ付いていた。ここへ来て、ようやく自分がとんでもないところにいることに気づいた。気づいてからは、ぼろぼろと涙が流れた。何かの強い感情に囚われたわけでもなく、頭の中は真っ白だったのに、涙は止まらなかった。

 先に馬から下りていたイーヴェは、驚きの表情を見せたが、躊躇することなくアサコを馬から抱き下ろすと、抱きかかえたままの状態で大勢の人に見送られながら城の中へと入っていった。イーヴェの肩に顔を埋めていたアサコは、柔らかいものの上に下ろされてようやく顔を上げた。

 大きな部屋だった。天井はアサコが住んでいた家の何倍もの高さだった。アサコが下ろされたのは、その真ん中にある大きな寝台の上だった。そこには大きな天蓋が取り付けられていて部屋全体を見渡すことはできなかったけれど、広さも相当だ。

「----------------」

 アサコが座っている前に跪いたイーヴェはなにかを呟いたあと、毛布でアサコをぐるぐるに巻いた。そしてその上から抱きしめて優しく頭や背を撫でた。母親が小さな子供にするようなそれに、アサコは子供扱いされていることに気づいたが、とくに不快感もなくそれを受け入れた。泣いたから、慰めてくれているのかもしれない。

「うう……」

 そう思うと今度はわけも分からず悲しくなってきて、また別の涙が流れてきた。思わず呻くと、苦しいと訴えていると思われたのか、体を少し離される。

「ありがとう、イーヴェ」

 伝わらないと分かっていても、そう言って服の裾で目を擦った。その時にまた自分の手が目に入って、思わずむっと目を顰めた。やはり、いくらなんでも白すぎる。記憶はなぜか曖昧だけれど、違和感を感じるほどだ。もっと色味があったはず。それに、髪が覚えているのよりも随分と長くなっていることにも、今更ながら気づいたアサコは、腰の下辺りまで垂れる黒い髪を撫でた。記憶の中のアサコは、肩に毛先がつくくらいの長さだった。前髪も伸びきっている様で、時々顔に掛かって鬱陶しい。

「鏡、ある?」

 イーヴェはただ首を傾げるばかりなので、アサコは毛布に丸まったままごそごそと寝台から辺りを見渡した。言葉が通じないのは不便だ。もし、トイレに行きたくなったらどうしよう、と切実に考えてしまう。

 寝台の頭の方向に大きな姿見があった。体に毛布を巻いたまま寝台から下りると、イーヴェは少し慌てた様子で、落ち着きがない。アサコはそれを尻目に、引き寄せられるように鏡に向かう。寝台に上がるのに靴は脱がされたから、タイツごしに床の冷たさが伝わってきた。アサコは鏡に映った自分の姿を見て、ぎょっとすると立ち止まって鏡を見つめた。鏡に映ったその姿は、アサコの記憶とは随分と違っていた。肌の色が、殆ど色味がないといっていいほどに白い。真っ黒な髪が長く伸びているのも相まって、顔の造りや体型自体はなにも変わっていないようにも見えるけれど、以前の姿とは随分と印象が違う。

 鏡の数歩前で立ち止まったまま鏡を凝視しているアサコの肩を、イーヴェは心配そうに揺らした。

 アサコは毛布を落として両手で長くなっている髪の毛を掴んだ。

「なにこれ……」

 アサコが呟いた声と重なって、扉の向こう側から声が聞こえてきた。イーヴェが何かを言うと扉は開けられて、そこにいたのはあの大きな兎だった。先程までより、アサコが兎に恐ろしさを感じることはなかった。少し離れたところにいる兎よりも、近くにある鏡の中の自分に気をとられてしまっていたから。

 兎はまた何かを言う。その声は低い男の声だ。王子は兎の声に答えるようになにかを言うと、呆然と突っ立ったままだったアサコにまた毛布を巻き、寝台に座らせて、そのまま気遣わしげにアサコの肩から二の腕を擦ってから部屋を出て行った。


 それから、暫くして部屋に戻ってきたイーヴェは、アサコが寝台に座ったままの状態でいたのを見ると、安心したようにほっと息をついた。嬉しそうに笑みを浮かべたイーヴェがカツカツとアサコのもとまでやってくると、人差し指で、なにかを伝えるように自分の唇を突いてから、アサコの唇を突いた。アサコは驚いて思わず身を引いたが、イーヴェはやはり気にした様子もなく嬉しそうになにかを言うと、扉の方に手の平を向けた。

 なんだか、忙しないな、とアサコが思いながら手のひらの方向に目を向けると、扉の前には薄い、黄土色のような髪を肩上で切りそろえた、整った愛らしい顔をした少女がぽつんと立っていた。細やかな刺繍が施された上半身を覆い隠す様な袖無しの外衣を羽織っている。愛らしい顔をしているのに、その顔には表情はなく、じっとアサコを見つめる目はどこか老人のようでもあった。

「------------」

 その少女は一旦アサコからイーヴェの方に視線を移すと、アサコが想像していた可愛らしい声とは違い、意外に掠れた声でなにかを言う。イーヴェはそれに対してだろう、微笑んだまま深く頷いた。

 アサコはただただ首を傾げるばかりだ。イーヴェが連れてきたこの小さな女の子はなんなのだろう。そもそも、イーヴェの正体さえ分かっていないのだけれど。

 少女はすたすたと二人のもとまでやってくると、小さな両手でアサコの頭を触った。寝台に座っているアサコよりも、その前で立っている少女の背の方が今は高い。アサコは何をされるのだろうと思いながらも、じっとしていた。触りやすいように少し下をむいてやる。

「警戒心の薄い娘だな」

 上から降ってきた言葉に、アサコはばっと顔を上げた。目の前には、アサコを見下ろす無表情な顔がある。

「通じているか? 通じているのなら、返事をしなさい」

 そう流暢に言ったのは、目の前の少女だった。

「日本語が分かるの?」

「ニホンゴ、とは、お前の母国語だね。悪いけれど、お前の中から少し分けてもらったよ。言葉が通じないのでは、とても不便だから」

 少女の少し偉そうな口調は、意外にしっくりと少女に馴染んでいたので、アサコはそれにはあまり違和感を感じなかった。けれど、少女の言っている意味が理解できずに首を傾げる。

「分ける? いいや、そんなことよりいっぱい訊きたいことがあるの。言葉が通じる人がいてよかった」

「ああ、これからは、通訳としてお前の傍にできるだけ付くことになったから、質問はあとで聞こう。私はディルディーエ・セルチエルカ。こちらは、もうお名前くらいは知っているだろうが、イーヴェ・エンデステルカ殿下だ」

「……え、もう一回」

「ディルディーエでいい。お前の名前は、アサコというのか」

「はあ……ツヅラ、アサコです。イーヴェって本当に王子様だったんだ」

 横でじっと二人の様子を見守っていたイーヴェが、アサコの視線を受けてディルディーエに何かを言う。ディルディーエも、同じ言語で何かを返した。

「王子はお前がなにを話しているか知りたいらしい。とりあえず王子がお前をあの歪みの城から救ってくれたことに感謝していることを伝えておいたよ」

「え? そんなこと一言も言ってないし、歪みの城って? 救ってくれた? なんうっ」

 アサコが言い終わらないうちに、イーヴェがアサコを包み込み、感極まった様子で頭をくしゃくしゃと撫でて何かを言った。

「な、なに?」

「なるほど。王子はお前をかわいい、と言っている」

「えっ」

「犬のようだと」

「え」

 小さい子のように扱われているとは思っていたが、まさか犬のようだと思われていたとは思いもしなかったアサコは、固まった。この青年と自分は多分さほど歳は離れていないだろうと思っていたから、幼い子扱いでも少し首を傾げたくなったのに、犬扱いだったとは。けれどそう言われてみれば、この撫で方は犬に対するそれにも思える。

「犬って、なんで」

「お前は小さいし、言葉が通じないのが一番の理由だろうね。安心しろ、王子は動物好きだ」

 冷静に分析されて、アサコは項垂れた。小さい子供に小さいと言われるのもかなり複雑だが、ペット扱いはもっと複雑だ。

「王子がそう思っていても、お前は王子の花嫁だがな」

「は……?」

「少なくとも、周りのものたちは皆そう思っている。城下の者達もだ。長い間歪みの城で眠っていた姫は、助けだした王子と結ばれると言われている」

「人違いです。だって、お姫様じゃないし、普通の学生なんですけど……」

「まあ、姫には確かに見えないな……とりあえず、そのことはまた詳しく説明してあげよう」

 小さな少女は表情もないまま、淡々とそう言った。






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