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痲蔓の森の少女  作者: はんどろん
三章 忘れものの庭
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「わたし、ラカなんて子知りません」

 アサコは咄嗟にそう言っていた。嘘ではなかった。名前を思い出せはしたが、それ以外のことはなにひとつ分からない。そんなことよりも、イーヴェの言葉に驚いていたアサコは目の前にある美しい青年の顔を凝視した。

 殺す、とたった今そう言ったのだ。

「そんな筈はないよ。君は、ラカを知っている。ラカは君の傍にいるんだろう?」

 イーヴェは言うと強くアサコの肩を掴んだ。優しそうに微笑んでいた目は一変、冷たい光りを宿す。アサコは思わず身を竦ませる。そんな目を向けられたことは今までなかった。その視線から逃れようと身を捩るが、手すりとその体に挟まれて動けない。強く掴まれた肩が、じわじわと痛む。

「……本当に、知らないんです。それに、どうしてころす、なんて」

 掠れた声でなんとかそう言うと、返ってきたのはため息だった。

「いずれ嫌でも知ることになるよ。君は、殆どの人間に歪みの城の姫君と思われているからね。自分の命の心配でもしておいた方がいい」

「えっ?」

 今までの生活から到底現実離れしたことを言われて、アサコは恐怖を感じるよりもぽかんと間抜けな顔をした。先ほどからイーヴェの言葉は唐突過ぎて頭がついていけない。それに、今まで知らんふりを決め込んでいたのに、どうして今喋る気になったのだろうか。

「その位にしておきなさい」

 落ち着いた子供の声がして、二人が視線を上げると手すりの上に青い鳥がとまった。それは瞬く間に人間の姿へと変化する。子供は、呆れたようにため息を吐くと手すりからふわりと下りた。

 イーヴェはディルディーエの訪れに肩を竦めると、おどけた笑いを浮かべた。

「からかいが過ぎましたか?」

 ディルディーエはその言葉に片眉をぴくりと動かしたが、何も言わずにアサコに手を差し伸べた。殆ど無意識にアサコはその手に自分の手を重ねる。ディルディーエの手はひんやりと冷たく細かったが、引く力は予想以上に強くアサコを簡単に立ち上がらせた。顔に掛かった前髪が邪魔で、アサコはゆっくりとその髪を退ける。頭の中はめまぐるしい状況に混乱していたが、その動きは冷静に見えた。

「あの、説明してくれませんか? なにがなんだかさっぱりで……」

 くしゃくしゃになってしまった髪を手櫛で整えながら言うと、付けていた花が落ちそうになり髪が引っ張られた。痛みで慌ててそれを取る。花びらを数枚散らしてしまった青い花は、少し惨めに見えた。

 立ち上がる時に助けてくれた手を離すのがなんとなく心細くて、アサコはディルディーエの手を握っていたが、ディルディーエはそれを拒もうとはしなかった。

「まあ、隠すことでもないしね。いいよ」

 そう言ったイーヴェの表情に先ほどの冷たさは見当たらなくて、アサコはほっとした。口調も穏やかなものに戻っている。けれどそれと同時に、アサコは警戒心を強めた。この男は全く何を考えているのか分からないのだ。

 隣りを見ると、ディルディーエはもう口出しするつもりはないのか、表情のない顔でイーヴェを見ていた。

「至極単純な話しだよ。歪みの城に引き篭もった魔女が、この国と王子の血筋に呪いをかけた。それを解く為に、俺たちはその魔女を消したいんだ」

 聞きながら御伽噺のようだとぼんやりとアサコは思ったけれど、以前聞いた話しとの違いに少ししてから気づき、顔を眉を寄せた。

「魔女って……?」

「ラカのことだよ。おちびさん。いつの間にか可愛らしい物語にされてそれが信じられているけれど、俺たちはずっと姫君、ラカを殺す機会を狙ってた」

「おれたちって、ディルディーエも?」

 アサコが隣りに黙って立っている少女を見下ろすと、少女は静かに首を振った。

「私は違うよ、アサコ。魔女の命を狙っていたのは、この国の王子たちだ。悪いことに、その王子たちはお前が魔女だと思っている」

「えっ……じゃあ、命の心配って……」

 青ざめながら言うと、イーヴェはにこやかな顔で言った。

「その花はね、昔王子が姫君に送ったものなんだ。だから、それは姫君の証だよ」

 毎日付けられている花飾りにはその様な意味があったことを知ると、アサコは思わず手に持っていた花を投げ捨てた。とんだ目印だ。人違いでもし命が奪われてしまったら、一体どうしてくれるのだろうか。優しそうな顔をして、とんでもない男だ。睨み付けるようにして見ても、イーヴェは気にした様子もなく、たった今アサコが投げ捨てた花を拾った。

「いつからか、呪いをかけられたものの間でも変な話しが信じられるようになってね。……みんなラカを殺した者こそが呪いから逃れられると思ってる。けど、表立って命を狙うことはないから安心して。君は一応俺の花嫁としてこの城にやってきたんだから」

 言いながらアサコの髪に花を戻す。

「表立ってって……裏ではあるってことですよね」

「あるかもね」

 平然と言ってのけられて、アサコは目を円くした。女性関係と、犬と思われていることでもともと印象はあまりよくなかったが、この時にアサコの中でのイーヴェの位置は底辺まで落ちた。流石にこんな人でなしだとは考えもしなかった。むしろ少し問題はあっても、多分良い人だとさえ思っていたのだ。

「わたし、死にたくないんですけど」

 憮然としてアサコが言うと、イーヴェはおもしろそうに笑った。

「君が俺の花嫁である限りは、守ってあげるよ。彼もだ」

「……え?」

 アサコは自分と手を合わせたままでいる子供を見たあと、イーヴェの顔を伺うように見た。それを何度か繰り返し、眉を顰めていると、ディルディーエが呆れたようにため息を吐いた。

「お前は何か勘違いしているようだけれど、私は男だよ」

 ぎょっとしてぱっと手を開いたアサコはディルディーエを凝視する。その愛らしさとおかっぱの髪で、少女だと思い込んでいたが、確かに声は少年の声に聞こえるかもしれない。見た目も男の子だと言われれば男の子に見える。

「そんな……ごめんなさい」

 アサコは自分が殺されるかもしれないという話しを聞いた時よりも、衝撃を顕わにした表情で呟くように言った。

 性別を勘違いするなんて、口にはしていなかったけれど伝わっていたなら悪いことをしてしまった。

「いや、いいよ。子供の頃はよく間違われていたからね。慣れている」

 子供の姿をしている癖に、そんなことを言うディルディーエの姿は滑稽なのだけれど、アサコにはもうそれが普通に見えていた。いいよと言われたのに、ディルディーエが男の子だったという衝撃も相まって、一人しょぼくれてしまう。

 斜め前で一人笑うイーヴェを憎憎しく感じた。





     *





 穀物の茎や穂で作られた箒に残る実を、やってきた小鳥が突いていた。温室の硝子壁に立てかけられたその箒は、庭師の忘れ物だ。

 しゃがみこんでぼんやりとその様子を見守っていたアサコは、はっと顔を上げた鳥に釣られるように顔を上げる。少し離れた場所で居たティンデルモンバが、近づいてきたのだ。鳥は飛んで逃げていってしまった。

「アサコ様、そろそろお部屋へ戻りましょう」

 兎の従者は、心配そうな声で言ったが、表情があってないようなその顔では、真意は掴めない。

 ティンデルモンバは、アサコが落ち込んでいると思っていたが、アサコ自身特に何にも思っていなかった。ただイーヴェには苛々としていたが、命を狙われる可能性についてはなかなか現実感が湧かないのだ。

 もやもやとした頭をすっきりさせる為に外に出てぼんやりとしているうちに、空全体に薄く張った雲は、赤く染まっていた。

「それにしても、ディルディーエが男の子だったなんて……」

 アサコにとって、とにかくそれが一番の衝撃的な事実だった。最初の思い込みは心の中に根付いてしまっている。性別が違うと告げられてからも、アサコの目にはディルディーエが少女に映っていた。だからと言ってなにか都合が悪いという訳ではないけれど。

「ディルディーエ様は昔、それは立派な男性でしたよ」

「はあ……」

 そもそもそれがアサコには理解できないのだ。今まで聞き流すようにはしていたが、大人が子供に戻るなんて。それも、みんな当然のように、子供が大人に成長したように言う。

 温室から部屋に帰るまでの道のり、後ろから付いて来るティンデルモンバの気配を感じながらとぼとぼと歩いた。途中すれ違った召使いや騎士見習いたちは、当たり前のようにお辞儀をしてくるから、アサコもその度に慌ててお辞儀を仕返したけれど、その度に相手の顔には困惑の表情が浮かんだ。

 髪に付けられた花は外していない。それは目印であるとともに、アサコを守るものだと、イーヴェは言ったのだ。思うように転がされているような気分になったアサコは、何度もその花を捨ててしまおうと思ったが、殺されることを思ったら全然マシだと付けたままでいる。

 屋内に入ると、丁字路を横切るイーヴェを見つけた。イーヴェはアサコたちには気づいていないのか、連れて歩く二人の男たちと珍しく真剣な顔で何かを言っている。

 アサコは自分が怒っていたことも忘れて、その様子を眺めた。それから、自分の姿を見下ろす。今日は花飾りと同じ色の服だ。制服はまだ返してもらっていない。制服のポケットに入っていたという鹿を返してもらっただけだ。小さな白い鹿は、アサコ自身どうしてかは分からないが、大切なもののような気がしていつも肌身離さず持っている。

「現実味が、ない」

 ぽつりとアサコは呟いた。此処へきてもう半月ほどが経とうとしているのに、頭の中にはまだ靄が掛かっているような、すっきりしているような変な気分だ。真っ白と言ってもいいのかもしれない。

 廊下に響く足跡が近づいてきて顔を上げると、数歩前までイーヴェがやって来ていた。目が合うと微笑まれる。

「どうしたの? こんなところで」

 暗に部屋を出ていたことを責められているような気がして、アサコはぷいと顔を逸らした。

 命を狙われているかもしれないのに、馬鹿な娘だと思われているかもしれない。ふてくされた気分でそう思う。

「……散歩に出てたんです」

「ふうん。楽しかった?」

 顔は愛想がいいが、声にはどうでもよさそうな気持ちが滲み出ていた。社交辞令だとばかりに聞かれて、アサコはますますむっとする。

 楽しいはずがない。色んなことに頭がついてこなくて、外にいた時間中ずっと呆然とした時間を過ごしてしまったのだ。

「べつに、全然」

「俺が一緒じゃなかったからふてくされているのかな?」

 にこやかに言われたその言葉を聞いて、怒りを通り越してぽかんとしてしまったアサコは、間抜けな顔でイーヴェの顔を見つめた。

 イーヴェの後ろでその様子を見ていた男たちはため息を吐く。

「言葉が通じない方がいいこともあるんですね」

 自然と、そんな言葉が口から零れ落ちていた。








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