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最高の時間と空間と、現実

【1】最高の時間と空間


 Kは丘の上に拓かれた、歴史を感じさせる美しい町にいた。その町外れには地底に広がる迷宮があり、珍しい鉱石を採集することができた。ごく稀に太古の宝を見つけることもある。Kは町の人々に話しを聞き、情報を集め、幻想的な地底の迷宮を探索しに行く準備を今日も進めている。町にはたくさんの人々が行き交っており、知人を見つければ雑談もする。

 迷宮では、日々少しづつ探索範囲を広げている。そこで見つけることができる鉱石や宝を集めて町で売り、それを元手に自分の装備を充実させていく。迷宮の中にはモンスターもいる。それらと戦いながらの探索なので、装備も重要である。私は少しづつ強くなっていく自分に、満足していた。

 

 これは、ネットワークにつながれた、仮想空間での話です。仮想空間の中に、KやKのたくさんの知人がいました。本物のKは、エアコンの効いた部屋にいました。大画面のディスプレイ、そこに映し出される荘厳で神秘的な世界と、3D音響効果システムによる臨場感につつまれながらの時間。Kにとって、悦楽の空間、時間でした。

 だからといって、ゲームに熱中するあまり厭世的で現実の生活はどうでもいい、という事ではないようです。現実は現実の生活があるとして、規則正しい生活を送っていました。仮想空間と現実の、重要度の違いはあるとして。



【2】現実は最高の時間と空間の為の、手段


 Kは日常生活を淡々と、しかし清廉に過ごしていました。

 「私にとって、現実とは手段、苦行、良くて精神修養であるに過ぎないと考えている。現実とは、(ぎょう)である。」 

 Kは、現実を淡々と過ごします。仕事もします。食事もします、飲みもします。しかしそれらは淡々と、あくまで清廉に行い、感情はあるが(感情表現も(ぎょう)の一つである)、常に世間から一歩引いた自己を中心に置いていました。それはそれで、快適な日常生活です。なぜなら「生きる」ということを実践しているからです。シンプルに考え過ぎず、悩むことなく日常生活を進めます。


 そして人類は、生きること以外の「楽しみ」を発明しました。


 Kにとって今のところ、その究極の形が、映像と音楽、効果音が複合的に織り成す世界を自由に飛び回ることができる、仮想空間での冒険でした。

 「私は「生きる」という行をしている人生の中に、仮想空間での冒険を取り入れた。行の中のオアシスである。行という視点に立てば、それは無意味な時間であろう。私にとってみればそれが一時のオアシス、いやむしろ、人生の中の唯一の意味のある時時間、とまで感じるのだ。」

 このような彼の生き方について、共感される諸兄は一部かと思います。「たかがゲーム(仮想空間)に何を」といったところでしょう。ところが彼は、以下のように独白します。


 「自分の行の中に、その中心に趣味を据付けるかどうか、の問題であろう(私は行の中心に趣味を置いている)。或は、行に集中するという選択肢もある。朝起きて、朝食を取り、働き、食事を取り、入浴し、眠りにつく。その間に子供の世話、というのも大きなファクターとなる人もいるであろう。そんな、生きることそのものに集中する。考えればそれは禅の修行僧が行う生活と、そう変わらない。

 つまり私の生き方のそれとの違いは、生きるという行為に直接関係のない、趣味的な要素があるかどうかの違いだけである、とも言える。そう考えると、趣味的なものとは、生きることと直接関係のないものと捉えると、酒、豪華な食事、コーヒー等の嗜好品、スポーツ、旅行、これらも含まれてくる。則ちそれらも、仮想空間のゲームと本質的に変わることはない。

 本当の意味で生きることに集中している、禅の修行僧のような生き方をしている者はそういないだろう。皆多かれ少なかれ、趣味を嗜んでいる。共感を呼ぶかどうか、の違いは多いにあるだろうが。

 人によってそれが、そうだな、旅行であったり、スポーツであったり、カメラであったり、読書であったりする。所謂「趣味」である。そう考えると、私の仮想空間でのゲームも趣味であり、人生の唯一の意味のある時間、などと大げさに言う必要は全くないのかもしれない。単なる趣味だ。」


 人生の中心に趣味を据付けるかどうか、の問題なのかもしれません。Kはたまたま、中心に趣味を置きました。反対に、行に集中するという選択肢もあります。朝起きて、朝食を取り、働き、食事を取り、入浴し、眠りにつきます。そんな、生きることそのものに集中する、人生の過ごし方です。Kが言うように、それは禅の修行僧が行う生活とそう変わらないかもしれません。生きるという行為に直接関係のない、趣味的な要素があるかどうかの違いだけなのかもしれません。

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