廃村にある洋館、一人の少女
:廃村にある洋館、一人の少女
この手紙が届いたのは高校三年、初夏の初めだった。
死んだはずの祖母の礼子さんから手紙が届いたと聞いた瞬間、心臓がどきっとした。それは寒気に近いものといったほうがいいだろうか。
手紙の内容はこうだ。
『遺言書。二十歳になったら以下のもの 春秋歩生に託す。
ブツソウコにある箪笥からモノを受け取るように』
という内容だった。
そして、十八歳になった今、ある事情から、その形見になるものを受け取ることにした。
それは、祖母の家が都市開発の一環で取り壊されると決まったからだ。
当初は売るように進めた母親の意見に猛反対した。しかし、大学の学費をここから出すという母親の言葉にどうしても逆らうことができなかった。
そのまえに、もう一度幼少期に過ごしたあの家がもう一度観たい。あの家での生活を考えると心が震えるようだった。
なぜなら、あの家は幼少期、母の単身赴任の際、一年間を過ごした思い出の場所だからだ。
「十年かぁ…」
なんとなく、心の中で数えてみる。
十という数字がとても、短くも大きく感じられる。
昭和六十年から平成七年である一九九五年の間に、昭和から平成に変わってしまったというのもそうだが、当時は小学生で、十年経った今は大学二年生。
子供の頃から、ジャーナリストの母は仕事で海外出張で家を空けることが多かった。親の愛が無いとは考えてはいなかったが、随分と寂しい思いを強いられた。
そのせいか、他人に依存しない一方、どういうものが他愛というのか利他の心というのか判断することが分からない性分になってしまっていた。
そんなとき、私は祖母の住んでいたこの村へと預けられた。
この日程が、偶然にも十年前なんだけど。そこで約一年とちょっとの期間、祖母との大田舎暮らしを体験した。
田舎暮らしを全く知らない春秋にとって、森での生活は慣れないことばかしだった。
祖母と一緒に温泉街に行くことも多かったから、この街も久しぶりということになる。
一年後の九月の初めに、海外赴任を終えた母に連れられて、この街から出ていった。
祖母が重症で倒れたのは高校受験の支度を整えている時だった。しかし、受験勉強を気にしてか、お見舞いにも、顔を見せることが無いうちに祖母は亡き人になってしまった。
お葬式も、墓参りもいかなかった。
頭の中で、祖母が死んだということを認めないフィルターがいつまでも続き、気づけば大学1年生にもなっていしまっていた。
今になって、一度くらい祖母の顔を見とけば良かったななんて考えている。
それが、バカげたことと分かっていたが、その感情を考えることが自分にとっての報いでもあり救いだった。
念のため、畑仕事をしている人やよく赴いていた古舗なんかで方向を聞きながら、車を走らせる。
温泉街を抜け、蝉の声が充満する山道を超えていく。
「ずいぶん、走るね。」
と、一緒に乗ってきた家原という同級生が声をかける。
黄色にオレンジのマリファナのハワイアンシャツにレイバンのサングラスがよく似合っているかと言えば嘘になる。彼は高校以来の友人で、こんな服装に似合わず、頭脳明晰、学年1位で高校を卒業している。
一緒にオカルト研究部にいたこともあり、家原にそのことを話すと喜んで着いてきた。
家原は何度も地図を見ては、行き先があっているのか心配そうに、揺れる助手席の隣でマップ ルと書かれた国道の大型辞書を頑なにチェックしている。
「まぁ、道が変わったら、すぐにつくよ。」
「この車、壊れそうな落としているけど大丈夫か?」
「まぁ、Joopだし、大丈夫じゃね?」
祖母の家にたどり着くまでに、ほとんど整理が疎かな林道を入る必要があった。
車がガタガタと悲鳴を上げる。
「そういや、温泉街でお祭りでも、やってんのかな?」
あぁ、そういや、言ってなかったっけ?
ポケットに畳んであった温泉街で配っていたチラシを家原は確認する。毎年この時期になるとちょっと早い盆例の秋祭りが開かれる。
「へぇ。そうなんだ。」
家原はチラシに目を配る。
「叶わぬ思いを題材にしたお話ね。ちょっと面白そうじゃん?」
それは昔から行われているお祭りだった。
この温泉街には言い伝えがある。
それは駆け落ちをした異教徒同士の男女がこの街を救ったという話だ。なんともロマンチックかつふざけた話と思われよう。しかし、ギリシャ神話や北米神話にも似たようなはなしがある。
これまち、この多神教、神道国家の日本で異教徒同士の恋愛なんて語られても困る話であるのは確かである。
この祭りは『縁切り例大祭』と言われ、毎年八月三十一日に上谷神社で行われる。
縁切りなんて、名前はなんて縁起が悪いお祭りなんだと追われるかもしれないが、その理由も例大祭の最後に行われる「上谷演舞」を見れば納得するだろう。
この祭りの最後は、別れがテーマになっている。愛しき人との恵まれれない愛をというのはどこの時代にも似たようなことがあるものだ。
「春秋は、このお祭り、昔は言ったことあるのかよ。」
そういえば。、確か一度だけあった。
記憶が曖昧だ。なんせ十年前の話。
子供の時だったから、射的とか、金魚すくいとか、こういうのしか興味なかったね。
実際、最後に中央の神殿で行われる収めの能までは見たことない。
ボトンッ。。
そのような他愛のない話をしていた。
「うわ。」
大きな陥没とともに突然車が停車し、二人とも手前に大きな重力がかかり身体が前のめりになる。
シートベルトをしていた春秋は、ハンドル手前でどうにか体制を直すことができたが、隣に座っていた家原はというと、シートベルトをしておらず、レイバンのサングラスはぶっ飛び、ガラスにキス寸前でどうにか両手で耐えていた。
「家原、大丈夫か?」
「急ブレーキするならいってくれよ。」
「いや、いきなり車が止まってしまって、この状態だよ。」
「タイヤが何かにはまっちゃったのか?」
「そうみたい。」
家原は身なりと整えながら、ドアに手を伸ばす。
「ちょっと、みてくるわ。」
といって、煙草を一本加えなおし、外に出た。
家原その前輪のほうに回ると、タイヤを見つめながら春秋を呼んだ。
「はまっているぞ。」
車の前輪は見事に泥の削ったような穴にはまり、どうにも苦しそうな状態になっていた。はまった影響でバンカーまで抉れなかったのが、不幸中の幸いだ。
家原に勧められるがまま、煙草を一本受け取り、何やら大きな音のするので山のほうを見上げてみた。
「うわ。なんだこれ。」
思わず声をあげてしまった。
それもそのはず、今まで山の中にいたと思われた林道の山の麓には、山一つ分ともいえる大きな茶色い土の大穴があった。それは、人工的な大穴で、そのまわりには沢山の重機が並び自然の一部の青や緑を奪い去っていた。
「こんなのさっきまでなかったのにな。」
まだ計画は途中でそこまで大袈裟な工事は進んでないと聞いたけど、もう取り返しがつかないぐらいの傷跡を残している。
「そのままじゃ、この村が消えるのも時間の問題だな。」
家原は煙草を加えなおし、暫しの時間地獄にも繋がっているような大穴を睨み付けていた。
ショックを隠すように客観的に削れた大穴をまじまじと見つめたが、穴は今尚拡大していくようだ。バブル当初から日本は大掛かりな工事を何度となく続けてきたと新聞記事では知っていたが、実際に見るとそのスケールの大きさから只ならぬ現実を突き付けられた気分になった。
大穴をいつまでも見ているわけにいかず、動かない車から、手持ちのバックを取り出した。
結局、携帯もつながず、あと百メートルほどの洋館までは歩くことになった。雑踏の道程からも工事跡の埃や明らかに森とは違う灰のような錆びた匂いがやってくる。
しばらく歩くと灰の匂いも消え、自然の青み掛かった光が歩く道に注いだ。
「立派な洋館だね通称、魔女の家って言われてただけあるね?」
これでも、昔俺が住んでいた家だぜ?
すぐとなりには、森の学校って言われていた小中一貫の学校もあるんだ。いや、あったといったほうがいいか。
「もしかして、小学生の時に通ってた学校だとか?」
そうだな。今じゃ、ただの廃墟だけだが、祖父が管理していた学校らしい。
そこに十年前、暮らしていた洋館がある。そして、過去の記憶が鮮明に浮き出てくる。
森の中にひっそりと忍ぶように建てられたこの建物は学びの場でもあり、過去に捨てた故郷でもある。
そんなことを考えながら、この魔女の家への鍵を充てた。
玄関の明かりがつく。電機はまだ通っているのだろう。
たまに親類や母が整理に来ていたのだろう。
八年という歳月立ったと思わぬほど、部屋の中は小キレイ纏まり、埃も少なく見える。とりわけ、懐かしさのあまり涙がでてくると思ったぐらいだ。
嗅覚が刺激される。
すこし、錆びれた木の匂いの中に確かに昔に感じられた香料のような匂いが混じる。
「家原は先に二階に荷物を置いてきてくれ。」
「ちょ、ちょっと、もう勝手だな!!」
家原はしぶしぶ、置いてあったスリッパに足を通す。荷物を置いて、スリッパもはかずに暗闇の廊下に足をいれた。
そうだ。それは一種の使命感だった。
なんとなくだが、自分にはおばあちゃんが死んだことを確認する義務がある気がした。
この家に着いたとき、最初にあの優しかった祖母が死んだことを認めなければならい。
祖母の葬式には赴かなかったことを、今でも気に思っていた。もちろん、墓参りにも言ったことが無い。
心の中で、祖母の死を受け入れられない自分がいる。もしかしたら、家の中に祖母がまだいるのではないか?
おばあちゃんに会いたい。
そう断定しても、相違ないぐらいの気持ちがここにはあった。
すこし、家原には悪いことをしたという気持ちはある。
私の第一歩はここから始めたい。
何も考えなくても、祖母の部屋の前には付くことができた。最後に迷いこそはあったものの、意を決めドアノブに手をかける。
開けた瞬間、体中に風が通るのがわかる。そこは8年ぶりの祖母の部屋のはずだった。
「天蓋が附いている?」
誰もいないはずの祖母の部屋の天蓋が明かりを照らしている。
私は恐る恐る部屋を見当たす。別に変ったものは無い。
曖昧な記憶の中に存在する祖母の部屋の姿が今、私の目の前にある。
十畳ほどの部屋の奥には大きなベランダがあり、そこから祖母が好きだった庭が見渡せる。
その奥へ、一歩一歩。
そこには黒のゴシックなワンピースを着た可愛らしい人形が祖母の愛用だった赤のロココ椅子に体育座りで座っている。
人形?人形ではない。
確かに生きていると言ったら滑稽に聞こえるであろう。
彼女の人形のような愛ぐるしさと、可憐さが漂っていた。
人形のような白く針金のような手には祖母がよく愛読した『グリム神話』の本が掲げられている。
黒のワンピースとは逆に白の肌には卵の殻のような滑らかさを感じる。
「何よ?」
彼女は目も合わさずに、話しかけてきた。
まるで、突然の訪問者には驚かないといった態度である。その言葉をそのまま返してやってもいいが、流石にそれには戸惑った。
少女は誰なんだ。
だから、一呼吸おいて、彼女に問いだ。
「ちょ、、ここは私の祖母の春秋礼子の家ですよね??」
「あれ?」
少女の手が突如止まった
自分の声に聞き覚えがあったのか、驚いた猫のように顔が60度手前に動く。
瞼がこちら向けられ、今までの態度が嘘だったかのように口角が上へと上がる。
「もしかして、、歩生ちゃん?」
え?
それは驚き以外の何物でもなかった。少女は私の名前を知っている。ということは、私と彼女には以前の接点があったことになる。少しの安堵感はあったが、逆にもう一つの謎に包まれる。
その思考を読まれんばかりに
「あぁ、そうですが‥」
そう答えた瞬間だった。
少女の手からグリム神話が欠け落ちていく。
つま先が地面に着いたと思ったら、既に身体はたけしの胸元へと縮まっていた。
「うお!!」
思わず、情けなく驚いた声をあげてしまった。
「歩生ちゃんなんだね?え?嘘でしょ?」
その華奢な手先が自分の依れたシャツに食い込む。少女の目先は上へ下へ、なお上へ下へと何度も往復する。
彼女はいったい誰なんやと思いながら、思い付きの一言を吐いた。
「もしかして、親戚の方ですか?」
脇を絞めて少女はポカンとした顔をして上目遣いに言葉を返す。
「本気で言っているの?」
ちょっと怒った感じに激に落ち込んでいく様子が伺える。
「わかった。一日だけ待ってあげる。それまでに思い出せなかったら…」
片手をぐるっと回し、指をさしながら¨
「悪魔を召喚しちゃいます!!」
ビシッと彼女は決まったといいたげな満面な笑みをする。
よくわからないが、その仕草には覚えがあった。それは、幼き頃にみた一人の女の子が大人になったような姿。
「もしかして、、一華?」
「なによ?覚えているじゃない。」
一華の睫がぴくっと動く。
足取りが軽くベランダへとすすむ。こっちとばかりに手招きをするので、その後ろについて庭の見えるベランダまでついていった。
この場で誰しもがたどり着く謎を彼女に呈してみた。
「え?わたし?
私はここで魔女の見習いをやってるんだ」
「え?」
「だから、魔女見習いよ。」
「誰から教えてもらってるの?」
「独学よ。」
現代こんな人がいると思わなかった。
そんなことを頭に浮かぶ。
一華は身体を翻しブランコがある外を見上げた、桜花爛漫な笑みとはこの顔を言うのだろうか。久しぶりにあったのに、そのようなことを感じさせないくらいの口調もなんだか懐かしい。
姿容はとても子供のころとは、創造のできないぐらいの成長をしていたものの、態度や風貌、輪郭には彼女そのもの。しかし、幼じみた風貌のまま大人になってしまった彼女には どこか身体に合わないぎこちなさがある。
昔の彼女が自分のことを後ろからうろちょろと追い掛け回していたことは想定できない。そして、なにより西洋人のような鼻の長さの割には、日本人特有な幼い丸い可愛らしい顔立ち。
この顔立ちは私の趣向、そのままだった。でも、もう何年待ったのかな。
おばあちゃんが死んで、この森の中の学校が閉鎖されてから、ここはもぅ誰も住んでいないと聞いていた。
彼女はひとりでこの町でいきていたのだろうか?
きみは誰もいない、この場所でひとりでいたのだろうか?
「うん。」
「ずっとこの場所を守りたかったから。」
「私がいなくなったら、誰もこの場所に戻ってこれなくなっちゃうから。」
わざわざこのようなことを聞くのも億劫な気もしたが、その言葉にも笑顔一つ変えずに答えてくれた。
「それで、歩生は何しに来たの?」
彼女との出会いは天蓋の暖かを身体に感じるようだった。
再会を喜ぶ束の間、暫しの時間彼女の声に身を預けた。