第三十二話
『たぬきの宝箱には何が入って――』
爽葵の隣からクイズ番組でよく耳にする機械音と共に、早押しボタンがパトカーのランプのように赤く光る。
「……早っ!」
確かに出題の難易度によって問題を読み上げられながらでも答えを導き出すことは可能。クイズ番組などでは出題途中で答えを告げることもしばしば見受けられる。
この手の早押しクイズであればボタンの上に手を置いておくことは常套手段なので、爽葵が押し負けたことに関してなんら問題は無い。
「正解は『何も入っていない』でしょぅ?」
『……正解! ちなみに問題の全文は「たぬきの宝箱には何が入っているでしょう」でした。答えはもちろん「た」抜きの宝箱で空箱。見事「何も入っていない」が正解です!』
日菜のスピード解答に第一問目にして観客席が盛り上がる。
だが、対称的に解答席に座る爽葵は苦い顔を浮かべていた。
『続けて参ります。第二問!』
再び少しのタイムラグと共に卓球部部長がページを開き、張り上げ続けてやや枯れ始めた声の大久保が元気よく読み上げる。
『幼稚園や、保育園の子が着る服は一体どんな――』
先程と同じ展開。日菜の早押しボタンが素早く押された。予想以上に早い。
「エンジ色ね」
『正解です! またもや出題途中で答えられてしまったー! さすがは生徒会副会長だー。全文は「幼稚園や、保育園の子が着る服は何色?」でした。幼稚園、保育園に通うお子さん方は通称園児。つまり「エンジ色の服を着る」が正解!』
解説を交えながら声を高らかに会場のテンションを上げていく大久保の手には、じわりじわり汗がにじみ始めていた。
「これはあれねぇ。クイズというよりもなぞなぞねぇ。お姉ちゃんこういうの意外と得意よぉ?」
まさかここまでいとも簡単に答えられるとは誰が想像しただろうか。
紗央莉とのゲーム対決とは違い、ルールなどはあってないようなもの。相手の出方を見る必要など一切ない。
『遂に生徒会チームが王手! メタモルフォーゼ部このまま為すすべもなくやられてしまうのかー! どんどん行きましょう。第三問――』
チームの観覧席からも香織の罵声や紗央莉の激励の声が爽葵の耳朶を打つ。
次の問題を取られれば爽葵の敗退が決定する。当然チームの敗北も同時に決定。もしこのまま負けてしまえば生徒会から何を要求されるか分かったものではない。
流れは完全に日菜のもの。そして、観客の大半がこのまま日菜がストレート勝ちするだろうと予想していることだろう。
そう、普通に同じような問題が続くのならば皆の予想通りになる。
しかし、爽葵がそんな当たり前の結果に行きつく作戦など立てるわけがない。
『りんご、バナナ、パイナップルを乗せたトラックが高速道路の急カーブを曲がりました。その時に落としたものは一体何でしょう?』
今回初めて大久保が完全に問題を口にする。
いきなり難易度が上がったと感じたらしく、さすがの日菜も思考の時間を入れざるを得ないようだった。
だが、出題が完全に読まれてすぐに、機械音と共に赤いランプが点灯する。
三度目の正直。
ここでようやく爽葵が解答権を得た。
『来た来たー! ようやくメタモルフォーゼ部のランプに明かりが点ったー! 遅いぞコンチクショウ!』
司会者である大久保の個人的な興奮の声に運営委員の冷たい視線が刺さるが、そんなこと気にしている余裕はない。
いくら爽葵なりの作戦……いや、『ハンデ』だとしても二問連続先取されたときには胆が冷えていた。
爽葵もわずかに湿る手のひらを早押しボタンから離しながら息を吸い込む。
頭の中で問題を反復し、呼び起こした解答を口にする。
「トラックが落としたものは――果物ではなく、スピード!」
一瞬会場から音が消え去る。
本当に爽葵の解答が合っているのかどうか全員が一同に考えているようだ。
日菜にはすぐに理由が分かったらしく、額を手で押さえて天を仰ぐようにミスを嘆いていた。
『正……解! メタモルフォーゼ部ようやく一ポイント返したー! ちなみに今の問題の解説をしますと、トラックが高速道路でスピードを落とさずに急カーブに差し掛かったらそのまま曲がりきれずに大クラッシュしますね。二台の果物が落ちるどころの騒ぎではありませーん』
これは問題自体に引っかけを入れたクイズ。ワザと選択肢を用意しておいて実はこの中にはありませんでした、といったいわゆるイジワル問題だ。
先程までとは打って変わって、ダジャレを混ぜ込んだ答えではなかったため日菜は解答に躊躇したのだろう。
「ふーん。簡単ななぞなぞだけだと思ったのに残念ねぇ」
「最近のなぞなぞって意外と難しいんだぜ。この間立ち読みして読んだ本なんて誰が分かるんだよ、って問題だったしな」
「え、それって青い水着の女の人が胸を寄せてる表紙の本のことぉ?」
「どこから見つけたその本!」
「ちなみに現物はここにありますよ綾音さん!」
いつの間にか司会者席にいる大久保の横に座っていた杏奈が、何かを高々とかざしていた。
それはまさしく日菜が今しがた口にした表紙の本。これは表紙だけを見るとただのグラビア本だが、書いてある字を見ると少しやばそうな本だった。さすがに観客席からは見えないが、爽葵と大久保にはその本の表紙を見ただけで正体が分かるらしく慌てふためく。
「どっから持って来たその本!」
「またまたー。綾音さんの家からに決まってるじゃないですか」
「決まってるのか?! それより、いつ手に入れた!」
「え……、わたしの口から言うんですか? もう、仕方ないですね……。ほら、綾音さんとわたしの絆を作ったあの日ですよ」
会場が一瞬でざわつき始めた。会場のざわつきは様々あったが、それは微笑ましくも生徒だけのものだった。だが、今回の杏奈が発した意味深な言葉は教師陣にまで緊張を走らせる。別に今時の若い子達がほにゃららをしたところで至って問題はないが、学校側としては清く正しくをモットーにして教育を施しているわけで、ここまで大っぴらに言われると対応に困るらしい。
「あれのどこが絆なのかなぁ!? ちょっと解説願いたいなぁ! っていうか、アンタどっちの味方なんだよ!」
「綾音さんの味方に決まってるじゃないですか! 綾音さんはわたしの物、わたしはわたしの物ですよ!」
「どっかのガキ大将よりヒドイ!」
お前の物は俺の物――どこかのガキ大将は私物を奪っていたが、どうやら杏奈は人権を奪うようだった。
「さ、爽君ももう大人なのねぇ……」
「うん。勘違いも甚だしいからね。そんな恥ずかしがる必要ないからね。つか、そんな耳まで真っ赤にして顔伏せんな! リアルさ増すから!」
『そうですよ日菜さん。日菜さんももう通った道でしょ!』
「ノ、ノーコメントで……」
さっきまでとは違い今にも泡となって消え入りそうな声。どうやら日菜は爽葵や悠里と下ネタ話をする分には慣れているが、他の誰かが一人でも入ると途端に恥ずかしくなる性質のよう。そこに萌えを感じる観客席からは男女問わずアイドルに向けたような応援の声が飛び交う。
「おい、司会者! 一応敵でも人の姉に何聞いてんだよ! そもそも俺は事実無根だっつってんだろ!」
『え、じゃあ綾音選手は童――』
「お前後で絶対しばくから覚悟しとけよ!」
大久保の質問に対して日菜はプルプルと震えながら左手で顔を覆った。しかし右手はしっかりボタンの上に置かれているところはさすがである。
『それでは参りましょう第四問! これはさっきまでとは違って意外な問題だー!』
「無視すんなゴラァ!」
『とある動物園でチーターが十メートルの鎖に繋がれていました。ではそのチーターは何平方メートルまでの草を食べることが出来るでしょう?』
爽葵が手を乗せたボタン――は赤く光っておらず、隣にある日菜のボタンが真っ赤に輝いていた。
ここまで精神を乱されて尚この早押しスピードを保つか。
これを答えられればメタモルフォーゼ部の敗北が決定してしまう。爽葵はギリっと奥歯を噛みしめながら大久保へと睨みつけるような視線を送る。
『……それでは生徒会チームお答えください』
俯いていた日菜は顔を覆っていた左手を離し、ゆっくり顔を上げながら口を開いた。けれども未だ顔は茹蛸のように真っ赤である。
『……ここで単純な計算問題って拍子抜けよねぇ。答えは……三百十四平方メートル」
微塵の躊躇もなく日菜は答えを口にする。さすがは成績優秀者。算数の問題などいともたやすく解いて見せた。そう、解いて見せてくれたのだ。
日菜の解答を聞いて会場が湧き上がった。答えが分かっていた者は喜びの声を上げ、答えが分からず頭を捻っていた者からは納得の声が上がる。
それと同時に生徒会チームの勝利が決定したことへの賞賛の拍手が次々と湧き起こった。
――第四問この問題が通常の意味を持ったものならば。
大久保は会場の観客をあざ笑うかのように言い放つ。
『……残念! もうちょっと頭を捻ってもよかった! っていうか、日菜さん。なぞなぞに単純な計算問題なんて出るわけないですよ?』
「えっ……? あ、しまっ……」
思わず日菜から疑問と後悔の声が漏れる。
その声を皮切りに僅か数秒会場全体から音が消えた。
他人から向けられる下ネタが苦手な日菜の特徴を利用してその余裕を奪ったのだ。人気のある日菜だからこそ爽葵達に非難が浴びせられる可能性がある。
だが、彼らの反応を逐一聞いていれば空気に飲まれることは必至。大久保は場の流れを維持したまま素早く爽葵へと解答権を移す。
『さあ、解答権がメタモルフォーゼ部に移った! 正解することは出来るのか!』
今度こそ爽葵の早押しボタンのランプが赤く点灯する。日菜はお手付きのためランプを押すことは出来ない。
一応頭の中で答えを確認しながら高らかに答える。
「ゼロ平方メートル。理由は、チーターは草を食べないから」
『正解! メタモルフォーゼ部土壇場で追いついたー! これで両チーム二ポイント獲得。勝敗はラスト一問に委ねられました!』
「さすが童……」「エンターテイナー童……」「くたばれ、リア充童……」「日菜さんを嫁に下さい童……」
などなど、ほぼ全員が同じようなことを呟きながら一応爽葵の追いつきを賞賛する。
「どう考えても褒める気ないだろアンタら! っていうか、いくつか不穏なワード途中まで呟くのやめろ!」
すると大久保がイケメンスマイルを浮かべながら大きな音を鳴らしながら手を叩く。マイクの近くで大きな音を立てたため、途中耳障りなハウリングを起こす。
『綾音選手が童……おっと失礼。それは一旦置いといて。最終問題に参りたいと思います!』
「お前の命と共に永遠に捨て去れ!」
『はいはい。早く捨てられるといいですね。会場の皆さんも悔しがっていないで、早くリア充になりましょう。当たって砕ける!』
と大久保は最後に一言付け足して会場の妙な方向で盛り上がる不穏な空気と、爽葵の怒りを押さえつけた。
『それでは最終問題!』
再び会場の空気が張り詰める。




