第八話
場面は移り変わってテニスコート。
女子テニス部の面々が鋭い目つきで杏奈と紗央莉を取り囲むように無言の威嚇をしていた。
しかし、当の杏奈は本日出された数学の宿題と必死に戦っており、紗央莉はタイプではない上級生から受けた告白をいかに自分の良い方向へ向かうよう断るかを考え中と、テニス部の威嚇など露程も気にかけていないようだった。
空は雲一つない晴天で、風もほぼ無風に近い今日は絶好のスポーツ日和と言える。同時に勝負日和でもあるのだが、肝心のメンツが揃っていないのが玉に傷である。
テニス部の面々がイラついているのは試合開始時間をすでに二十分を経過しているからというのも理由に含まれる。もちろん他にも理由はあるのだが。
「瀬戸さん、まだそちらのメンバーは来ないの? こちらから勝負を持ちかけて言うのもアレだけれど、これ以上かかるならこちらの不戦勝にさせてもらうわよ。それが嫌ならあなたたち二人が試合に出てはどうかしら?」
待たされるのに堪えかねたテニス部の女子部長が杏奈に詰め寄る。
「そう言われましてもわたしテニス出来ないですし。だから残りのメンバーを待ってるんですよ。それに、開始時間は決められましたけど、遅れたら不戦勝という取り決めはなかったはずです。まぁ、なんとか島の戦いだと思ってもう少しだけ待ってもらえませんか?」
全く終わる気配の無い数学の宿題との睨めっこをしながら杏奈が答える。
その余裕染みた様子は、単に相手を挑発しているか、仲間が来れば勝てるから待っていてくれとも取れた。
どちらにせよ、話しかけてきた相手と目を合わせることもなく会話に応じる杏奈の態度にテニス部の部長を筆頭とする女子部員はさらに睨みを利かせたり、悪態をついたりしてより不機嫌な態度を露わにする。
杏奈たちを取り巻く女子テニス部の輪は徐々に幅を詰めていく。
(……もう時間稼ぎもキツイですかね)
さすがにこれ以上そっけない態度で相手の話しかけてくる意欲を削ぐのは危険そうだった。
痺れを切らして勝負自体を無効にされる分には構わないが、一触即発して掴み合い等の喧嘩になると男子がいてはさすがに分が悪い。
ならもう対抗策としては自分たち二人で勝負を受け、後から合流するメンバーと入れ替わる他なかった。
実際、杏奈は未経験者でも紗央莉と香澄が中学時代の経験者であるため、中の上の実力であるこのテニス部への勝率はゼロではない。
ただ、自分たちの活動の一端である勝負自体を爽葵に経験して欲しかったという思いが杏奈にはあった。香澄には説教染みたことを言われながら止められていたが、色んな意味で頭の切れる生徒会長を倒すには爽葵の実力を見ておかなければならない。
だが、反対を押し切って押し付けた行動が部を危険に晒しているのは事実。自分の尻拭いは自分でするのが当然だろう。
杏奈は数学の教科書とノートを閉じて鞄に仕舞い込む。
「分かりました。では、そろそろお相手いたします。試合中こっちのメンバーチェンジは好きにしていいですか?」
「ええ、構わないわ」
女子テニス部部長が快く承諾しニヤッと含みのある笑みを浮かべる。
「じゃあ早く着替えて頂戴。まさか制服姿でやるわけにもいかないでしょ」
「いえ、制服でさせてもらいます」
騒ぎを聞きつけてやってきたギャラリーの男子陣からヒューっと口笛が吹く音や歓喜の声端々が聞こえる。
いくら敵だろうとさすがに同性、女子部員がすかさずギャラリー男子たちに軽蔑の冷たい眼差しを送る。
「ちょっと正気? ギャラリーに男子もいるのよ。見た感じスカートの下にスパッツも履いてないようだし……。さすがにこっちが気になるわよ。ジャージも持ってないの? なんだったら貸してあげるから」
「いえ、結構です。なぜなら――わたしたちは出ませんから」
「は……?」
じゃあ誰が出るんだ、とキョトンとする女子テニス部部長だったが、その疑問はすぐに解決することになる。
「やっと来ましたか」
ため息をついてやれやれと首を振る杏奈の耳にどこからか滑車が走る音が響いてきた。
猛スピードで近づいてくる騒音の元は、白い布をかけたテーブルのような台の滑車をドリフト気味に滑らせながらテニスコートに入ってくる。そして滑車付き台を押していた爽葵の後ろに香澄を含めて、何故か人数が十数人もいた。
こんな白い布かけた台を猛スピードで走らせれば何かが起きていると気になった生徒たちも追いかけてくるだろう。
「遅刻ですよ綾音さん」
「お、意味ありげなものを持って来たようだね」
杏奈と紗央莉の二人が興味津々の様子でゼーゼー息を切らす爽葵に近づいてきた。
二人が揃って滑車付き台にかけられた白い布を自分たちにしか見えないよう軽くめくる。
「ん?」「これはこれは……」
杏奈はどうしてこれをここに持って来たのか、爽葵が何を考えているのか分からないといった顔。紗央莉はどうやらある程度理解したようで笑みを浮かべる。
「まさか綾音さん。これを使ってお昼寝しながら高みの見物ですか?!」
「時間と体力削ってここまで持って来た意味全くないだろ! だったらそこのベンチに寝転ぶわ!」
「じゃあ一人で遊ぶんですか? ソロプレイですか……? 壁打ちくらいはできますけど」
「俺にだって一緒に遊んでくれる友達くらいいるわ! しかもこれの壁打ちって物凄く寂しいじゃん! いいから、ほら、『テニスのダブルス』で試合やるぞ」
そう言って爽葵は白い布を少しめくり、中から何かを取り出すと杏奈にそのうちの一つを手渡した。
直径は三十センチにも満たない大きさで、先に四角い赤と黒のラバーが張った板。板の下にはそれを握るほどよく丸めに削られた柄が付けられている。
誰しもが必ず一度は見たことのあるスポーツの道具。そして、この大きさのラケットを使うスポーツと言えば――
「まさか卓球……?」
その通り! と爽葵が白い布を台から取り剥がすと、濃い緑色をした長方形の板が現れた。当然真ん中には仕切りのネットが張られている。これは挌技場に授業用として置いてあったもので、それを大急ぎで持ち出したのだ。
「何を考えているのあなた?!」
女子テニス部部長が素っ頓狂な声をあげ、続いてテニス部部員の何人かが笑い声を上げる。
どうしてここにそんなものを持って来たのか、アホじゃないか、それを盾にでも使うのか、など批判や嘲笑の声も上がった。
だが、意図を理解した何人かは男女それぞれの部長に駆け寄り何かを耳打ちしている。
「何人かは気づいてるようだな。そう、卓球。『テーブルテニス』だ」
「ふざけるのもいい加減にして! 遅れてきた上に卓球をテニスと言い張ってそれを勝負に変えるなんて自分勝手にも程があるわ!」
「そもそもこっちは勝負内容を『テニス』って言っただけだよ。軟式とも硬式とも何も明言していない。それを勝手に自分たちの得意な硬式テニスに置き換えたのはそっちだろう?」
「揚げ足を取っているだけじゃない! あなたたちはいつもそうね」
「……いつもそうなのか? けどまぁ、こっちは構わないぜ硬式で勝負しても。そのかわりギャラリーたちが後で何て言うか分かんないけどな。噂には尾ひれがつくのが付き物だし。だったら卓球のほうがお互いフェアじゃない? どうせ体育くらいしかやる機会ないんだからさ」
肩を竦めて脅しにも似た挑発をかけていく。
この挑発も流されず落ち着いて考えれば余裕で回避出来るもの。単に爽葵が嫌な噂を流されたくなければこちらの土俵に乗れと言っているだけで、一言断れば既に了承してしまっている向こうの土俵である硬式テニスでの勝負が開始される。
だが、男子と比べ女子は噂等についてはめっぽう気にする傾向があるはず。ならば爽葵の挑発にも乗ってくると読んだ。
ギャラリー男子の中が気づいたとしても面白い展開を期待する観客が口にするはずもない。
女子部員の一人が部長に近づき、こちらをチラチラ見ながら何やら耳打ちを始めた。
すると、部長は含みのある笑顔を浮かべ、
「いいでしょう。ここは由緒あるテニス部としてそちらに勝負内容を譲歩してあげるわ」
「お、気前いいね。なら出るメンバー決めて早速始めようぜ」
女子部長は余裕ぶっている爽葵と一度鋭い視線を交わした後、その他部員の元へと戻り選出を話し合い始めた。