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声を捨てた者 

掲載日:2018/04/26

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ん、あれ? 今、呼ばれた、俺?

 ――誰も呼んでいないはず?

 まじかよ、はっきり俺の下の名前を呼んできたと思ったんだがな。でも、追い打ちで呼んでこないところを見ると、聞き間違いか、それとも……。

 おおやだやだ、気味が悪いよなあ。寝言に返事をするとやばいというのは聞いたことがあるが、空耳に返事をすることって、俺たち結構、やっていると思わないか?

 寝言みたいに一発レッドってわけでもなさそうだが、累積ペナルティだったらどうするよ。たまりにたまって、限界を過ぎたらデロデロデロデロデ〜デン、とばかりに、人生が終わっちまうなんてことないよな?

 

 どうなんだ、つぶらや先生。お前、物書きだろ? なんかやばそうなジンクスとかねえのかよ。空耳をめぐったやつ。

 ――ご存じない? 本当かよ? また、とぼけてんじゃないだろうな?

 こういう空耳とかも、俗にいう「虫の知らせ」だと俺は思っている。それに関する話をしてやるから、お前もちゃんと仕事しろよ。文章を書くっていう仕事をよ。

 

 俺の地元は名前を出しても、恐らく大半の人の頭に「?」マークをこびりつける自信があるほど、へんぴなところだ。全国に電話線が通り始めた頃にも、ぷちぷち線が切れちまってな、外部から切り離されて陸の孤島になることがあったのよ。

 電話って、まじで便利な通信手段だと、俺は思う。だが、そいつが存在しない時には、どういう手段に頼ったのか。

 もったいぶらなくても、狼煙のろしとか色々あるわな。だが、うちの地元だともっと不思議な方法を使ったんだ。

 

 俺がまだ幼稚園児くらいだった頃。

 毎日、夜になるとな、遠くから大きな声が聞こえてくるんだ。ああ、さっきの空耳みたいに名前を呼ばれるわけじゃないぞ。かといって、演劇部の発声練習とも違う。

 ただひたすらに、「ア〜」とか「オ〜」とか母音で伸ばし続ける時はまだいい方で、ひどい時には、鳥や獣じみた雄たけびが聞こえてくる時がある。

 初めて聞いた時、俺はもうびびりまくって、せっかく一人で眠り始めたのに、親の寝ている部屋に避難しちまったくらいだ。そこでお袋から、あれは全部、人間が絞り出している音だと教えられたんだ。

 信じられなかった。中には犬の遠吠えを思わせる声さえ入っているのに、あれさえも人間の喉が出しているなんて。俺が素直にそのことを伝えると、お袋はちょっとだけ顔をしかめながら言った。


「その感想、間違えていないわね。ああやって、ある意味では人間をやめようとしているのだから」


 わけがわからなかったけど、尋常ではないことだということは分かった。その日の俺は、「もう話を聞きたくない」って、お袋と一緒の布団の中に潜り込んだっけな。まだまだ甘えたい盛りでもあったさ。


 それから数日後。俺があまり声のことを思い出さないように努めていた時のこと。

 幼稚園の室内で、俺たちのクラスはお遊戯会の練習をしていたんだが、不意に教室の時計が落ちた。幸い、真下には誰もいなかったし、時計も表面のガラスにひびが入っただけで、けがをした人はいなかった。

 だが、それだけじゃない。お遊戯会に向けて作り、教室の天井近くにつけてあった折り紙の輪っか飾り。その端っこがひとりでに外れたんだ。誰も触っていないし、窓も閉め切って風も入らないようにしていたのに。

 偶然で片づけるには、タイミングが合い過ぎている。怖がる子も出てきて、実際、俺もトイレに行きたいと先生に申し出た口だ。


 うちの幼稚園はいくつかの校舎に分かれていて、トイレはそのうちの一つに寄り添うようにつけられている。他には存在しないという、やや不便なつくり。別の校舎からだと渡り廊下を伝っていかねばならない。男女兼用になっていて、男も女もそこを使う必要があったっけ。

 そのトイレの入り口で。俺は中から出てきた背の高い女の人と、ぶつかりそうになった。

 ウェーブをかけた、長い黒髪を垂らしている。でも、格好も髪の色と同じ黒いカッパを羽織っていて、すごい不気味だったな。その日、雨なんて降っていないのに。

 俺は「すいません」と反射的に頭を下げたけど、その人は俺の目前で止まったまま動かない。ふっと顔を上げると、その人が唇を動かした。「ごめんね」と。


 声が出ていなかった。でも、口パクじゃない。出ている息が音を成していない、と言えばいいか。

 風邪で完全に喉をやられて、かすれた声を絞り出そうとしている時の、何倍も小さい音で俺に謝罪すると、女の人はさっと園外へ消えていったよ。

 冗談抜きで、俺はかすかにしょんべんをちびった。終始、真顔のままで声だけでないなんて人、初めて見たから怖くなっちまったんだ。

 家に帰っても、あの女の人のことは、お袋たちには話せなかったな。なんか、話したらあの人がひょいと、どっからか現れそうな気がしていたから。

 後から聞いたところ、幼稚園の先生のお母さんが亡くなられたのは、その日のことだったそうだ。

 

 小学校に上がっても、俺はあの女の人が忘れられずにいた。当然、会いたくない意味でだ。

 家でも学校でも登下校中でも、どこかに居やしないかと、はらはらしていたよ。もし出くわしたらロクなことにならない、とね。

 起きている時間が長くなれば、それだけ出会う確率が高くなる。次第に布団から出る時間がギリギリになり、俺はお袋に急かされることも多かったよ。その日も、慌ただしく食事をして、外に飛び出す予定だったんだ。登校班で登校することになっていたから、遅れたら迷惑をかけることになる。

 ところが、その日に限って、俺は無性にトイレへ行きたくなった。しょいかけていたランドセルを玄関に放り出すと、ドタドタと音を鳴らしながらトイレに駆け込んで、便座に腰を下ろしたよ。そしたら、ふっと気が抜けちまったのを覚えている。

 

 お袋の声がする。「大丈夫?」とかなりせっぱつまった調子。

 俺はハッとした。便座に腰かけたまま、意識が飛んでいたらしい。特に何も出していないのに、先ほどの便意はすっかりなくなっている。すぐにトイレを出て無事を伝えたが、十分以上時間が過ぎていた。

 トイレで二度寝とか初めてだ。「こんなに遅れていたら、登校班のみんなはもう出発してんよ〜」と漏らしながら、いつもの集合場所に向かったけど、ほど近い道路に人だかりが出来ている。やがて遠くから救急車の音。

 野次馬の話が耳に入って来た。ちょうどガードレールの切れ目に、ワゴン車が突っ込んできて登校中の生徒を、何人もはねてしまったらしい。登校班で固まっていたのが、あだになったんだ。

 その日の学校で朝会が開かれ、校長先生が挙げた名前の中には、俺の登校班だったメンバーが、ことごとく入っていた。

 もし、あの時トイレで気を失わなかったら……。クラスのみんなに続いて、教室に戻る途中、ふと昇降口を見て鳥肌がたった。

 いつぞや見た女の人。その人が腰を下ろして、靴を履いているところだったのだから。

 

 決心がついた。俺はお袋に例の女の人のことを打ち明けたんだ。もしかして、「あれ」は死神なのか、と。

 お袋は「そっか、出会っちゃったか」と頭をかいたけど、やがて当たらずとも遠からずだと答えた。彼女らは「虫の知らせ」を伝える者だという。


 この地域に古代から続く巫女さんの家系。それに、虫の知らせを担当する者たちがいるんだ。彼女たちのいるところには、何かしらの兆しが表れる。たいていが悪い知らせで、それを他者に伝えるのだという。声や文字以外で。

 彼女らは声なき声を伝えるもの。その喉は、自分の声を出せないようにしなければいけない。他のものからの声を、出せなくなってしまうから。

 彼女ら自身も、兆しによって何が起こるかは分からないらしい。ただ、虫の知らせを届けるだけのメッセンジャーなのだとか。そして、気づくことができない人については、どうしようもないんだと。

 あの日。俺が聞いた声の正体は、彼女らがめいっぱい自分の声を潰そうとする、仕事の準備なのだという。そして、彼女らは定期的にこの地域を練り歩き、ときどきに応じた兆候をみんなに伝える役目、今も続けているのだとさ。

 

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