表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/24

8.音威子府(八月二十一日、木曜日、十三時四十七分)

 音威子府おといねっぷ駅に到着した時に、車内アナウンスが流された。


――当駅では、列車待ち合わせのため、しばらく停車いたします。

 当駅の列車の発車時刻は、十三時五十五分の予定です――。


「時間はわずかしかないけど、ちょっと降りてみようか?」

 又村の申し出に、特に断る理由もなかったので、青葉は同意した。ここのホームには、なぜだかよくわからないが、木彫りのかわいらしいSLの置物が置いてある。

「冬になると、この駅にはラッセル車がよく停まっている。

 DE15ラッセル車――。

 こいつが、鮮やかな紅色をしていて、すっごくかっこいい奴なんだ!」

 普段は冷静そうな又村が、『すっごく』と形容するくらいだから、よほどかっこがいいのだろう。

 又村の解説が、さらに調子づいてきた。

「ここ音威子府おといねっぷ駅には、常盤ときわ軒という立ち食い蕎麦そば屋がある。名物おじさんが作る蕎麦は、色が真っ黒だけど、味は日本一おいしい、と口コミで評判になっているんだよ。

 ああ、この列車の停車時間が、せめて十五分あればなあ……。絶対に食べていくのに」

 青葉たちの列車が音威子府おといねっぷ駅に停車する時間は八分だった。八分でお蕎麦一杯をたいらげる自信は、さすがに青葉にはなかった。

「ちなみに、常盤ときわとは、音威子府おといねっぷ村のかつての呼び名だね」

 青葉は駅舎にちらっと目を向けた。音威子府おといねっぷ駅の駅舎は、木のぬくもりが感じられる茶色い建造物で、宗谷本線の駅舎としてはかなり巨大なものだ。駅のようすだけなら、とても活気がある街に思えてしまうけど……。

「ああ、そうそう。駅舎の中には、天北てんぽく線の資料室もあるんだった」

天北てんぽく線?」

「うん。ここ音威子府おといねっぷ村から稚内わっかない市を結んでいた、宗谷本線とは別ルートの、かつて存在していた路線だよ。国鉄がJR北海道に変わる一九八九年(平成元年)に廃線になった」

「路線ごと廃止ですか?」

「そう。天北てんぽく線は、音威子府おといねっぷ村を起点に、途中で敏音知びんねしり岳など美しい山々のあいまをすり抜けて、オホーツク海に面した浜頓別はまとんべつ町に出る。そこからさらに北上をして、最後は南稚内みなみわっかない駅までつながっていたんだ。

 ところが、国鉄民営化の時に、西の宗谷本線か東の天北てんぽく線の、どちらか一方は存続させるが、もう一つは廃線とするよう、国から命令が下された。結局、宗谷本線が残されて、天北てんぽく線は姿を消した」

「地元の人たちにとっては、究極の選択だったことでしょうね……」

 青葉の口からボソッと愚痴がこぼれる。

 かつての天北てんぽく線が延びていたであろう、北の方角の線路の向こうには、美しい山並みが静かに横たわっていた。


――稚内わっかない行き、ワンマン列車です。

中の方に、お入りください――。


 列車の乗車口では、キンコン、キンコン、という警鐘音とともに、同じアナウンスが、絶えず繰り返されている。

 列車に乗ろうとしたのに、青葉がついて来ないので、又村は心配になった。青葉は、うつろな表情で、まだ北の山々を見つめている。

「おーい、青葉ちゃん。そろそろ出発の時間だよ。中に戻ろうか?」

「あっ、はい」

 細い肩がビクッと動いた。青葉は、長い髪を手で押さえながら、走って乗車口までやってきた。

「駅のホームに降りてみるって、やっぱりいいですね」

 青葉の一言に又村はちょっと驚いたが、すぐに何もなかったような顔で返事をした。

「そういうこと。駅を訪問するとは、列車の中から眺めるよりも、実際にそのホームに立った方が、数段得るものがあるよ」

「本当にそう思います」

 そういって、青葉はにっこりと微笑んだ。


 車内に戻ると、又村が、まずどっかと座席に腰を下ろした。対照的に、青葉は申し訳なさそうにそろそろと席に着く。

音威子府おといねっぷ村は、今や人口が千人を切ってしまって、北海道で最も人口が少ない自治体になってしまった。かつては交通の要所であったのにね」

 青葉からの反応はなかった。又村があきらめて窓に目を向ける。

「私、こんな北までやってきたのですね……」

「えっ?」

音威子府おといねっぷ村――です。

 私にとっては、旭川あさひかわ市だって最果ての町のはずなのに、まさか、そこからさらに時間をかけて、まだこんな素敵な町に出会えるなんて、想像すらしていませんでした。なんだかとても不思議なんです。

 私、小さい頃にアンデルセン童話の『雪の女王』を読んで、北へ向かって旅を続ける主人公のゲルダに憧れていたんですよ。

 でも、今の私は、ゲルダになれたような気分です」

 青葉は、声がうわずって少し震えていた。


 北海道で最も人口が少ない音威子府おといねっぷ村を出発した列車は、さらに北を目指して走る。

 でも、この時の青葉はまだ知る由もなかった。

 全長二百五十九.四キロの宗谷本線の中で、最も劇的ドラマチックかつ神秘的ミステリアス地点ポイントが、間もなく目の前を訪れようとしていることを……。

 宗谷本線一言回想録


有名な音威子府駅の駅蕎麦。これを食べずに宗谷本線は語れない、と思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ