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6.豊清水(八月二十一日、木曜日、十三時三十三分)

 列車が美深びふか駅に到着した。ここは特急列車も停まる駅である。時刻は十三時十二分。美深びふか町も、士別しべつ市や名寄なよろ市のように、街並みがしっかりとできている。宗谷本線の路線周辺はほとんどが過疎地域であるから、こうした自治体を見ると、青葉はほっとしてしまう。

 もちろんここは決して都会ではない。美深びふか町は、非公式記録ながら、マイナス四十一.五度の日本最低気温を記録した町なのだ。紛れもなく、日本有数の極寒豪雪地帯である。

 この先、列車は、次の特急列車停車駅である音威子府おといねっぷ駅までの途中に、六つの駅に停車をするが、その内の、実に半分に相当する、三駅――紋穂内もんぽない駅、豊清水とよしみず駅、天塩川温泉てしおがわおんせん駅、が秘境駅である。

 初野はつの駅を出て少し経つと、周りの景色から民家の気配が完全に消え失せた。列車は、天塩川沿いの農耕地と荒れ地とが交互に繰り返す広大な大地を、ひた走っていく。

「この辺りが稲作の限界地だよ」

「あら、まだ田んぼありますよ?」

「あれは蕎麦そば畑だ。実っている穂が稲穂の黄色じゃなくて、白だろう? ここから北で生産される穀物は、小麦か蕎麦かとうもろこしなんだよ」

「本当に、北の国にやってきた感じがします。

 でも、北海道産のお米といってもあまりピンときませんね」

「そうかい? 最近は地球温暖化の影響か、北海道のブランド米はかなり有名になっているよ。中でも最近開発された『ユメピリカ』という品種が話題になっている。その産地はここ――宗谷本線沿いの旭川あさひかわ市と士別しべつ市だ。

 あと数年もすれば、日本のお米の勢力図は一変して、宗谷本線沿線が日本一おいしいお米の産地になってしまうかもしれないよ」

 又村の顔は結構大真面目だった。

「さあ、もうすぐ紋穂内もんぽない駅だ。ここは、ユニークな名前で、人気にんきが高い秘境駅なんだ」


 十三時二十分に、列車は予定どおり、紋穂内もんぽない駅に到着した。駅近辺は、わずかに点在する防風林を除くと、一面に広がる大草原しか見えなくて、とても殺風景なものだった。

「ああっ、貨車駅舎!」

 興奮した青葉の目の前、進行方向左手には、クリーム色の下地に窓付近だけが薄い露草色に塗られた、紋穂内もんぽない駅の貨車駅舎が建っていた。厳しい気候にさらされるためであろう。厚く塗られた塗装は、まるでルネッサンス時代の絵画のように、うろこ状のひびが刻まれていて、今にも崩れ落ちそうであった。

「ここは秘境駅の雰囲気満点ですね」

「そうだね。ここら辺りから遠くの景色が、農耕地から一変して、原野の草原へと変わってしまうんだ。

 ああ、そうだ。この近くで遺跡も発掘されたらしいよ」

 紋穂内もんぽない駅から北の方に目を向けると、数軒の民家があった。ということは、この駅の利用者はまだ少しくらいならいそうな感じがする。


「このあとの豊清水とよしみず駅ですけど、さっきのお話では、糠南ぬかなん駅よりも周辺の秘境度が高い、ということでしたよね?」

 ノートをじっと確認しながら、青葉が訊ねた。

「うん、そうだよ。紋穂内もんぽない駅の周りも民家がほとんどないけれど、豊清水とよしみず駅周辺は人が呼吸をする気配すら感じられない」

「そんな駅がどうして存在しているのですか?」

「なるほどね。存在意義と来たか」

 又村は、もったいぶって、コホンとひとつ咳を入れた。

「たしかに、豊清水とよしみず駅は、地元の乗客がひとりも期待できない駅だけど、重要度はとても高いんだよ。

 単線の宗谷本線は、ところどころで列車の行き違いを行わなければならない。一方で、豊清水駅の辺りは、高台になっていて見晴らしがいいし、複線ホームになっているから、行き違いにも好都合だ。結論からいえば、美深びふか駅と音威子府おといねっぷ駅間は、およそ三十キロあるけれど、その間で列車がすれ違えるのが、唯一、ここ豊清水とよしみず駅だけなんだ。

 それに、豊清水とよしみず駅は、日本一寒い美深びふか町と音威子府おといねっぷ村のちょうど地理的ど真ん中に位置していて、おまけに山奥ときている。冬季になれば、この一帯の線路の補修や管理はかなり大変なんだ。だから、そのための詰所も駅に用意されている。

 いい換えれば、豊清水とよしみず駅は、日本有数の極寒地域に置かれた、とても有益な秘境駅なんだよ」

 秘境駅が役に立つこともあるのか……。ちょっと意外であった。

 次の恩根内おんねない駅まで来ると、一瞬、民家が視界の中に出没したが、相変わらずさびしい景色が続いていた。それを過ぎたら、列車はまたもや原野の中を走っていて、両側に連なっている山並みが徐々に切迫してきた。

「らしくなってきたね。さあ、いよいよ、宗谷本線屈指の秘境駅、豊清水とよしみず駅のお出ましだ!」


 豊清水とよしみず駅は、山の中にポツンとたたずむさびしい駅だった。民家はどこにもなくて、進行方向左側に天塩てしお川が流れているはずなのだが、ここからはよく見えなかった。これまで見てきたどの駅よりも閑散としていて、たしかに、圧倒的に秘境度が高い。

 でも、駅舎は三角屋根でログハウス調のしっかりしたものだった。

「さびしい駅だけど、駅舎は立派ですね」

「新しい建物だしね。でも、乗客用の待合室は、右側の扉のところで、実は、そこだけだったらとても狭いんだ。駅舎の大部分を占めるのは、もうひとつの扉を入ったところにある詰所で、冬の間は保線用員が常駐している。

 昔、若い頃、僕は、冬にここを訪問していて、その時に、なにも知らなくて詰所の方へ入り込んでしまい、そこで次の列車を待っていたんだ。ストーブがついていて、暖かかったからね。しばらくすると、外で線路の補修作業を終えた職員たちが戻ってきて、中で鉢合わせになった。そして、そこが詰所であることを知らされて、恐縮したことがある」

「怒られたのですか?」

「いや……。

 まさか、あの場面で出ていけというわけにもいかんしのう、と一言だけお小言をいわれたけど、そのあと、職員のおじさんたちはみんなで笑っていたよ。ほんと、ほっとした。

 そのあとで、色々と話を聞くことができた。毎日の仕事だとか、豊清水駅での列車の行き違いを表した図面も見せてもらった。どれもこれもがみんな面白くてね。会話に花が咲いて、一時間半の待ち時間なんてあっという間に過ぎてしまった」

 楽しそうに昔の思い出を語る又村を横目に、青葉はもう一度駅のホームに目を移した。

「本当に何にもない駅ですね。すぐに消えてしまいそうで心配です」

「そんなことはない。たしかに乗客は期待できないけれど、ここは交通の要所だからね。最悪、信号場(旅客や貨物の乗り降りは取り扱わないが、列車の行き違いや待ち合わせ、路線の補修などを行う場所)として、生き残っていくだろう」

「駅には、それぞれに役目があるということですね」


 青葉がうなずいた時、対向ホームに名寄なよろ行きのキハ五四系気動車がやってきた。この駅で列車が行き違うのだ。

 警報器がファン、ファン、と鳴り響く中、青葉たちを乗せた気動車が先に、けたたましいエンジン音を響かせて動き出した。

 宗谷本線一言回想録


たしかに紋穂内の辺りから、風景の雰囲気が変わります。不思議です。

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