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第一話

 夕刻。逢魔が時とも呼び変えることの出来る時間帯。日が沈みかけて世界をオレンジ色に染め上げる。流れる雲の下では鳥たちが巣に帰ろうとしているのか群れをなして飛び交っていた。

 私立常清高校の校舎からは勉学を終えた生徒たちがぞろぞろと姿を現している。

 友人と談笑したり、一人で音楽を聴いたり、携帯をいじったり、部活へ向かったりとそれぞれの行動を取っていた。

 そんな人通りの多い校舎前とは全くの逆方向。普段はあまり人気のない校舎裏で学校指定の学ランを着て、オレンジ色のフレームが特徴的な眼鏡を掛けた綾音爽葵が青ざめた顔で一人。ピンク色の封筒を手で握りつぶしながら壁に押しやられていた。いわゆる壁ドンをされていた。

 ――男に。

「後生だ爽葵君。俺と付き合ってくれ!」

 と確かラグビー部に所属していると言っていた筋骨隆々な男に交際を申し込まれていた。

 もちろん当の爽葵にはそんな毛は一切ない。

 だが、こんな状況に追いやられている。

 事の発端を詳しく説明する必要はないだろう。ここまでベタな展開があるのかと疑うほどベタに、下駄箱の中に手紙があり呼び出されただけのこと。そして今に至る。

 後頭部が当たっている窓から誰かが気づいて助けてくれないかと淡い希望が浮かぶが、通路に規制がかけてあるかの如く誰一人通り過ぎる気配はない。

「爽葵君。どうして返事をくれないんだ。俺はこんなにも君を愛しているというのに!」

 返事をくれないというよりも爽葵は男と相対してから一切口を開いていない。というよりも起きた出来事が予想外過ぎて半分意識が飛んでいる。男に壁ドンされるまで逃げなかった理由はそれだった。

 だが、不意に爽葵の意識が完全に取り戻される。

 男のむさ苦しい顔から三十センチほど右に行ったところ。松の木しかないのだがその松の木の右横からにょきっと白い画用紙が飛び出していた。何か文字が書いてある。

 誰がなぜ何のために出してきのか理解が出来ない。そして全くといっていい程いい気配がない。それでも神にも縋る思いで文字を読む。

『俺もあなたのことが好きだよ』

「言えるかボケェ! つか、誰だ!」

 巻き舌気味に叫んだ。

 神に縋った爽葵が悪い。

 叫び声を聞いた木陰の主が画用紙を水平にする。やれやれと肩を竦めているのが手に取るように分かった。

 今度は仕方ないと言わんばかりに、

『一回ヤりましょう。レッツプレイ!』

「だから言えるかっ! つか言った瞬間アウトだろうが! マジで誰だ!」

「さっきも言ったが俺は七組の郷田林だ! 俺のことはともかく言ってくれないのか爽葵君! 恥ずかしがらなくていいんだ。ホラ、君の気持ちを素直に伝えてくれ。ははっ、もう答えは俺の心の中に伝わってきてるけどな」

(うぜぇ……)

 さっきまでは意識が朦朧としていて何を言われていたかあまり聞き取れていなかったが、こんなものをずっと聞かされていたとは。今になって怖気が走る。

 などと体を震わせていたら追加の画用紙が出された。

『すみません。あなたの気持ちは嬉しいのですが、受け取ることは僕には出来ません』

(そうそう、それだよそれ。普通すぎるところは否めないけどこの際仕方な――ん?)

 どうやら続きがあるらしく両手で素早く紙を捲りだした。

『ホモォ』

「意味分かんねえよ! 何だよ『ホモォ』って!」

 三度目の正直……ではなく、二度あることは三度あるだった。

「何だって! それが君の答えなのかい! 確かに受け取ったよ……」

 画用紙のワードに対しての突っ込みだったのだが、どうやら筋骨隆々男は自分のことと勘違いしたらしく少しシュンとしたように瞳を閉じた。

 ――かと思われたが、すぐに意気揚々と目を輝かせ、

「君の答えは受け取った! 君も僕のことが好きなんだね! では熱いベーゼを……!」

 筋骨隆々男が唇を尖らせて爽葵の顔へと近づけてきた。多少なりとも照れているのか接近するスピードは心なしか遅い。

 コンマ数秒の時間を使って最後に出されているであろう画用紙へと視線を移す。

 やはり同じ位置からにょきっと画用紙が出て――

『キタコレ! 誰得!? ホモォ!』

 絶望的に一人で盛り上がっていた。

 そして何故か画用紙に赤色で指の痕らしき細長い線が三本引かれていた。

(誰得ってアンタだろ! そんで鼻血出してんじゃねえよ!)

 なんてことを考えているうちにカサカサのひび割れた唇が間近に迫っていた。

 いい加減下にしゃがむなり相手を突き飛ばすなりして逃げればいいのでは、と大抵の傍観者ならばすぐに思いつくことだろう。だが、当事者になれば混乱して選択肢が極端に減ってしまうのだ。

 とは言え、出された画用紙を読み上げる程度に余裕がある爽葵に関してはそこまで混乱していないように見える。ではなぜ逃げることをしないのか。

それは――自分が追いやられている校舎の物陰、それも両端から何人かのギラついた視線を感じているから。

 きっと逃げ出したところで捕まるのがオチ。

 だからといってここでこの野郎からの接吻を甘んじて受ける爽葵ではなかった。

「歯ぁ食いしばれ!」

 いい加減ぷっつんきたのか、恐怖心に駆られて防衛本能が出たのか、男の唇が危険域に入り込む寸前に握り締めた右拳を筋骨隆々男の顎目掛け真下から振り抜いた。

 ぶっ、というリップロール音にも似た音を出しながら、不意打ちを喰らった男はフラフラと後退し、数秒後力なく尻餅をついてそのまま地面へと倒れ込んだ。

 一つ目の関門をクリアした爽葵はなぜかその場で屈伸を始め周囲を一度グルッと見渡す。続いて深呼吸を三度繰り返したかと思うと校舎の窓を開け、運動靴のまま中に飛び込んだ。

 校舎内に逃げ込んだ刹那――窓の向こうから「逃がすな!」と背中に悪寒を走らせる怒声のような声が爽葵の鼓膜を打った。

「あ、待って下さい!」

 男共の低くドスの効いた声の中に高いキーの声が紛れたが、既に逃走した爽葵の耳には届いてはいなかった。


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