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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
三章 忘れものの庭
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 ディルディーエに庭と呼ばれた場所は、温室の影に隠れるようなひっそりとした所にあった。

 背の低い木々が立ち並ぶそこは、小さな森の様だった。先日アサコが温室に訪れた際には、気付くこともなかったような薄暗い場所だ。そこはディルディーエが言う『庭』とは程遠い様な雰囲気で、『裏庭』と言われればまだ納得できるような、手入れもされていない荒れ果てた土地だった。そこかしこにある動物や人の形を模った石像は雨ざらしだった為か、水が流れた後の様な染みが残り、その体には蔦が絡み付いている。

「なんだか、幽霊が出そうな場所ですね……」

「出ますよ」

 当たり前の様にさらりと言われて、アサコは隣りに立つ兎の顔を凝視した。ティンデルモンバは鼻をひくひくとひくつかせ、その目は何処を見ているのか分かり辛い。少しはこの兎の従者に慣れてきていたアサコだったが、得体の知れない雰囲気が漂った時、やはり不気味さを感じてしまう。

「ででるって、なにがですか?」

 アサコは度盛りながら、先ほど自分が言った癖にそう訊いた。ティンデルモンバはそんなアサコの方に、顔を向けて首を傾げる。

「今あなたが言われたばかりではないですか。幽霊ですよ。この場所では特によく目撃されています。私も何度か見かけました」

 その言葉を聞いてアサコはぶるっと身震いし、自らの体を抱くような格好で腕を擦った。

 一体この場所の何が、自分自身と関係があるのか見当もつかないアサコは、きょろきょろと視線を彷徨わせる。話しを聞いたあとではこの場所は益々不気味で、石像の陰からでもひょいと何かが出てきそうに思えた。

 そんな想像をしてしまい、ふと影の存在を思い出したアサコは再び身震いする。

「害はないので誰も気にしてはいませんが」

 ティンデルモンバはそう付け足す。そんなことを言われても一度気にしだしたら、アサコはそれを止めることはできなかった。

「なんなんですか、ここ」

「元々見事な庭だったのですが、温室が出来てからはこちらの方は放置状態になってしまったんです。それにしてもアサコ様、こんな場所に何か御用ですか?」

「はあ……」

 なんと答えたらいいのか分からずに、アサコはため息のような返事をした。行ってみればいいとは言われたが、よく考えれば何をすればいいのかは分からない。

 そもそもディルディーエは、どうしてこんな場所に行くようにと言ったのだろうか。

 アサコからの答えは元々期待していなかったのか、兎の従者は髭を一瞬ぴくつかせ、きょろきょろと視線を彷徨わせた。

「それにしても、本当に此処は以前の見る影もないほどになりました。姫君がまだ城におられた頃、この場所は姫と王子のお気に入りの場所だったのですよ」

 ティンデルモンバは近くにあった兎の石像を撫でる。その様はやけに滑稽でけれど哀しげに見えて、アサコはなんとなく目を逸らした。同時に感じた少しの不気味さも気にしないようにしながら、もう一度辺りを見渡した。

「よくお二人のお姿を見掛けたものです」

 上の空だったアサコは、その言葉の矛盾にも気づかずに、へえ、と相槌を打つ。王子と姫、二人が仲睦まじくこの場所でいる姿を想像することは、アサコにとって簡単なことだった。夢の中で見た若い恋人同士の姿は、アサコの記憶の片隅に根付いている。

 少年が持った花の蜜を少女が舐め取る。少年はその甘さを追う様に、何度も少女に口付ける。そして、花の蜜にはほんの少しの毒が混ざっていた。

 はっとして、アサコは確認する様に周囲の木々を見渡す。

「ここ、もしかして」

 この場所こそが、アサコが夢を見た、少女と少年が逢瀬を重ねた庭なのではないだろうかとアサコは気づく。けれどそのすぐあとに、もしそうだとしてもそれと自分は関係のないことに気付き、肩を落とした。関係あるかもしれないのは、歪みの城に閉じ篭ってからの姫なのだ。

 アサコの様子を見ていたティンデルモンバは、首を傾げてみせた。

「どうなされたのですか? アサコ様。この場所が……」

 言い終わらぬうちに、長い耳をぴんっと立てた兎の従者は、すぐ近くに聳え立つ温室をまんまるな目で見つめた。

「すみません、アサコ様。王子に呼ばれましたので、少々お待ち頂けますか?」

「いや、わたし先に戻ってますよ」

「いえ、アサコ様は此処に居て下さい。けしてこの場所からは動かれぬようお願い致します。この場所なら安全ですので」

 そういい残して、ティンデルモンバはアサコの答えも待たずにすたすたと早足で去ってしまった。

 残されたアサコは呆然とその後ろ姿を眺めたあと、また周囲を見渡す。人気のないそこは、とても安全な場所には見えない。もし襲われてしまっても、助けも呼べないだろう。そうは思ったが、ティンデルモンバの言葉が気になって、アサコはその場から動けなかった。ティンデルモンバは、この場所なら安全、と言ったのだ。逆を言えば、他の場所は危険だということになる。

 一人で戻るか、ティンデルモンバの言葉を信じてこの場でじっとしているか。アサコがもやもやと葛藤している時だった。いつ現れたのか、大きな兎の石像の横で小さな女の子がしゃがみこんでじっとアサコの方を見つめていたのだ。その少女とばっちりと目が合ったアサコは、体を震わせ、悲鳴を呑み込んだ。対照的に、大きな目をした少女はアサコと目が合うと、ぱちぱちと瞬きをした。その幼い仕草に、アサコのなかで瞬時に湧いた恐怖心も薄れていった。

「どうしたの? こんな場所で」

 アサコが身を屈めて尋ねると、少女は不思議そうに首を傾げた。その動きで、言葉が通じていないことを悟ったアサコは、バツが悪そうに顔を顰める。最近は言葉が通じる人が増えてきたから、つい普通に聞いてしまったが、少女は言葉の通じない人間に戸惑っているようだった。けれど、そこから立ち去る様子もなく、じっとその目はアサコを捉えたままだ。

 少女の目は美しい深緑色だった。波打つ髪は、濡れた様な黒だ。

 その容姿にアサコはラカの姿を思い出したが、ラカと少女では目の色が全然違う。それだけで印象も大分違うものとなっていたが、よく見れば顔の造形はやはり少し似ていた。

 少女はふいに何かを思い出したように目を見開き、楽しそうにくすくすと笑った。その様子にアサコもつられてへらっと笑う。けれど、次の瞬間にアサコは目を大きくした。

 少女は見せ付けるように、小さな白い鹿を掲げたのだ。

 いつの間にか落としてしまっていたらしい。アサコは少女がアサコの落し物を渡してくれるためにいたのかもしれない、と思い、微笑んで手を差し出した。

 けれど少女は、楽しそうにくすくすと笑いながら、鹿を両手で包み込み隠してしまう。そしてひらりと身を翻すと、走り去ってしまった。

 暫く呆然とその様子を眺めていたアサコだったが、はっとなり走り出した頃には、少女の後姿は木々の間に隠れかけていた。

 少女は小さな体をしている癖に、走るのは速かった。アサコが一生懸命追いかけても、なかなか追いつくことができなかった。それに太くその地に根付く木々のむき出しになった根っこに、何度もアサコは躓きかけてしまい、それが益々少女とアサコの間を縮めない理由となった。アサコに比べて少女の方は、ひらりひらりと、身軽な動きで走るのだ。

「待って! 返して!」

 息を切らしながら叫ぶように言っても、返ってくるのは愛らしい笑い声だけだった。


「……どうしよう」

 アサコは疲れ混じりに呟いた。

 少女のあとを追うまではよかったが、暫くして少女を見失ってしまった上に、道に迷ってしまったのだ。

 そこは大きな森の様な場所だった。塀を越えた訳ではないから、城の敷地からは出ていないのだろう。広い庭もここまで広大なのは困りものだ。アサコは深くため息を吐くときょろきょろと辺りを見渡す。建物も何も見えない。高い城さえも見えないということは、かなり遠くまで来てしまったのだろう。

 それにしても、此処は本当に庭の中なのだろうかと疑ってしまう。どう見ても森にしか見えないのだ。それでも、城の庭の中ならば真っ直ぐに歩いていれば、必ずどこかに出るか城壁にぶつかるはずだ。そう考え、アサコは少女の姿を探すことを諦めて、とぼとぼと歩いた。暫く走ったからか、体が酷く重い。

 時々吹く風が揺らす、木々のさざめき以外の音は何も聞こえなかった。どれだけ歩いても、あるのは周囲を囲む木々だけだった。時計などは持っていなかったから、正確な時間は分からなかったが、空を見上げてアサコは途方に暮れる。日は傾きかけている。いくらなんでもおかしいことに、アサコは気付き始めていた。

 建物も全然見えないし、人を一人も見かけない。騎士達の訓練する掛け声さえも全く聞こえてこない。

「なんで……」

 とうとう立ち止まると、アサコは一人呟いた。

「馬鹿ねえ」

 不意に後ろから聞こえてきた、澄んだ、けれどよく通る声は、今ではアサコにとって聞き慣れた声だった。

 誰もいないと思っていたのに、急に響いた声に驚いたアサコは、振り向き声の方向に目を凝らした。

 その声の主は、先ほど白い鹿を持って逃げ去ってしまった小さな少女だった。

「アサコは、本当に馬鹿だわ」

 流暢に少女は言う。無邪気な表情には不釣合いな、大人びた喋り方だった。

 唖然と少女を見つめていたアサコは、目の前まで音もなくやってきたその娘に不気味さを感じて後ずさった。爪先でついっと背伸びをした少女は、アサコの耳元で囁く。

「本当にすっかり忘れてしまったのね」

 少女の名前を呼ぼうとして、アサコは口を動かしたが、声は出なかった。

 少女は耳元でまたくすくすと笑う。

「だったら、私が教えてあげるわ。可哀想な、私のお人形さん」

 お人形さん。

 その言葉にぞっとしたアサコは、反射的に少女を突き飛ばしていた。少女はふらふらと数歩後ずさったが、その顔には変わらず無邪気な笑顔を浮かべている。

「私があなたをあの城へ招き入れた時、あなたは私が何もしなくても絶望しきっていた。何故だか知ってる?」

 今度は哀れみの混じった声で、優しくあやす様に言う。

 アサコは耳を塞ぐと、全てを遮断するようにぎゅっと目を瞑った。

「あなたはいつも、そればっかり」

 静かな声に、アサコは顔を上げた。耳を塞いでも、声を塞ぎきれないことは知っている。それでも、少しでも聞かないようにといつも耳を塞いでいた。

 いつも、だ。

 今も耳を塞いでいる。

 目を見開いたアサコの頬を、細い指がそっと撫でる。冷たい余韻を残して、指は離れた。

「私が、どんな酷い目にあってきたかをあなたは知ってる」

 愛らしく首を傾げながら、少女は寂しそうに笑う。

 そうだ知っている、とアサコは思い出す。何度も突きつけられた絶望の正体をアサコはじわじわと思い出していた。それは、ゆっくりと傷口を広げられるような痛みを伴う。自分自身の痛みではないのに、アサコは痛みで顔を歪めた。

 少女は小さな時に、同年代の幼い王子と婚姻を結んだ。そのために、少女はまだ恋心も知らないような幼い頃から、この城に迎え入れられたのだ。

 少女と王子はお互い幼い子供同士で、すぐに親友のように仲良くなった。そして年頃になると、当然の様に惹かれあった。少女は本当に、心の底から王子のことが大好きだった。裏切ったのは、王子の方だ。

 少女は悲しみだけで城に閉じ篭ったわけではない。逃げる為に、あの小さな城に閉じ篭ったのだ。大きな呪いを残して。

「私は王子を許さない。あなたは、私の為に仕返しをしてくれるでしょう?」

 そう言った少女の姿は、いつの間にか成長したラカの姿に変わっていた。ぴったりと合った目線を外すことができなくて、アサコは猫の様に金色に輝く目を見つめた。金色の瞳は、狂気を帯びている。ラカを狂気の淵へじわじわと追いやったのは、王子と王だ。

 アサコは殆ど無意識に頷いていた。





     *




「遅いよ、ティンデルモンバ。どこにいたの?」

 言い方のわりには、ロヴィアの表情は酷く眠そうだった。言い終わったあとに、欠伸をかみ殺す仕草をする。その様子を見たティンデルモンバは、お辞儀の格好で密かに苦笑した。

「ロヴィア王子、お昼寝のお時間ではないのですか?」

「そんなことより、ティンデルモンバ。あの娘はどこにいるの?」

 ロヴィアは強い口調で言う。人を従わせる者の口調だ。気の弱そうな顔をしているが、当然の様に人を付き従わせる。

 けれどティンデルモンバには答える様子はなく、首を傾げてみせた。

「あの娘とは……?」

「兄様が歪みの城から連れ帰った、黒髪の魔女だよ」

 兎の従者の惚けた様子に少し苛立ったのか、先ほどの寝ぼけた声とは違い、尖った声で言う。

 ティンデルモンバは、小さな王子が抱えている大きな鉢にちらりと目をやる。大輪の花は、昨日とは違い黒く染まっていた。禍々しい色合いなのに、それは妙に魅力的で人目を惹く。

「アサコ様、ですね。王子。あの方はイーヴェ王子の花嫁ですよ。その方に何か御用で?」

 従者はいつもとは違い少し厳しい口調で言い放った。少年王子はその声色に口を噤む。ティンデルモンバは、彼が産まれるずっと前からこの城にいて、実のところまだまだ幼い少年王子である彼よりも、強い発言権を持っている。従者としての役割をけして忘れはしないから、滅多に強い意見を言うことはないが、たまに言われてしまえば、ロヴィアは歯向かうこともできない。

「……兄様が殺さずに連れ帰ったと言うから、もしかすると本当は殺した姫の替え玉かとも思ったけれど、兄様の呪いは解けていない様だし、何よりあの長い黒髪は話しに聞いていたそのままだ」

 ロヴィアは怒りを押し込めたように言う。

「王子様、不穏な発言はされぬように。あの方はあくまで、イーヴェ王子の花嫁なのです」

「けれど、僕らの仇でもある。僕はたとえ、兄様が本気であの娘を花嫁に迎えたとしても、あの娘を姉とは思わない」

 憎しみの篭った眼差しで言われたその言葉は、強かった。アサコとこの王子が出会った時、その憎悪をよく抑えられたものだと、ティンデルモンバは内心感心する。まだ幼いとはいえ、この王子も他の王子と同じく、歪みの城の姫君を殺して、長く続く呪いから解き放たれたいと願っている。そして、その呪いをかけた魔女である姫君を深く憎んでいるのだ。その憎しみは代々受け継がれてきたものだった。親から伝染する深い憎悪は、姫君の呪いが解けない限り半永久的に続くことだろう。

 それと同時に、その呪いは姫君の憎悪でもある。

「僕は、呪いの行方を知ってるんだよ、ティンデルモンバ」

 ロヴィアは瞳に憎悪の念を残したまま、静かに言う。眉は気弱そうに眉尻に向かって下がっているのに、その表情には強い意志を感じる。

 ティンデルモンバは長い耳を一瞬、ぴくりと動かした。

「他の兄弟も誰も知らないだろうけど、僕は知ってる。君も、呪いをかけられて、魔女を憎んでいるはずだ」

 静かに響く王子の言葉に耳を傾けていた兎の従者は、白い毛皮で包まれた顔を笑みの形に歪めた。







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