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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
四章 魔女の領分
16/54

16

 暫く街を案内してもらっただけで、アサコは疲れきってぐったりとしてしまった。

 自身の体力のなさに嫌になりながら、心配げに傍に付き添うイーヴェをちらりと見る。いち早くアサコの疲れを感じ取ったイーヴェは、小さな食堂へと連れて行ってくれたのだ。

 そこは、それなりに人はいるが静かな所だった。暗いという訳ではないが、全体的に上品な雰囲気が漂っている。長い年月をかけて色味を増したであろう木造りの建物はとても豪華には見えないが、荘厳としている。中央では、一人の若い奏者が大きな弦楽器で演奏をしている。緩やかな旋律は、その場とよく調和している。

 アサコとイーヴェが座ったのは、店でも一番奥の席だった。アサコは座ると共に脱力し、疲れからくるものか急にやってきた眠気と戦う羽目になった。卓に突っ伏したいところだったが、そうしてしまうと本気で眠ってしまいそうな気がして、うとうとと頭を揺らすだけで止める。

「――さっきの、君が言ってた子供だけど」

 唐突に切り出されたその話題に、アサコは重たい瞼をなんとかぐっと持ち上げようとしたが上手くいかず半開きのような状態でイーヴェを見た。

 その様子を見てか、イーヴェは苦笑した。

「どんな子供だった?」

 聞かれて、先ほど見た少年の姿を思い出す。異質な気配を持つ、整った容姿の少年だった。子供らしく愛らしさを残した顔には、けれど子供らしい表情は見当たらなく、笑顔はどこか不気味で、そして妖婉だった。艶やかな黒髪に、印象的な薄緑色の瞳。

「きれいな、子でした」

 ぼんやりと言ったアサコは、それでも少年の姿を思い出すと身震いをした。

「女の子?」

「男の子です」

 そのあともイーヴェは少年のことを聞いてきた。肌の色に目の色、そしてもう一度黒髪だったことを確かめてくる。答えながらも眠気と戦い続けていたアサコは、どうしてそんなことを聞いてくるのか疑問には思ったが、ぽつぽつと答えることだけに専念した。

 店員が運んできたものは、さっぱりとした甘い果物の味のする飲み物だった。品書きの読めない、読めてもそれが何か分からないアサコの代わりにイーヴェが適当に頼んでくれたのだが、どうやら当たりだったようだ。おそるおそる一口飲んだアサコは瞬きしたあと、ごくごくとそれを飲み干してしまった。くすくすと笑い声が聞こえてきて見てみると、イーヴェが口元を押さえていたから、アサコは思わず顔を顰めた。けれど近くにいた店員も笑っていることに気付くと、顔を赤くした。

「もう一杯飲む?」

 頭を撫でられながら聞かれて、アサコは不貞腐れた気分で首を横に振る。眠気もましになったが、とんだ恥をかいた気分だ。俯いて後ろで一つ括りにした長い髪を弄ぶと、また笑う気配がした。

 店員の若い女性が一人アサコに近づいてきて小さな子供に対するように体を屈めると、何かを言って首を傾げた。その仕草でアサコは何かを質問されているのだと気づいたが、何を言われたのかは分からなくて、首を傾げ返した。アサコの代わりにイーヴェがその娘と二言三言言葉を交わすと、その娘は顔を赤らめてそそくさと下がってしまった。

「なにを言ったんですか?」

 訝しげにアサコは聞いた。聞きながらも彼女の頭には『スケコマシ』という、今時使いそうもない言葉が浮かんでいた。

 町を歩いている最中も、この王子様はたくさんの女性に熱い視線を送られていたのだ。そんな女性の中にはアサコに話しかけてくるものがいたが、恐らくダシに使われていたのだろうと今更ながらに気付く。

「特になんにも。愛らしい少年従者だね、とは言われたけど」

「少年……」

 言われてアサコは自分の姿を見下ろした。白いシャツの上に着たベストに外套、ズボンにその上から履いた革の長靴。アサコにとっては仮装している様な気分になる格好だ。いくら従者の格好とは言っても、本気で男と間違われるなんて思ってもみなかったアサコは、少なからず落ち込んだ。顔も別に中性的と言われたことはない。けれど町に歩く少年少女を見ると、少年と間違われてもしかたないとも思う。まだ若い少年は、その顔に少女っぽさも持ち合わせている子が殆どだった。先ほど見た黒髪の少年もそうだったのだ。あの少年が少女の格好をしても、アサコは女の子だと疑わないだろう。

 イーヴェはアサコがまだ手にしていた髪の毛を引っ張ると微笑んだ。

「大丈夫。俺にはちゃんと女の子に見えてるから」

「……女好きですよね、イーヴェって」

 白けた目で見ながらアサコがずばり言うと、イーヴェはアサコの予想には反して頷いた。顔には甘ったるい笑顔を浮かべて。

「女の子は好きだよ。軟らかくてかわいらしいからね」

「うわあ」

 無意識にもアサコは声を漏らしていた。ここまであからさまだったら寧ろ小気味よいくらいだと思わず感心してしまう。そんなことを言っても全然いやらしく響かないのは、いかにも女に好かれそうなその爽やかな面構えのお陰だろう。

「あの、一つ言っていいですか?」

「なに?」

「女の子扱いしないでください。というか、あんまり触らないで下さい」

 言うと、イーヴェは驚いたという風にわざとらしく目を大きくした。

「どうして?」

 聞かれて、アサコは言葉に詰まる。まさか「恥ずかしいから」などとは言えない。そんなことを少しでも口にすると、甘ったるい言葉と笑顔で返されることは今までの経験からして、流石に予想がついた。だからと言って「鬱陶しいから」と言うのも気が咎める。どちらも本当のことだが、そのどちらも口にすることもできずにじっと黙っていると、イーヴェは笑みを深くした。その様子を見てアサコは思わず後ずさりしたくなったが、椅子の背もたれが邪魔をした。毛先は未だイーヴェの手の中だ。

「……あの、思いっきり人に見られてるんですけど」

 ちくちくと視線が刺さるのを感じながら、アサコは体を仰け反らせた。傍から見ればイーヴェとアサコは主人とその従者なのだ。それも男同士の。少年従者に見えるアサコの髪をその主人が弄ぶ様は明らかに怪しいに違いない。好機の視線を向けられるのも無理はなかった。あからさまな視線はなかったが、みんなちらちらと気にして見ているのが痛いほどよく分かる。けれど同じ注目の的になっている筈のイーヴェは、気にした様子もない。

「この国では、黒髪は不吉とされてるんだよ」

「……魔女の髪の色だからですか?」

 言われた言葉にアサコは眉を顰めながら尋ねた。

 魔女、という言葉を口にして胸を痛める。ここの人たちは、魔女にけして良い印象を持っていない。呪われた方が、呪った者を憎むのは仕方のないことだ。それがその魔女と直接関わりあったこともない人ならばなおさら。

 町を歩いている時に気付いたことだが、ここの人間はみな色彩の薄い人たちばかりだった。髪色は濃くても茶色。

 けれど、この国の人たちは、黒髪の姫君が呪いを残したことなど知らないのではなかったのだろうか。イーヴェがアサコを歪みの城から連れ帰った時、アサコは黒髪のままだったが歓迎されていたように思う。

「魔女は、別だよ。国民はみんな魔女を優しい姫君だと信じ込んでいる」

「だったら、どうして」

「君も気付いただろうけど、この国では黒髪っていうのは珍しいんだ。もっと西の方にいくとそんな民族がいるって聞いたこともあるけど。……物語には、もう一人重要な人物がいてね。姫君が嫁いでくる時に一緒にやってきていた少年従者だ。その従者は物語の中で、姫君を唆した魔性の存在として伝えられている」

「そそのかした?」

 アサコにとってその話しは初耳だった。この物語を教えてくれたディルディーエは、かなり簡略化して話していたのだろう。

「そう。その従者は姫君と同じ故郷の出で、髪の色も黒かった。だから人々の間では、黒髪の少女は悲劇の姫君、黒髪の少年は悪魔的な存在をさすんだよ」

「あ……」

 遠まわしに言われたイーヴェの言葉は、アサコに衝撃を与えるものだった。先ほど見た少年は、今イーヴェが言った従者なのだろうか。それにしてはかなり幼いようにアサコには見えたが、此処では普通のことなのかもしれない。

 ぞっとして肩を竦ませたアサコは、窓の外に目をやった。

 人通りは多く賑やかだが、晴れない空のせいか外は薄暗い。その街中に視線を巡らす。少年が人ごみの中から自分を見ているような気がしたのだ。けれどその様な少年の姿は見当たらない。先ほど見たことが幻だったのではないかとアサコが思うほどに、忽然と姿を消してしまったあの少年。ラカの従者。

「……本当は、その子はなにをしたんですか?」

 人々の間に言い伝えられるその物語が紛い物であるのならば、少年のはなしも少しわけが違ってくるだろうことに思い当たり、アサコは尋ねる。

 イーヴェは感心した、という風に目を大きくして肩を竦めた。

「よく気付いたね。そうだよ、その従者も物語の通りの役割を果たしていたわけじゃない。その従者は、王を殺したと言われている」

 王を殺した。

 現実味の湧かない言葉を聞いて、アサコはぽかんとした顔でイーヴェを見た。王という言葉にも未だ現実感が湧かないのだから仕方がない。

「そのあと、その子は?」

「当然、罰として殺されたよ。まあ、そんなことがあったから王族の間では、姫君とその従者がこの国に送られたのはこの国を引っ掻き回すためにだったと思われてるよ」

「……そんなこと、言わないで下さい。なにも知らないくせに」

 あの子が、どんな目にあってきたのかを。

 アサコは震える手をぎゅっと握り、押し殺した声で呟いた。頭に浮かぶのは、耳を塞ぎたくなるような、痛切な少女の叫び声だ。向けられる冷たい視線は、少女に少量の甘い毒を与え続けた少年のものだった。

 どうして、信じることができなかったのだろう。

 腕を掴まれて、アサコははっとして顔を上げた。いつの間にか自分でも無意識で耳を塞いでいたらしい。掴まれた腕の先には、先ほどとは打って変わって真剣な表情のイーヴェの姿があった。

「なにか、隠してるね?」

 押し殺すような声で聞かれて、アサコは首を振る。

 夢の中の少年とイーヴェの姿が重なって見えた。

 ただただ目の前にいる青年がこわくて身を捩ると、腕を掴んでいた手は簡単に離れていった。小さく洩れたため息にアサコが身をすくませると、イーヴェは苦笑した。

「別になにもしないよ」

 言われて、アサコは小さく頷く。

 たった今隠し事をしているか聞かれたが、意識して隠していたわけではない。口にするのも悍ましいことだったから言わなかっただけだ。そして知っていることがアサコの幻や夢でないとはいいきれない。此処へやってきてからは、どこか夢見心地なのだ。幻のような虚ろなものの姿を見るし、イーヴェやディルディーエは曖昧にはぐらかす。そして現実離れした兎の従者に羊の召使い。

 けれど、ほんの少し知っていることを黙っていたのは本当だ。

「イーヴェたちだって、わたしにかくしごとがあるんじゃないですか?」

 訝しげな顔で問いかけると、イーヴェは何も言わずに微笑みで返しただけだった。わざわざ肯定もしないし、否定もしない。アサコはその笑みを肯定ととり、むっとした。理不尽だ、と思う。

「……それよりも、イーヴェ。さっきの男の子なんですけど、その子がお姫様の従者だって言いたいんですか? だったらわたし、幽霊を見ちゃったことになるんですけど」

 面倒な話しを逸らそうと、アサコは先ほどの話題を言い戻す。

 ちょうどその時、先ほどアサコに話しかけてきた店員の娘が飲み物を持ってやってきた。アサコが先ほど一気に飲み干してしまったものだ。視線を上げると、卓の上に頬杖をついていたイーヴェが小さく肩を竦めてみせた。手のひらでどうぞ、という風に促される。

「君が見た少年がそうなのかは断定できないけど、少なくとも今この町にはそんな髪色の住民はいないと思うけど……」

 ごくんっと飲み物を飲み干す音がやけに大きく鳴ったので、アサコは目を円くした。それにたった今イーヴェが言った言葉だ。さらりと言われたけれど、それはアサコの耳には不気味なことに聞こえた。異質な少年は、誰にも見られず、誰に話し掛けられることもなく他の子供たちに混ざって一人で遊んでいたのだ。

 アサコが一人、目を円くしているとイーヴェはまた苦笑する。

「その子は、君に気付いた?」

 アサコはこくりと頷く。気付いたもなにも、微笑みかけてきたのだ。とても子供らしいとは言えない笑い顔だった。人外のものだと信じそうになってしまうのは、その表情も一つの理由だ。

 不気味さを紛らわすために、アサコは店内に目を向けた。ふいに逸らされる視線がいくつかあったが、気にせずに他の客を見る。店内には若い客もいたが、殆どが老齢の上品な身なりをした人たちだった。静かに食事やお茶を飲む様は、まさに紳士淑女といった感じだ。

 弦で奏でられる音楽はちょうどひと段落したところで、次の音を探している。

「……あれ、なんですか?」

 まだ残る眠気から、アサコは目を擦りながら奏者の方を指差した。その方向には奏者の足元、薄茶色の兎がいた。ティンデルモンバとは違い、なんの変哲もない兎だ。ただその大きさを覗いては。

「なにって……兎だよ」

 呆れたように言って、イーヴェはアサコの前髪を掻き分けて額に手の平を当てた。熱でもあるの、と言いたいのだろう。その仕草にアサコはむっとする余裕もなく、兎を凝視していた。その兎は大型犬くらいの大きさで、ずっしりとした体を奏者の足元で丸めていた。アサコたちが店に入ってきた時にはいなかった筈だ。いつの間に、どこからやってきたのだろう。

 アサコが目を白黒させていても、周囲の人は何事もないように緩やかな時間を過ごしている。

 ふいに、寝ていた兎の長い耳がピンッと立ち、真ん円な目がアサコを捉えた。その様にアサコが思わず体をびくりと動かす。兎が動いたことで、演奏をしていた奏者も顔を上げる。奏者は、ほっそりとした体躯の薄茶色の髪の青年だった。目を大きくして瞬きをするアサコに気付いて、会釈する。アサコは足元の兎を気にしながらも会釈で返した。

 あの奏者が兎の飼い主なのだろうか。

「あの兎と奏者が気になる? ここで三日に一回の割合で演奏してるんだ」

「よく知ってるんですね。てか、あの兎大きすぎないですか?」

「ああ、大型の兎だね。珍しいね」

 さらりと言われて、アサコは「ああ、そうですか」と返すしかなかった。自分の普通が通じないことを理解はしているつもりだが、一度は確かめておきたかったのだ。

「疲れてるみたいだし、帰ろうか。歩けそう?」

 帰ろうか。

 その言葉になんの疑問も違和感も持たずにアサコは頷く。

 町には知らないものや常識から外れたものがたくさんあり、アサコは目を回しそうになった。それに付け加えあの異質な少年を目にしたのだ。イーヴェの話しが本当ならば、アサコはまたあの少年と出会う確率がある。

 立ち上がったイーヴェに手を引かれて立ち上がりながら、アサコはため息を漏らした。








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