橋場英男の場合 36
第三十二節
「いいから受け取って。これはあなたのためもあるけど、あたしのためでもあるの」
「だって…こんな大金…大体借金の返済はどうするんですか?」
「借金?借金取りは行方不明、あたしだって煙みたいにトンずらよ?誰が困るの?」
「…はあ」
「あと…もしも身体が欲しいってんなら幾らでも提供するから」
「ま、待ってください!」
「あら、照れてんの?この能力ってケンカ相手を女にしてヤっちゃう能力だと思ってたけど」
「…違いますよ。あくまでも自衛のためで、性転換はオマケです」
「セーラーも?っていうか何でセーラーなの?セーラー派なのかしら。今時珍しい古風な子ねえ」
「…分かりません。いつの間にかこの能力が備わってて…セーラーになるのは理屈も何も分からないんです」
「制服の卸問屋が出来るわね。あ、でもその都度犠牲者が必要な上いきなり中古かあ。まあいいわ」
改めて橋場を見つめてくるお姉さん。
「とにかくこれは受け取って」
「でも…」
「何度でも言うわ。あなたにはどれだけ感謝してもしきれないの。あなたに生まれて三十年以上女になりたいなりたいと思ってた男の気持ちになれって言っても無理かもしれないけど、とにかくそういうことなのよ。せめてあたしの救世主にどんなことでもしたいの。お金はあっても絶対じゃまにならないから」
「はあ…」
「あたしの感謝の気持ちよ。それこそどうしても気が咎めるなら匿名で寄付してもいいから」
第三十三節
「そして、ここから先は忠告ね」
「…忠告?」
「ええ。あたしにはあなたにしてあげられることは余り無いから、精一杯の気持ちを伝えたいの」
「…お願いします」
「ええ。まず、この能力は基本的に秘密にした方がいいわ」
「その積りです」
「間違っても『性転換請け負います』って看板掲げてお金を取ったりしないように」
「そう…ですね」
それは分かる。周囲にバレてしまえば何かと面倒だ。
「あなたは多分、ちょっと面倒になるくらいに思ってるかもしれないけど、あなたみたいな特殊能力者は、政府も十年くらいすれば目を付けるかもしれないけど、それより前にヤクザな方々が目を付けるわ」
「やくざな…方々?」
「まだ完全に確かめてないけど、あなたの使う性転換能力って内臓から遺伝子まで変えちゃってるでしょ?」
「だと思います」
「お金で完全な性転換が買えるんだったら、幾らでも払うって人がこの世にはうじゃうじゃいるわ。あたしでも十人以上はすぐに思い浮かぶもの」
「でしょうね」
「…と、なればそこにはお金の匂いがするわ。あたしが悪い人だったらあなたを囲い込んでボロ儲けするわね。それこそ十億円払えと言われればどんなことをしてでも準備すると思う」
「そんな馬鹿な」
「いーえ。本当の話よ。とにかく悪い人には注意してね」
「でも、僕は強いですよ」
寂しそうにニコリと笑うお姉さん。
「確かにね。武器を使ってもあなたには勝てそうにないわ。さっき見て分かった。あたしが首を絞めた時も、咄嗟に反撃しなかったのはあたしを気遣ってなのよね?」
まあ、多少はそういうところはある。うん。
「でもね、人間を腕力でなく言いなりにする方法なんて幾らでもあるの。あなたにはまだ家族いるでしょ?」
「ええ」
「あなたでなくお母さんを殺すと言われたら?」
「あ…」
(続く)