7.天塩川温泉(八月二十一日、木曜日、十三時三十八分)
「あっ、気にしないでください。私、メモ取るのが大好きなんです」
さっきから青葉は、夢中になって、例のノートになにやら書き込んでいる。又村は、青葉に気付かれないよう、さりげなくのぞき込んでみた。A4版の大きなノートなのに、そこにはびっしりと文字が書き込まれていた。こんなに揺れる列車の中で、よく書けるなと感心するほど、落ちついてきれいな文字だ。
豊清水駅の次の駅も秘境駅だ。
「天塩川温泉駅――。その名の通り、近くには温泉施設がある。
駅からちょっと南に行ったところに、音威子府村の住民保養センターがあって、そこでは、日帰り入浴もできるし、宿泊施設にもなっているから、泊まることもできるんだ」
「へえ、秘境駅に温泉宿が?」
「地元の人も利用するらしいし、評判は結構いいみたいだよ。ただ、部屋数はそんなに多くないので、宿泊予約を取るなら早めにしておいた方がいい。
もっとも、音威子府駅周辺の宿屋は、みんな閉鎖してしまったようだから、今や、音威子府村で宿泊をしようと思ったら、この天塩川温泉駅の住民保養センターか、咲来駅前の『ライダーハウス咲来』くらいだ。もっとも、そちらはライダー限定だけどね」
「ライダー限定?」
「そう。オートバイや自転車の旅行者以外はお断り、という宿だ。ライダーハウス咲来は、僕も若い頃に利用したことがある」
「音威子府駅は、特急列車が停まる大きな駅ですよね?」
「駅自体は大きいけれど、駅前がちょっとした町になっているだけだよ。昔は交通の要所として活気があったけどね」
「今は交通の要所ではない……のですか?」
又村は黙って首を横に振った。それは、なにか意味ありげなふるまいでもあった。
列車が天塩川温泉駅に停車した。短い板切れホームに、赤色の屋根が星の形みたいにとんがっているユニークな待合室があった。残念ながら、温泉施設はここからは見えなかった。
「ここは、もともとは、温泉施設のための駅ではなく、南咲来という名前の仮乗降場だった。それが、駅に昇格したわけだ。
だから、温泉施設からも中途半端に距離があるし、付近に民家があるわけでもなし。なんとなく、宙ぶらりんな駅になってしまっているね」
さらに列車は、その次の駅、咲来駅にやってきた。ここは名前が面白いな、と青葉は思った。駅前には、水色の屋根が目立った建物と、ちょっとした敷地が見えた。どうやらそこが、又村の話に出てきた、ライダーハウス咲来という宿泊所のようだ。
そこには大きな黒いオートバイが一台だけポツンと停まっていた。だけど、人間はひとりも見当たらなかった。
宗谷本線一言回想録
天塩川温泉。一度は入ってみたいけど、降りる勇気が……。