あの日のやり直しを願う
あの日のやり直しを願う
膨大な時間の中で、感情は変わっていく。
小学生を卒業するまでは女の子と遊ぶなんて、女々しいなんて贔屓じみたことさえ考えていた。
気づけば、女の子の考えが知りたくて、そのようなことばかり考えていた時期もあった。
昔は平気だったことが、今はできなかったり、男ばっかと吊るんでいたことが、実はマイナスだったって考えるぐらい、恋愛ということに興味をもつことだってあった。
親の愛情がわからなくって、いつも一人で生きていると考えていた。
だけど、友達と呼べる仲間ができて、同じ大学に行かないかと言われたとき、尋常じゃなく嬉しかった。
感情や理性、気持ちってのは本当に適当なもんだ。嫌いと思って考えていたら、この人のことで頭が一杯になって、気づいたらこれが好きだーって感情に似たような性質を持ってくる。
幼き自分はずっと、自分のことを誇示なく廻る彼女に然り気無く煩く、に思っていた反面、家族のような存在だった。
この感情を誰にもバレないように、過ごしていた。
ただ、それだけのこと。
じゃあ、今どう思っている?
安易に愛を語るのが大人ではない。
そうやって、また彼女から逃げるんだ。
私はいくつになっても子供だ。
居間には、一華が平然と体育座りでロココ風の椅子に身体を埋めている。
洋館の本の湿ったような匂い。それは雨の降ったあとに土が出すあの匂いに似ている。
片手には本が掲げられてはいたが、何かを待っているように見えた。
でも、もし何かを待っていたとしたら、彼女は何を待っているのだろうか。
この誰もいなくなった村の唯一の洋館で、過ぎていく日々の中をこの古書の硯を眺めながら、永遠と続く時間を忘れるように。
明日変えることには抵抗はなかった。
だけど、一華にどのように伝えるべきだろうか。
あの日と同じことを繰り返している。
彼女の別れが頭を繰り返す。
今の私には、一華という存在の生死など関係なかった。
この場にいる彼女への、意思表示こそが、過去のトラウマを撫ぜるような、決して気が安らぐ状況ではない。
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「悲しい顔をしないで。」
いつの間にか本を閉じていた一華の目は上目ながら真っすぐに自分へと向けられている。
その言葉の意味が分からない。
心を読まれているのか、それとも、そこまで悲しみに呑まれた顔をしていただろうか?確かに、彼女が生きている現実が認めがたく、思考を抑え込むのに苦しい顔をしていたかもしれない。
しかし、今彼女の前へ来たのは違う目的であった。
一華にプレゼントしたいものがあるんだ。
というと、彼女は無邪気そうに嬉しそうな顔を見せ、両手を胸の前へ畳んだ。
「急にどうしたの?」
ロココの椅子に埋まった小柄な彼女へと近づくと、片手に持った何かを彼女の前へやる。金属が手に涎て、彼女の前で揺れる。
それは、保母の形見であるロザリアであった。
「歩生ちゃん、このネックレスの、、これを渡す意味がわかっている?」
驚いたような、困ってしまった彼女は、今までに見たことのないほど歪んだ顔を見せる。
「本当は受け取れないよ。おばあちゃんが、これを毎日首からかけていた理由はしってる?」
「このネックレスは無くなった礼子さん、歩生ちゃんの祖父からの贈り物なの。ロザリアは本来、御祈りをするときにつけるもだけど、いつも首からかけていたのはね。大事な人からもらった物だからって、首からかけていつでも一緒にいられるようにって。」
「おばあちゃんは、きっとたけちゃんのお嫁さんにわたしてほしいって思うんだよ。私は、ダメなんだよ。」
苦し紛れに訴える一華は、感情を抑えるように、言葉を発した。
そう言われると分かっていて、次の言葉は考えていた。
あの日を変えるための一言を。
『明日一日だけ、俺に時間をくれないか?』
とぼけて返事を待っている一華に続けて言葉を返す。
ルチアは覚えているか分からないけど、俺はあの日約束を破ってしまったんだ。
その約束を、今守らせて欲しいんだ。
じゃないと、俺、いつまでもあの日のことを引きずると思う。
それが、彼女への報いであった。何かを諦めたように両目を閉じた彼女は、ふっとため息をつき「わかったよ。」と自分への返事を返してくれた。
@
じゃあ、電燈を消すよ。
「死んだ友人のために、明日の日のためのお祈りを捧げたい。」
手元にある に入った蝋燭の火を付けた。
電燈の消すと一華が胸元へと入り込む。
「明日はきっと、みんなが報われればいいね。
おばあちゃんも亡くなったみんなも、報われるような明日が、いつか来るよ。」
一華はゆっくり私の甲に手を添えると、蝋燭を中心に滴る血で何かの円陣を描いていく。
興奮を抑えように一華の体温が衣服を通り過ぎて感じられる。
この儀式を祖母から聞いたことがあるがあった。
契約の儀式。
そう、彼女も知っているはずの儀式だ。
私が祖母からこの術を教わっていることは知らないのだろうか。
血と血を交して、我らはひとつになりけよ。
時は、君と僕を許し、永遠と続くこの道を歩みたまえ。
「やっちゃったね」
「何が?」
何を言われても、惚けるほかなかった。
彼女が、死者への祈りというのであれば、それはそうなのだ。
なんでもないよという返事には、笑みが零れる。
「知らなくていい。たけしはそのほうが幸せだから。」
苦しいほどの寛恕が彼女から、皮膚の体温を伝わって頭の中への感情へと変換されていく。。
分かっていることを、また無視をして、続けることが辛かった。
今までに感じたことのない赤と青のラインが、絡まり始める。
昨日感じた、あの憎悪もなかった。
感じていたが、それは敵意のない感情だとすぐには分かった。
一華の中に残った、この街の記憶がすべて、彼女なんだ。
ずっと、忘れていた。
昔は自身もそうであったように、一華にとってもこの村は生きてきた証なのだ。
「歩生ちゃんは、大人になったら、どうするの?」
自分たちは今からそれを捨てて生きていけるのだろうか
不安がたちのぼる
「歩生は、将来どうしたい?」
という話題に、考えるようにしていると、彼女の口が何度も迸る。
今は、この時間が長く続けばいい。それだけを考えるようにした。