第三話
再度場がパニックになっている状態ならば逃げ出せると踏んだ爽葵は、とにかく校門へと走ろうと体を傾けた刹那――。
足を引っかけられて盛大に転んだ。
「何をする! 逃げ出せるチャンスだったろうが!」
「どうしてそんなに心配されているのかは分かりませんが、とにかく大丈夫です。わたしを信用して下さい」
「武力で物言わせようとしてる奴に出来るかっ!」
などと倒れたまま逃げ遅れていると、パニック状態を突き抜けて自暴自棄状態に陥った部活連中の数人が目をギラつかせて爽葵たちへと迫り出した。
起き上がって走り出す時間もなければ少女の戦闘能力に頼ることも出来ず、さらにバズーカの抑止力もない。まさに絶体絶命。
そんな時、何かが爆発したような騒音が耳をつんざいた。
「話し合い関係なしにぶっ放した!?」
全員の動きがまた一瞬止まる。
爆発音からわずか数秒後、ハンドボール大の白い物体が飛翔してきた。
とうとう爆撃されたかと思いきや、何やら大量の紙が爽葵たちの頭上に舞い踊った。
大がかりなバズーカまで用意したにも関わらず案外しょぼい演出である。
コケている爽葵は手に取ることが出来なかったが、部活連中はその紙に書かれている内容を見るなり目を見開いて顔色をサーッと青白く変色させていく、
だが、それとは逆に爽葵の目の前にいる少女は薄く笑みを浮かべ、高らかに宣言した。
「今からわたしたちはあなた方に勝負を申し込みます。勝負方法はいたって簡単。回答者の彼、綾音爽葵が選ぶ答えを当てたほうが勝ち。また、勝者は彼を好きにすることが出来る。どうでしょう?」
『乗った!!』
「乗るの?!」
少女の提示した勝負に何故か部活連中は即座に返答し、爽葵の意志とは関係なく勝負が始まる。
「俺の意志もそうだけど、どうして人権が無視されるんだ!」
「まぁまぁ、綾音さん。簡単な問題に答えるだけで野獣どもから解放されるんですからいいじゃないですか」
少女は可憐な笑みを浮かべながら爽葵に手を差し出す。
爽葵は一応礼儀として差し出された手を掴み起き上がる。
「では、問題です。ちゃらん。綾音爽葵はどちらの部活に入るでしょう。一番『彼を襲う連中のうちどれかの部活』。二番『わたしたちの部活』。はい、どちらでしょう?」
「どちらでしょうって……」
「もぉ、綾音さん。簡単な問題なんだから悩む必要なんてないじゃないですか。あ、もちろんわたしは二番の回答を選びますよ。というか、二番以外を選べばどうなるか分かってますよね?」
前門の虎、後門の狼。既に逃げ道はない……いや、始めから逃げ道など用意されていなかった。
ここで爽葵は考える。
もし一番を選んだ場合。想像したくはないがまたどの部活に入るか、という自分の争奪戦が行われ時間が奪われる。さらに今までの経験上ではあるが、部活に入ったら入ったで部活動などせずに神聖化されて崇められるか、マスコットキャラクター染みた形で愛でられるのだろう。悲しい人生を送ってきたものである。明らかに原因はアレだが。
ならば正解は二番かと思われるがそれもどうだろう。第三者から見れば美少女に部活の勧誘を受けている羨ましい男子なのだろうが実態はそうではない。話し合いをするといいながら最初に武力を見せつけ、話し合い直前に相手の意欲と思考力を削ぐ狡猾さ。加えて勧誘をしている本人すら脅す始末。そもそも自分を勧誘してくる理由も分からない。得体の知れない不気味さが大きい。
不幸の結末度合が見えている一番を選ぶか、それとも全く未来が見えない黒にでも白にでもなり得る結末を選ぶか。
「あ、そうだ綾音さん」
「……ん?」
「綾音さん家の熱帯魚グッピーしかいないんですね。可哀想なのでアロワナとか入れときます?」
「どうして俺の飼ってる熱帯魚がグッピーしかいないことを知っている?! そしてグッピー食べられる可能性高いからやめてくれ!! 外道か!!」
確かに綾音家のリビングでは熱帯魚を飼っており、中にはグッピーしかいない。理由は単純で爽葵自体がグッピーの小ささや色合いが好きで他の熱帯魚と混ぜたくないという理由……ではなく、単純にお金が無くてグッピーしか買えなかったというだけである。
現在の夢はクマノミとかを買ってグッピーと一緒に泳いでいる姿を眺めたいというささやかなことだった。
「あと、あの……言いにくいんですが、例の本の隠し場所。やっぱりベッドの下っていうのは安直かと思います……」
「どうして知ってる!? どうやって俺の部屋に入った?!」
「あ、ちなみにそれらの類いはわたしたちの部室に置いてあります。あと、一応念のためと思いまして机の奥に大事に隠されてた好きであろう女の子の写真も持ってきました」
「アンタマジで何者なんだ?! つか、俺について詳しすぎだろ! 引くわ!」
「いやぁ、それほどでも……ありますね」
「ねえよ!」
「あのー、そろそろ回答を答えてくれやしないかね爽葵君。当然一番だよね」
完全に蚊帳の外だった部活連中のモブが勇気を持って話しかけてきた。着ているユニフォームから推測するとテニス部だろう。そして、なぜか皆一様に爽葵の答えをそわそわして待っている。
「うるせえな! どうしてアンタらは自分たちが選ばれる可能性があると信じて待ってんだよ! 俺はどっちの答えも選ばねえよ!」
爽葵の叫びに部活連中はそんな馬鹿な、と驚きを隠せない絶望に皆膝をついてうちひしがれ、謎の少女は困ったように顔を暗くし、
「ちょっともう収集がつかなくなってきましたね……」
「もう手詰まりだったのか?! いや、もういいから帰してくれよ!」
さっきの作戦で落ちるはずだったんだけどな、などと彼女も予想外の展開だったらしく困惑している模様。
だが、すぐに顔を上げ「かくなる上は」と右手の指を高らかに鳴らす。
何の反応もない。
ゲーム風に言えば、『少女は指を鳴らした。しかし何も起こらなかった』とでも表現できる所謂スカ。
爽葵と少女が屋上を見やると、そこでは見慣れた制服姿の男子生徒二人が赤いジャージ姿の教師らしき人物に酔って吐くんじゃないかという勢いで頭を下げていた。
「……歴戦の勇者がまた一人消えてしまいました」
「大体はアンタのせいだよ!」
「ありがとう。どこの誰か知らないけれど、バズーカを快く提供してくれた人たち」
「関係者でもなかったの?! ていうかバズーカの所有者あいつらかよ! 学校にどうやって持って来たんだよ!」
「まぁ、仕方がありませんね。こうなったらもう最終手段を取りましょう」
急に少女の目の色が変わった。澄んだアッシュブラウンが漆黒へと変わったかのような錯覚を起こす。
すると少女は本当にどこから取り出しているのか、四角いボードを取り出して、何やら文字を書き始めた。
「これを朗読してください」
「は?」
「いいから朗読してください。読んでくれれば例の本と写真はお返しします」
何やら不吉な予感はあるものの、とりあえず書かれた文字を読むだけで一つ解決に向かうとなれば安いもののように感じる。書かれた文章にもパッと見ではあるが悪意も作為も感じられない。
「ほら、早く読んでください」
「……読めばいいんだろ、読めば。『綾音爽葵は自宅のパソコンで見てから黒のミニバンがイイな、好きだなと思ってました。いいか皆の衆。俺はミ(ここ小さく発音)、ニ、バ、ンがいい』……んだ。――は?」
はめられた感満載だった。
どこが悪意も作為も感じられない文章か。悪質な文章に簡単でいて策略的な方法を詰め込まれた文章である。
「皆さん聞きましたか? 綾音さんはミ、二番の回答を選ばれました! したがってわたしの勝ちですね」
「ふざけるな!」「横暴だ!」「そんなの爽葵君の答えじゃない!」「無効だ無効!」
などと当然批判の声が矢継ぎ早に飛び出してくる。
しかし当の少女は全く悪びれた感じはなく、それどころかより一層の黒いオーラを出し、
「じゃあ、どうぞ綾音さんを連れて行ってください。その際は誘拐として警察に電話をさせていただきます。ああ、それと学校にも詳細を伝えておきましょう。そうなるとどうですかね。冤罪になったとしても評判は落ちるでしょうね。最近の学生は噂好きですし、それに噂には尾ひれがつきものです。噂が噂を呼んで廃部、最悪学校に居辛くなって退学……なんてこともあり得ますね」
噂の発信源及び、尾ひれをつけるのは間違いなくこの少女だろうと誰もが直感で察した。自分で話を作り、肥大化させ、あることないこと付与し、最後に落とすところまで落とす。まさに最悪のセルフシチュエーションである。
「では綾音さん行きましょうか」
「……どこへだよ」
「決まってるじゃないですか。わたしたちの部室にですよ。まずは本と写真お返しする約束でしたからね。あ、あとご両親にガラス割ってしまったことを誤っておいてもらえますか?」
「やっぱり不法侵入だったのかよ!!」
爽葵はこのとき心の底からこの少女のことを恐怖したのだった。