第四話
爽葵が案内されてやってきたのは本校舎二階の角にある一つの教室。
なぜか部室の前に着くなり前を歩いていた黒髪に少女は「先に入っていて下さい」と一言残してどこかへと走って行った。
さすがにこのまま帰るわけにもいかず、恐る恐る扉に手をかけてゆっくり左へとスライドさせる。
中を見てみると教室といえども部活で使用しているらしく勉学に励むためにしがみつく見慣れた机とイスはなく、黒塗りのソファや背の低いガラス張りのテーブル、パソコンが置かれた白いデスク、なぜか漆喰で塗られたような光沢のある高級そうな食器棚、はたまた家族が使うようなサイズの冷蔵庫まで備え付けられている。キッチンとトイレがあれば部室というよりも軽いワンルームみたいな作りだった。
いかんせん教室がベースでの部室になっているため、緑色の黒板やダサいすでに焼けて黄色になったカーテンがこの部屋の統一感を著しく崩しているのは言うまでもない。
「ああ、いらっしゃい。どうぞ、楽にして座っておくれよ」
教室のどこかからか声がして、ガラス張りのテーブルを挟む二対の黒塗りソファの一つを勧められる。
姿なき声に少々ビビリながら謎の部活動の部室へと足を踏み入れた爽葵は、声に導かれるままソファへと腰掛ける。体が沈み込むような感覚はないが、お尻が痛くなるほど固くもない。
長い間使われているのかところどころ縫い目がほつれかけてはいるが、目立った汚れや隙間の埃がなくしっかり手入れされていた。
「粗茶だけどどうぞ」
そわそわする爽葵に先程の声の主だと思われる少女がお盆に乗せた白い湯呑を持って現れた。
どうやら来訪があるとあらかじめ聞かされていたらしく、そのためにお茶の準備をしていたらしい。
爽葵は軽く一礼し、乾ききった喉を潤すために一気に湯呑の中身を飲み干す……前に妙な飲み物ではないだろうかと、失礼ながら色や臭いを疑いながら確かめていく。
結論としては大丈夫と判断した爽葵は、湯呑みの中の液体を口に含んで飲み込んだ。冷たいほうじ茶が食道を通り抜け体中に水分を行き渡った気がした。
ほぅ、とようやく一息つけた爽葵の姿を見てこれまた鼻の高い整った顔立ちの少女が笑顔向ける。顔を少し傾けた際にサラリと揺れるセミロングの茶髪がまるでシルクのように輝く。
「ところで君誰?」
「それはこちらのセリフなんだが……」
「嘘嘘。爽葵君だよね。知ってる知ってる。小学生のとき隣のクラスの女の子が好きでプールの時間の時肌と肌が触れ合えばラッキー程度に思っていたらチャンスが結局無くなって、その子がプール上がる寸前で苦肉の策で触ろうとしたら誤ってお尻へ指を突き立ててしまった爽葵君だな」
「どうして小学校時代の黒歴史をあんたが知ってる?!」
その後、爽葵がしばらくの間女子たちの間で変態と噂されその女子生徒に近づくことが出来なかったのは言うまでもない。
初対面の女子にいきなり自分の黒歴史を詳細に語られ顔を真っ赤にして俯いていると、
「はい、これに名前とクラス記入してね」
茶髪セミロングの女子生徒がボールペンを指で軽快に回しながら入部届と書かれた白い紙を机の上から差し出してくる。
数秒間爽葵が入部届書を見つめた結果。
「入部はしない。帰る」
と即座に結論を出し、教室に置きっぱなしにしている鞄を取りに戻ろうとソファから立ち上がる。
「あれ? ちょっと待っておくれ。あれー、話と違うじゃないか。あ、そうだ。こんなときの対応としては、えーっと……」
焦る様子もなく落ち着きながら茶髪少女はポケットから何やら黒い冊子の手帳を取り出して、ページを一枚ずつ捲り始めた。
爽葵を助けた? あの少女は爽葵をここに連れてくるなりどこかへ行ってしまったので、逃げるのならばあの凶暴な黒髪少女がいない今である。それに、この茶髪少女との茶番に付き合うほど爽葵も暇ではない。
ソファを横切り、真後ろにある出口の前へ立って扉を開こうと手を伸ばした時だった。
「あ、あったあった。中学生二年の時、好きな人がいるにも関わらず勝手に友達から別な人が好きだという事実を作られ、複数の友達から告白しろよとはやし立てられて嫌々ながら告白した挙句バッサリ振られ、それが原因で本当に好きだった女の子に告白できずに終わるという悲しい恋愛経験がある」
「その手帳が元凶か!!」
いつ作られたのかは知らないが、確実に自分の黒歴史がまとめて書かれているであろう黒表紙の手帳の存在を抹消しようと爽葵は踵を返し、茶髪少女へと突撃する。
予想外の展開に「うぇ?!」と慌てふためく茶髪の少女にもお構いなしに一直線にソファを飛び越え、すぐ手前にあるテーブルすらも飛び越えようと再度足に力を込めて跳躍を試みる――
が、ソファを飛び越えた時の着地地点がテーブルに近かったため、二回目のジャンプの際につま先がテーブルの角に引っかかる。
「あ……」
「え?」
しかし跳躍と前進する勢いは止まらず、態勢を崩したまま直線状にいる少女へと覆いかぶさる形で空中から落下する。
そのままと止まるかと思いきや、重なり合った二人の体重を少女の座るソファでは支えきることが出来ず勢い余って後方へとひっくり返ってしまう。
ソファに体を乗せた状態で倒れたため二人は直接地面に体を打ち付けることはなかったが、少なからず衝撃波は体にダメージを与えていた。
「痛ってぇ……。大丈夫……か」
ソファの角で左手をぶつけたようでズキズキと鈍い痛みが走ると共に、右手には何やら柔らかい感触。そう柔らかなマシュマロのような感触。
身体が密着して近づく茶髪少女の頬は軽く朱色に染まり、眉をへの字に曲げて困った表情をしていた。
「いや、まぁ、うん。こっちも何とか大丈夫だけど――手を退けてくれると非常にありがたいかな……。さすがに恥ずかしいから」
今の態勢としてはソファごとひっくり返っているため、エビ反りになりながら爽葵が茶髪少女の体に覆いかぶさった状態。そして左手は床を捉え、右手は少女の片山を鷲掴みにしていた。
「…………っっっ!!」
ただ自分の黒歴史が書かれた手帳を奪うだけ行為が予期していなかった完全なセクハラ行動に変わったことに対して、爽葵は体中から冷たくて粘っこい嫌な汗が噴き出していくのを感じた。
とにかく手を離そうと体を支える左手に力を込めてから、ラッキースケベな右手を片山から地面へと移動させる。
とりえあえずこれで直接的なセクハラは回避出来たのだが、こんなところを誰かに見られれば勘違いされることは必至。一刻も早く体を少女の上からどかさなければいけない。
(けど、どうする……。エビ反りの態勢だと腕の力だけじゃ体の移動は出来ない。ならソファを蹴ってその反動で倒立した後で腕の力で跳ね起きるか……? いや、その場合失敗すれば顔が最悪胸に埋まる可能性が――ん?)
焦りながら体をどかす方法を必死に考えていると、真横から突き刺さるような視線を感じ恐る恐る右方向へと顔を向ける。
そこにはスカートの中が見えないよう足をぴったり閉じてしゃがみ込む黒髪の少女の姿があった。それも半目ではっきり軽蔑の眼差しを浮かべながら。
「これは――」
「何も言わないでください。分かっていますよ。どうせあれでしょう。筋骨隆々の男達に迫られた恐怖の反動で、男子特有の性的欲求に駆られてしまったんですよね」
「全然全くこれっぽっちも分かってねえし!」
「えーっと、とりあえず腹筋に力を入れておくと多少は楽ですよ?」
「何が?! 今から大爆笑劇でも起こるのか?!」
一応言われた通り腹筋に力を込める爽葵だったが、口にした爆笑劇など当然起こるわけもなく、
「神聖な部室で何してくれてんだこのクズが!!」
「がふっ!」
突如現れた第三の女子生徒によって容赦なく腹を思いっきり蹴り飛ばされた。
アドバイスにて腹筋に力を入れていたため、あまり痛みを伴うダメージを受けなかったものの、吹き飛んだ爽葵は床を激しく四回転半転がって力無く停止する。
「大丈夫ですか綾音さん?」
と黒髪の少女が苦笑いを浮かべながら、この数時間で色んな事が起こりすぎて真っ白になった爽葵の顔を覗き込む。
「まじでもう放っておいてくれ……」
「それは出来ない相談です」
「は?」
「なぜなら綾音さんには是非力を貸していただかないといけないからです」